キリキリソテーにうってつけの日

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『グアテマラ伝説集』アストゥリアス

[鉱物、あるいは古酒]
Miguel Angel Asturias Leyendas De Guatemala,1930.

グアテマラ伝説集 (岩波文庫)

グアテマラ伝説集 (岩波文庫)

 ある世紀に、幾世紀も続いた一日があった。 (「火山の伝説」より)

 彼らは、あの腐植土の海のなかに、時として星の破片を、あるいは黄金虫の都市を見出した。そして、年老いた根はこう説明したものだ――この隕石に乗って、天から蟻がやって来たのだ、と。蚯蚓(みみず)ならそう言うことができるだろう、闇でものを見分ける力を失ってはいないのだから。 (「春嵐の妖術師たち」より)


 南米文学の言葉には酒が入っているのではないかと、時々思うことがある。『グアテマラ伝説集』を読んで、中南米に旅したときに飲んだ緑色のリキュールを思い出した。甘く濃密な古酒は、ショットで飲んだらぐらりと世界が傾いだ。

 20世紀前半、「マジック・リアリズム」の先駆けといわれたアストゥリアスの作品。マヤ・アステカ文明はスペインの侵略によって滅ぼされたが、息の根は止められなかった。南米は、西欧化した日常や文化の中にかつての文明が見事に入り混じっている。教会なのにドクロを飾ったりミイラを家に安置したり、「異端だ!」と絶叫されかねないことを平然とやってのける。

 本書においても、過去と現在の境界はあまり存在しない。マヤ神話とスペイン侵略以後の物語は断絶していない。石畳が続く路地の向こうには、精霊の幻が踊っている。

 アストゥリアスの言葉は、物語というよりは詩に近い。言葉は原色まばゆい鉱物のように硬質で、幻のような光を一瞬きらめかせて夢散する。だからイメージは絶対につかめない。言葉がこれほど染みこんでこない文章は久しぶりだった。


 マヤの時代からスペイン侵略を経て、現在まで至る「グアテマラ」は、かの地の歴史を知るタペストリのようで、グアテマラ入門にちょうどよい。「夢の化生が物語を紡いでゆく」という言葉が繰り返し出てきて、銀色のあごひげの老人が金星を目で追いながら何やら占っている姿、アベ・マリアをつぶやく聖職者、神を引き合いに出しながら議論をたたかわせる紳士や指揮官たちの姿を映していく。

 「伝説集」は、グアテマラの土地に根ざした伝説だ。マヤ神話がメインかと思ったのだが、意外や植民地時代の話が多かった。これはどれもよかった! 腕に彫った刺青の船に乗って監獄と死から脱出した「刺青女の伝説」、悪魔の化身であるゴムまりと神父の格闘を描いた「大帽子の男の伝説」、スペイン軍に負けたマヤ人の財宝を守るために火山が噴火する「花咲く地の財宝の伝説」が特に好き。

 「春嵐の妖術師たち」「ククルカン」は、マヤ神話をモチーフとしているが、あまりにもイメージの洪水がすさまじく、正直よく分からなかった。特に戯曲「ククルカン」は、何とも言いがたい奇妙な破壊力を持つ。

ククルカン:わたしは太陽のごときもの!
グワカマーヨ:クワック?
ククルカン:わたしは太陽のごときもの!
グワカマーヨ:クワック?……クワック?
ククルカン:わたしは太陽のごときもの!
グワカマーヨ:アククワック、クワック?

 しょっぱなからこれなので、ずっこけそうになった。これだけでなく、作品中には何度も同じような場面が出てくる。

 マヤの最高神ククルカンと人をだますグワカマーヨ(コンゴウインコ)の争いを軸として、月が誕生したり花の乙女がうろうろしたりする物語であるらしいのだが、縦横無尽に飛び回る「アククワックどん」のせいで、どうにもクワックなイメージしかなかった。クワック!


 濃密、とにかく濃密だった。うっかりすると、言葉の熱帯雨林に踏み込んで戻れなくなりそうだ。そもそも、これがちゃんと人間の物語として世の中に存在していること自体が奇跡に近い。

 「まるで青い砂糖のような水の色」「煌めく星と見まがうばかりの緑の斑岩、ミルクの粋に浸された青磁色の御影石、よく動く砂の上の水銀の鏡」「ある星雲の残滓である、絶望的な沈黙のまぎれもない増幅」「翡翠、エメラルド、真珠、金粉、香水をふりかけた羽根ペン、白く磨きあげた竹の腕輪などを売る商人の船」……こぼれ落ちる言葉に酔いしれ。


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