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『オレンジだけが果物じゃない』ジャネット・ウィンターソン

[母は狂信者]
Jeanette Winterson Oranges Are Not the Only Fruit,1985.

オレンジだけが果物じゃない (文学の冒険シリーズ)

オレンジだけが果物じゃない (文学の冒険シリーズ)

オレンジだけが果物じゃない (白水Uブックス176)

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 先生は、状況と先入観でしかものを見ようとしない。こういう場所にはこういういものがあるはずだと、人は先入観で決めつける。丘に羊、海には魚。もしもスーパーマーケットに象がいたら、先生の目には見えないか、さもなければ、あらジョーンズの奥さんとおか何とかいって、魚のすり身の話でもはじめるんだろう。


 子供時代は「絶対的ななにか」を無邪気に信じられる、不幸にも幸福なつかのまの時だ。少女にとって絶対的なものは母親であり、母親が熱狂的に愛する神であった。いや、母親が絶対的な存在でない子供などいるだろうか? 母親が正しいと言うものは正しいし、悪いものは悪い。オレンジだけが果物だと言われれば、子供はオレンジをかじる。


 半自伝的なデビュー作『オレンジだけが果物じゃない』において、ジャネット・ウィンターソンは「本当にこれが自伝なのか」と疑いたくなるぐらいの非日常的な少女時代を描いている。
 母親は熱心な信者で、少女ジャネットは母から「お前は伝道師になる定めの選ばれた子。世界を救え」と教えられて育つ。まず、この設定にびっくりさせられるが、これはあくまで序の口にすぎない。母親の教育はとにもかくにも力強い。教科書は聖書で、異教徒どもと戦うのが日課だ。この猛烈な存在感の強さは、『さくらんぼの性は』に出てくる「犬女」を思い起こさせる(どちらもジャネット・ウィンターソンの養母をモデルにしているらしい)。「終末はもうすぐそこよ」とか「異教徒ども!」とか「精霊に満たされているわ!」とか、非日常な会話が日常となっているから、当然のことながらジャネットは他の子供とずれて育つ。
 それでもジャネットは、母親の過ちを知るまでは、学校で浮いても「お前の母親は狂っている」と揶揄されても、それなりに幸福だった。自分の信じる世界は失われていなかったから。だが、ジャネットが女性を愛するようになってから、この閉じた幸福な世界は崩壊する。世界の中心だった母親を「精神的な売女」と言わずにいられなかったジャネットの心を思うと切なくなる。絶対的な正しさなどないと知った時、少女は絶望の塩をなめて大人へと転落する。


 愉快だが、つらい話だ。ジャネットは、ずっと心のよりどころだった場所を失い、家族と決別し、同性愛者という社会的マイノリティとして生きていくことを決めた。あるひとつのちょっと異常な、でも幸福だった世界が崩壊する、これは世界の終わりの話なのだと思う。程度の差こそあれ、幸福な子供時代の終わりは誰にとってもこんな風にやってくるのかもしれない。
 それでもなんとなく重苦しい感じにならないのは、ユーモアを交えた軽妙な語り口、そしてしたたかに生きていくジャネットの姿に心救われるからだと思う。夢の欠片を踏みしだきながら、少女は世界の向こう側へと歩く。しかし、これが自伝だということに、何度思い返してもしみじみ驚いてしまうよ。

 人間、だれしも自分を悲劇の主人公だと思いたがる。わたしだって、例外ではない。


ジャネット・ウィンターソンの作品レビュー:
『さくらんぼの性は』


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