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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『肉体の悪魔』ラディゲ

[魔に憑かれ]
Raimond Radiguet LE DIABLE AU CORPS , 1923.

肉体の悪魔 (新潮文庫)

肉体の悪魔 (新潮文庫)

僕は愛などなくてもいられるように早く強くなりたかった。そうすれば、自分の欲望をひとつも犠牲にする必要はなくなる。しかし僕は、同じ奴隷でも、官能の奴隷になるより愛情の奴隷のほうがずっとましだということを知らなかったのだ。


 あまりに早熟な才能による、恋する男の心を暴いた作品。

 ラディゲの人生はあまりに回転が速すぎた。14歳で人妻と恋に落ち、フランスの文壇や芸術家と交流を交わし、20歳で夭折した。本書は、この若い恋愛をもとにしている。

 プロットは至ってシンプルだ。第一次世界大戦のフランスで、「僕」は15の年に19歳の人妻と出会い、燃えるような恋愛をする。2人の関係はまさに炎のようで、激しく燃えあがって尽きる。こうしたごくありきたりのプロットを、最後まで飽きさせずに読ませる描写がすばらしい。

 「恋愛は究極のエゴイズム」であるという。若い男性の自負心にもとづく臆病さやエゴイズム、言い訳、身勝手さが、氷のナイフのような鋭さをもって、ぎくりと、ひやりと、突きつけられる。

僕のこうした洞察は、無知のいっそう危険なかたちだった。自分ではなんでも承知しているつもりだが、無知の別の状態に移っただけなのだ。いかなる年齢の相応の無知を逃れることはできない。

 こうした文章を書いたのが、20歳前のことである。衝動的でまるで魔に憑かれたような恋情、若さしか書けないような描写を行いながら、同時にそれを俯瞰し観察している、その二重の視線。早熟な才能とは、彼のようなことを言うのだなあと思う。荒削りだが無駄がない。最後が少し弱いのが残念。

 大戦は、子供の心から「子供らしさ」を奪っていった。猫にチーズを与えるように。ガラスは破られる。


追記:
 ラディゲはコクトーと非常に親しかった。ラディゲの死後、コクトーが悲しんで薬物におぼれるほどだったという。その薬物中毒の中、コクトーが書いたのが、『恐るべき子供たち』。喪失の悲しみと、少しらりった世界が反映された作品かなと。

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