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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『ハルムスの世界』ダニイル・ハルムス

作家「私は作家だ」
読者「私の考えでは、あんたはくそったれだ」
(作家は何分間か立ちつくし、この新しい考えに衝撃を受けて、死人のようにパタンと倒れる。作家は運び出される)


——ダニイル・ハルムス『ハルムスの世界』

ねえ、あなた狂ってますよ

 しまった、やられたと久しぶりに思った。ものすごく軽いのに激烈に重く、ナンセンスのように見えて真っ当。なんなのだろう、この魅力は。
 スターリン政権下のソ連でひたすら原稿を書き続けた、地下出版系作家の短編集。バリー・ユアグローが書くような超短編って、じつはあまり好きじゃない。何やら奇妙な味のする木の実を飲みこまされ続けている気分で、咀嚼する間もなく次々と口の中につっこまれて目が回りそうになる。だけど、ハルムスは別で、彼の作品ならいくらでも放り込まれていたい。

ハルムスの世界

ハルムスの世界

  • 作者: ダニイルハルムス,増本浩子,ヴァレリーグレチュコ
  • 出版社/メーカー: ヴィレッジブックス
  • 発売日: 2010/06/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 ハルムスの世界には「軽さ」がある。ひたすら老婆が窓から落ちる「落ちて行く老婆たち」や、レンガが5回頭を直撃して何もかも忘れる「ひとりの男」、なぜか女性が脈絡もなくポンッとはげになる「交響曲第二番」など、ナンセンスなコントが豆鉄砲よろしく私をつついて笑わせる。

 ひとりの老婆が好奇心にかられて身を乗り出すうちに、窓から落ちて死んだ。
 もうひとりの老婆が窓から顔を出して、階下の、墜落死した老婆を見ていたが、好奇心にかられて身を乗り出すうちに、やはり窓から落ちて死んだ。
 その後、三人目の老婆が窓から落ちた。それから四人目が落ち、五人目が落ちた。
 六人目の老婆が落ちた時、私は彼女たちの様子を見るのに飽きてきて、マルツェフスキー市場に行った。その市場では、ひとりの盲人に手編みのショールがプレゼントされたという噂だったからだ。


 だが、ハルムスの世界には同時に「重さ」がある。『巨匠とマルガリータ』と同様、ハルムスの描く世界の裏側には、スターリニズムという悪辣な冗談が渦巻いている。黒服の男が突然やってきて、ズロースをはく間もなく男女を連行する「邪魔」は、「おっと誰か来たようだ」を地でいっているし、極悪人が無罪判決をもぎ取る「名誉回復」も共産主義政権下では日常茶飯事だっただろう。人が次々に消えていったりくだらない事故で死ぬのは、魔法でもギャグでもなく粛清の嵐であると気づいたとたん、ざわりと身の毛がよだった。


 ナンセンス、というのとも違う。むしろハルムスは極めて正気だと思った。正気であるがゆえに彼はある日警察に呼ばれ、そのまま帰ってこなかった。自身のそんな結末すら織り込み済み、といった感じがなんともにくい。狂った世界で正気を保ち、「ねえ、あなた気が違ってますよ」ときちんと言える。そんなハルムスの「正気の毒」にすっかりやられて中毒気味。

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Daniel Charms Дании́л Хармс,1936~.