『間違いの喜劇』ウィリアム・シェイクスピア
[間違いだらけ]
William Sharekspeare The Commedy of Errors,1594?
- 作者: ウィリアム・シェイクスピア,小田島雄志
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1983/10/01
- メディア: 新書
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アンティフォラス弟:
この広い世界に対して、おれは一滴の水だ、
大海原にもう一滴の仲間を捜し求めて
飛び込んだはいいが、人には知られず、
人のありかを知りたいと願ううちに、形を失うのだ。
シェイクスピア初期の喜劇、間違いだらけのドタバタコメディ。
同じ顔と同じ名前を持つ双子がいたらそれは混乱する。そんな双子が2組もいたら最悪だ。主人は双子で従者も双子。彼らは自身の主従を取り違え、周りの人も延々と間違い続ける。読んでいる間ずっと、「皆、もっとちゃんとしようよ!」とつっこみ続けて疲れた。
この喜劇、登場人物たちがそろいもそろって適当すぎる。
まず父親。間違いの元凶、双子2組に同じ名前をつけた張本人である。生まれた双子の兄弟2人にアンティフォラスと名前をつけ、宿屋で買い取った従者の双子2人にはドローミオと名づけた。「双子なんだから、違う名前ぐらいつければいいのに……」というつっこみは届かない。家族は事故に巻き込まれて「2人のアンティフォラスと2人のドローミオ」は
- アンティフォラス兄とドローミオ兄
- アンティフォラス弟とドローミオ弟、父親
- 母親
に分断されて、それぞれ別の土地で生き延びることになる。
十数年後、父親と弟たちは家族を探す旅に出る。しかし、父親は敵国につかまり、死刑を宣告されてしまう。なんともうっかりすぎる父親である。
子供たちも負けず劣らずすごい。弟ズは兄ズを探しに町へ出て、そこで自分のことを「夫」と呼ぶ女性や「あの借金はどうなった?」という人々に出会う。生き別れの双子の兄を探しに来ているはずだから、「もしかして、この町には兄がいるのか?」と思うのは当然のことだろう。だが、アンティフォラス弟もドローミオ弟も、「兄」の存在を露ほども考えない。
「何だか知らないけど、もらえるならもらっておこう」といって宝石をもらったり、タダ飯をごちそうになったり、女性をナンパしたりしてする(そしてその間に、父親は死刑にかけられそうになっている)。
観客側はすべてのからくりを知っているから「ほらそっちは弟だってば! なんで気がつかないかなあ」ともどかしく思うのだが、本人たちはいたって真剣だ。誰か1人ぐらい気がついてもよさそうだが、思いもよらないことに巻き込まれた人は意外に気がつかないものなのかなあとも思ったりする(いや、しかしそれでも誰か気づけ!)。
主人アンティフォラスと従者ドローミオの掛け合いが「王と道化」の関係みたいでおもしろかった。弟組の主従が、ドローミオ兄嫁(もちろん、兄の妻だとは知らない)のデブ加減について話し合っている場面は、特に笑えた。「まんまるで、体に世界中の国がある」とドローミオ弟がいえば、アンティフォラス弟は「アイルランドはどこにある?」と大真面目に問い返す。世界地図はざっとこんな感じ。
- アイルランド⇒お尻
- スコットランド⇒手のひら
- フランス⇒おでこ
- イングランド⇒顎
- ベルギー、オランダ⇒下のはしたないところ
いったいどんな女性なのだろう。そもそも女性なのかすら怪しい。こんな阿呆談義を、延々3ページ近く続けるのだ。本当に適当な人たちである。
「間違い」は、当人が気がつくまでは「間違い」ですらない。本当のことを知っている人が見たときに、それは「間違い」となる。
からりと明るいシェイクスピアだった。シェイクスピア「らしさ」は足りないが、笑えるからそれはそれでいいと思う。それにしても、舞台ではどう演じられるのだろう。同じ服、同じ顔をした役者がやるのか、それとも違うのかなあ。
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