『シッダールタ』ヘルマン・ヘッセ
[彷徨う覚者]
Hermann Hesse Siddhartha ,1922.
- 作者: ヘッセ,高橋健二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1971/02
- メディア: 文庫
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ドイツの文豪、ヘッセが描く「インドの詩」。
『車輪の下』『デミアン』と順序通りに読んできて、そして『シッダールタ』に来た。はじめ、主人公のシッダールタは、仏陀であるゴータマ・シッダールタのことかと思っていた。しかしヘッセが描いたのは、もう一人のシッダールタである。仏陀となるゴータマとすれ違い、会話を交わすが、別の道を進んでいく。
インドの寺院の彫刻のように、精密で美しい作品。彷徨うシッダールタの、心の遍歴の描写は、見事の一言につきる。
彼がたどり着いた答えは、世界は表と裏にに分けられるのではなく、「オーム」、すべてにすべてが偏在するということ。シッダールタは、賢人でもあるが、同時に罪人でもある。すべてをひっくるめて、世界も自分もそこにある。少し前までは、世界は苦痛であり、誰も愛せないと言っていたのに、心のありようだけで、世界はこんなにも違って見えるというのがすごい。
シッダールタは、仏陀の教えをすべて受け入れているけれど、「彼は教えるために世界を分けてしまう、それは全体を欠き、まとまりを欠く」とも言っている。ゴータマの合わせ鏡としてのシッダールタかと思っていたけれど、どうなんだろう。
少なくともシッダールタの達した答えは、それぞれ個人が達するものであって、教えられるものではないから、「まとまり」「秩序」としての宗教の役割は果たせない。
そこがゴータマとシッダールタの違いだろうか?シッダールタの方が、小乗仏教的ぽいような。でも正直なところ、三大宗教の中では仏教が一番分からないから、なんともいえない……。
ラスト、ゴーダウィンダとシッダールタの、物言わぬ会話のシーンが一番好きだった。教えずとも、伝わるものはあるということ。
東洋思想のひとつの結晶。自分は東洋人だけれど、キリスト教・西洋思想の中で育ったので、読んでいてわかるような、一歩手前で線を引かれるような、不思議な感覚がした。東洋思想を、基礎からきちんと勉強したくなる、そしてもう一度インドに行ってみたくなる本だった。
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