キリキリソテーにうってつけの日

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『鰐 ドストエフスキーユーモア小説集』ドストエフスキー

[ワニに呑まれた]
Фёдор Михайлович Достоевский,Крокодил,1865.

鰐 ドストエフスキー ユーモア小説集 (講談社文芸文庫)

鰐 ドストエフスキー ユーモア小説集 (講談社文芸文庫)

……当然のことながら君には、鰐の根本的な特質はどんなものか、という疑問が生ずる。答えは明瞭――人間を呑むことさ。(「鰐」より)


 本書を読んでいると、何人から「その題名、何て読むの?」と聞かれた。「ワニ」と読む。川に潜んで、動物や人を待ち伏せてパクリとやる、あのワニである。ワニに呑まれる。何ともぞっとしない話である。しかし、ワニの腹の中は住み心地が良いらしい。


 本書は、ドストエフスキーのユーモア小説を集めた短編集。表題「鰐」は、ワニの腹の中で生活する男を描写した、世界で最初で(おそらく)最後のとんちき小説だ。

 あるロシア人の男 イワン・マトヴェーイチは、うっかり見世物小屋のワニに飲み込まれる。男の友人である主人公と妻は阿鼻叫喚、「何てこったい」と大騒ぎ。だが、イワンはワニの腹の中でぴんぴんしていて、ワニの腹の中から、世界を変えようと試みる。

 まあ、見てのとおり何から何までぶっ飛んだ物語である。いちいち皆がしぶとく、かつ会話がとんちんかんすぎて、非常に笑えた。特にワニの腹の構造がひどい。腹の中はがらん堂で、大人3人が余裕で入れるほど広い。胃の壁はゴムのようになっていて、去年買ったオーバーシューズのにおいがするという。ワニの中では、イワンは常に満腹である。ワニは内容物(イワン)から栄養を摂取し、イワンは胃壁からワニの栄養をもらう。つまり、究極の循環型サイクルができているというのである。そんな馬鹿な!

「語源学さえ、僕の説と一致しているよ。なぜって、鰐という名称そのものが大食を意味しているんだけらね。
……こういったことすべてを僕は、箱におさめて運び込まれるとき、エレーナ・イワノーヴナのサロンに集まった人たちに、最初の講演として読み上げるつもりなんだよ」
「ねえ。君、せめて今から下剤でも飲んでみたらどうかな!」わたしは思わず叫んだ。
『彼は熱があるんだ、熱だ、熱を出しているんだ!』わたしは慄然として内心ひそかに繰り返した。

 今後どうするかについて、「ワニの腹の中に“出張”していることにして、俸給をもらえないだろうか」などと主人公が交渉するあたりの会話は、大笑いした。ナンセンスが突き抜けている。この先がもっと読みたかった。
 以下、併録作品の感想。どれもこれも会話のナンセンスさが絶妙。


9通の手紙からなる小説:
 一言でいえば「ロシア流の慇懃無礼」。2人の男が、往復書簡でやり取りをするのだが、内容は親愛の言葉と罵詈雑言に満ちている。だんだんとエスカレートしていくさまが笑える。大人げなさすぎだろう、君たち。

他人の妻とベッドの下の夫:

「お若い方! わたしは騒動なんか起こしゃしない」
「お黙んなさい!」
「お若い方、君にはわたしに道徳のお説教なんかする資格はない。わたしのほうが君よりずっと道徳的なのだから」
「お黙んなさい!」

 妻に浮気された男が、浮気現場を押さえるためにアパートの近くをうろつき、同じく浮気相手を探しに来た青年と出会う。浮気されたという事実を認めたくないばかりに「これは私の友人の話ですよ!」と必死に弁明するおじさんのあべこべぶりが痛々しくて笑いを誘う。混乱、見栄、嘘をドストの長舌で語らせたら、こんなすごいものができあがってしまった。

いまわしい話:
 見栄っぱりの高官が、「人道主義」をひけらかすために、貧しい部下の結婚式に闖入して台なしにする話。「皆をあっと驚かせて、皆からちやほやされて、いい噂を立てられたい」という自己満足への期待と、やるせない現実。これも妙に痛々しくリアル。


 どれもこれも、どうしようもない話なのだが、時折人間のエゴや見栄への洞察がきらりと光るあたりが、さすがドストだなあと思う。ドストのナンセンスな会話を愛する私としては、大いに楽しんだ。とにもかくにも、二重の意味で人を食った話である。


ドストエフスキーの作品レビュー:
「地下室の手記」
「罪と罰」


recommend:
ナンセンス、ぶっ飛び系短篇小説。
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