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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『マダム・エドワルダ/目玉の話』ジョルジュ・バタイユ

フランス文学 ☆☆☆☆

[裸であることの不安]
Georges Albert Maurice Victor Bataille MADAME EDWARDA ,1941. HISTOIRE DE L'OEIL ,1928.

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

 きみはひとりぼっちか? 寒けがしているか? きみは知っているか、人間がどこまで「きみ自身」であるか? どこまで愚かであるか? そしてどこまで裸であるか?


 かつて生田耕作訳『眼球譚』で名を馳せた、バタイユによる「目玉の話」。

 冒頭の問いかけは、まさにバタイユだと思う。わかるのか、君には?わかってくれなくてもかまわない。「ともかく私は、人が私の悲しみを笑ってくれればそれで満足なのだ」(本文より)。そんな作家である。

 スキャンダラス、変態、エロティシズム。バタイユを語る言葉はいろいろあるけれど、バタイユの作品に理性的な批評など、つまらない。「死」と「エロス」が一本の道になって、「不安」がまっ裸で、叫びながらそこを走っている感じ。もっと感覚的・直感的なもので、それにうまくのれなければ、バタイユはただのポルノになってしまうだろうと思う。

 みんなが当たり前に服を着ている現実に、自分だけ裸でいるような不安。なじめない、戻れない、だけど服を着ることは自分にとってひどく難しい。そんな不安と孤独が、両作品の中に流れているように思える。


「マダム・エドワルダ」:

『高い門の下で、私はうめきながら笑っていた。
「このアーチの虚無を通り抜けるものだけが!」

 わりとハードボイルドな雰囲気。自分の裸をさらけ出すエトワルダ、「わたしは神よ」と言い、「私」も彼女を神だと思う。娼婦マダム・エトワルダと「私」が、暗い夜の中、裸で追いかけっこをする。やっぱり、あらすじだけ書くとなんかつまらない。でも、硬質な美しさがある。空っぽな夜の空と、星と虚空のイメージ。


「目玉の話」:

きちんと衣服を着た人々が生きる現実の世界ははるかに遠く、もう二度とそこに戻れないような気さえしました。

 もう少しエログロな雰囲気の作品。これは変態系。読めても、同じことをやれっていわれたら絶対無理だ。玉子や目玉を……いえ、何でもありません。「私」と彼女「シモーヌ」が、裸で自転車に乗っているシーンが、シュールだけど、なんかきれい。


 両作品とも、筋が一本通った狂いっぷりがいい。さらけ出して、暴かれるようで、しばらく妙な余韻が残る。


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