[都会の南米]
Julio Cortázar Todos los fuegos el fuego, 1966.

悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 (岩波文庫)
- 作者: コルタサル,木村栄一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/07/16
- メディア: 文庫
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コルタサルはベルギー生まれのアルゼンチン育ち、同国の作家 ホルヘ・ルイス・ボルヘスと並ぶ短篇の名手とされている。ボルヘスは、どちらかといえば人間よりも世界や仕掛けにスポットが当てられる。コルタサルはその逆で、世界よりも人間の行動に興味の焦点がある感じ。
コルタサルは30代の時にフランスに渡り、以後フランスで生活している。読んでいて、これまでのいわゆる「ラテンアメリカ文学」とどこか雰囲気が違うな、と感じたのは、彼のこのヨーロッパ性かもしれない。実際、本書におさめられている短篇の舞台は、ほとんどがヨーロッパ。でも、その幻想的な語り口は、南米的。南米文学と西欧文学のハーフのような、そんな印象を受けた物語である。
以下、気に入ったものの感想。
「パリにいる若い女性に宛てた手紙」
ある男は、子兎を吐き出す癖を持っている。あたりまえのように「兎を吐く」と書かれている文面を見て、初見時は目が点になった。動物を飼うのは難しいね……。
「占拠された屋敷」
兄妹だけで住むだだっ広い屋敷の一部が、ある日突然占拠された。誰が占拠したのか、何のために占拠したのか、理由は一切不明。「占拠されたよ」「困ったわ」という兄妹の会話がシュールすぎる。
「悪魔の涎」
立場の逆転。写真家の男がある写真を撮った。そこに映った男は……。メビウスの輪のように、立場がくるりと入れ替わって、呆然とする。
「南部高速道路」
これは傑作。好きな短編トップ10にはいる。信じられない渋滞でパリに帰れない人びとのつかの間の非日常の話。「日常」から「非日常」へ、そして「非日常」が「日常」に。人は慣れる。人びとが、名前が出ないで車種と性別で呼ばれているあたりもおもしろい。収束に向かって一気に加速するラストは圧巻。母親に勧めたところいたく気に入った様子で、以後渋滞に巻き込まれると「まるで南部高速道路のようね」というようになった。
「正午の島」
ギリシャの小さな島に執着する飛行機の添乗員の、短い物語。最後にひっくり返される。
「ジョン・ハウエルへの指示」
突然舞台に上らされ、演技をやれといわれる主人公。思えば人生がそういうものかもしれない。気がついたら、事件の中心にいるという不思議。シェイクスピアだって言っている。「全世界は舞台であって、すべての男も女もその役者にすぎない」。
「すべての火は火」
現代パリの一室の出来事と、ローマのコロッセオの出来事が平行して進んで、収束する話。題名そのまんま。すべての火は火に。
設定はぶっ飛んでいるけど、非常に繊細で洗練されている。立場の入れ替わり、現実と幻想の交錯点、ぐるりと世界がひっくり返って舌を出す。
収録作品(気に入った作品には*)