死ぬ時はひとり|『イワン・イリイチの死』トルストイ
[死は1人]
Лев Николаевич Толстой Смерть Ивана Ильича , 1886.
イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)
- 作者: トルストイ,望月哲男
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2006/10/12
- メディア: 文庫
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内密の用事を先送りしていて、最後にはその用事にとりかかるのだという疑念が頭を離れなかった。
(『イワン・イリイチの死』)
その名のとおり、とあるおじさん、イワン・イリイチが死ぬまでの心の葛藤の話。こう言ってしまうと、ものすごくつまらないように思える。
彼の死には、殺人も陰謀もない。ごくごく平凡そのもので、じゃあ何がおもしろいのかとも思う。だけどおもしろいのである。というより、すごい。外側から見ているとつまらない。だけど、死を迎える当人の心の中にもぐりこむと、そこには嵐のような心象風景がせまってくる。
「死」とはそんなものではないかと思う。誰にでも訪れるが、誰もが忘れている。そして、死は当人にとっては一大事だけど、周囲の人間にとって、どこまでいっても他人事でしかない。永遠に交わらない平行線のように、死はどこまでも一人だけのものである。そんな当たり前のことを、あらためてつきつけられたように思った。
「死にかけている」と「死んでいる」。「生きている人間」と「死んでいく人間」。二者はそれぞれ似ているけれど、その間にはけして埋まることのない溝がある。最後まで読み進めたあとに、もう一度最初に戻って読んでみると、生者と死者の感情のギャップに呆然とする。結局、死ぬ本人にしか、死ぬ気持ちは分からないということだろうか。
トルストイの文章は、「アンナ・カレーニナ」にしてもそうだが、奇妙にリアルである。死に至るまでのイワンの心理は、現代の心理学に負けず劣らず(むしろ上かもしれない)。死んだ経験もなくこうしたものを書けるなんて、トルストイはすごいなあと、しみじみと感心してしまう。
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