キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『囚人のジレンマ』リチャード・パワーズ

「信じられるか、この世界? 愛するしかないよな」
−−リチャード・パワーズ囚人のジレンマ

人類全体の世話人

誰かを信じるには、それなりの時間と勇気を必要とする。それに比べて、不信感を抱くのはもっとずっとお手軽だ。疑いを抱くことも、自分を守るもっともらしい理由を見つけることも、相手を信じないことも、裏切ることも、利用することも、ほんのちょっとの罪悪感を犠牲にするだけで事足りる。

信用を裏切られた人間は、報復のために別の誰かを犠牲にする。自分は傷つけられたから誰かを傷つけてもいいのだ、その権利がある、利口な人間なら裏切るべきだ、と口にしながら。そうして不信感は世界にあっというまに蔓延していく。

不信感まみれになった世界でもなお「他者を信じよう」「この世界を愛そう」とする人間はなんと呼ばれるだろうか? 愚か者、白痴、ネギをしょったカモ、病人、狂人。そして、ホブソン一族の父。

囚人のジレンマ

囚人のジレンマ

 

 『囚人のジレンマ』は、アメリカの片田舎に住む6人家族の物語である。物語の核をなす父親エディはなにかの病気を患っており、そのために引っ越しや転職を繰り返し、暇を見つけては自分の夢の町「ホブズタウン」の物語をテープに吹きこむなど、アメリカ的な成功者とはほど遠い生活をしている。

彼の病気は重症らしい。しかし、なんの病気かはわからない。しかも、父は頑なに病院に行くことも治療も拒む。お手上げである。「父の病気はなにか?」が物語のひとつの軸となる。

母はそんな父の病気も奇行もすべてを諦めて受け入れていて、2人の息子と2人の娘はお互いに悪口をたたきあいながら、父の病を気にしつつ、アメリカの若者らしい生活をしている。

父は、家族の中心となる存在だ。彼は箴言と小話とブラックユーモアとナンセンスがお得意で、唐突に食事中に謎掛けをしたり、意味がありそうでなさそうでやっぱりありそうな小話をしてきたりして、子供たちを翻弄する。父と子供たち、子供たち同士の会話はどれもいい感じに皮肉とブラックユーモアが効いていておもしろい。

「あらゆるインディアンは一列になって歩く。少なくとも私の見た一人はそうだった」

「もしもきみが安物のバケツで波を汲み出してやれば、きみと月とで多くを為すことができる」

「人間誰にでも、誰もが思っている以上のものがある」

本書のタイトルとなる「囚人のジレンマ」も、父が出してきた謎掛けのひとつだ。ゲーム理論のひとつとして有名な「囚人のジレンマ」は、「プレーヤーが常に自分の利益を最大化させるための選択肢を選ぶ(絶対優位の戦略)場合、他のプレーヤーと協力した場合よりも悪い結果を招くゲーム」だ。囚人のジレンマはよくある父の小話として挿入されるが、やがて父の病気にも関わってくる重要なテーマとして浮かび上がる。

「1人の人生、きみの人生が、それに触れる人生すべてをいかに変えるかを示すんだ。見た目にしたがってではなく、信頼にしたがって歩むかぎり、ゲームをつづける価値があることを証明するんだ」

父が息を吸うたびに繰り出すナンセンスな言葉の弾丸、世界一有名なネズミをうみだした男の物語、夢の国ホブズタウンの物語など、とにかく過剰な語りのせいで、ホブソン一族の子供たちも読者も途中で迷子になりそうになる。

で、結局、父はなにをしたいのだ?

父の病気が目に見えて悪化していくにつれて、この問いもまた増幅していく。余裕がなくなってきた子供たちは焦り、より深く、父が問いかけてきた謎に飛びこみ、お互いの感情の奥底をのぞき合おうとする。

表面が掻き消え、その下にひそんでいた静止点のなかに彼らは見る、家族の誰にとってもあまりにも明白な事実を。長年、彼らはそれを否定しつづけてきた−−家族みんなが、互いのことを、どうしようもなく気にかけていることを。

 

本書は、キャッチーに言えば「病人パパの妄言から真実を探そうとするチルドレンの物語」であり、ものすごく陳腐な言葉を使うなら「信頼と愛の物語」である。

信頼、愛、きれいごとの権化みたいなテーマだが、美しさや美談とはほど遠い。

「隣人を信じましょう」「隣人を愛しましょう」と皆が当たり前のように口にするが、実際に貫きとおすことは難しい。なぜなら他者は良い人も悪い人もいるし、自分の利益や命をけずってまで「他者を信じて愛する」メリットが見つからないからだ。

「自分ひとりが利益を追求したからといって、たいした影響はないだろう」「他の人や社会がどうにかするだろう」という甘えもまた、たやすく人を自己利益に走らせる。

私たちはそういう事例を山ほど知っている。たとえば第二次世界大戦ユダヤ人を絶滅に向かわせたのはナチスだけではない。ごくごく普通の市井の人々の協力も欠かせなかった。「家族のため」「あいつは昔からいやなやつだった」「誰かが裏切るかもしれない」という不信と嫌悪とちょっとした利益のために、「自分がやるぐらいたいしたことはない」「他の皆だってやっている」と言いながら、彼らは顔見知りの隣人たちを密告した。

20世紀の戦争を例に出さずとも、私たちの周りにはいまも、不信と敵意がすぐに芽吹く土壌が耕され続けている。

世界は「囚人のジレンマ」に陥りやすい構造をしている。

そんな世界に、ホブソン一族の父はひとり抗う選択をした。

父は命を賭けて戦っていた。それだけは明らかだった。自分の命だけではない。父はなぜか、自分が人類全体の世話人なのだという狂気じみた考えに取り憑かれて、集団が繰り返し犯す無実の者の投獄すべてに対する責任と罪とをわが身に引き受けていた。……父さんの物語は、その問い、その耐え難い問いに応えようとする試みだった。

己の身を削りながら世界を愛せるか? 自分を裏切るかもしれない他者を信用するか?

きれいごとで言えばイエス。だが、実際のところは言葉に詰まる。だから人はあまりこの問いを考えようとしない。だが、もし世界が「囚人のジレンマ」ゲームを突きつけてきたらなにかを選ばなくてはならない。そうならないことを祈っても、時間と世界はいつだって無慈悲で、人間の望みなど聞き入れはしない。

だからこそ私は、エドワード・ホブソン・シニアのようなタイプの狂人を見ると途方に暮れる。ひとりで世界と戦おうとして意味があるのか、と疑問がわくと同時に、多くの人が見ないふりをする都合の悪い問いに真摯に向かい合って答えようとする強さに、恐れおののきもする。

己の身を削りながら世界を愛せるか? 自分を裏切るかもしれない他者を信用するか?

この問いにたいする彼のあっけらかんぶりといったら!

「信じられるか、この世界? 愛するしかないよな」

 

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