ボヘミアの海岸線

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『コンゴ・ジャーニー』レドモンド・オハンロン

[なんだこれは]
Redmond O'Hanlon Congo Journey,1996.

コンゴ・ジャーニー〈上〉

コンゴ・ジャーニー〈上〉

コンゴ・ジャーニー〈下〉

コンゴ・ジャーニー〈下〉

「でも、マヌー、なぜラリーの言うようにしない? 霊なんて捨ててしまえ。さよならを言って、自由になれ。ラリーは正しいんじゃないのか。生活の邪魔になる霊などいらないだろう」……
「あんたたち白人って……」マヌーは私をじっと見つめた。「まったくわかってないんですね。こういうことでは子供みたいだ。ほんの小さな子供。幼すぎてわからない。そんなあなたに助けてもらいにきたなんて、ぼくは何を考えてたんだろう」


 どうやら、世界には魔法が根付いている土地がある。

 イギリスの冒険家レドモンド(通称レドソ)が、全財産を投げ打ってコンゴの湖に住む恐竜に会いに行こうとする物語。恐ろしいのは、これが小説ではなくノンフィクションだということだ。いや、むしろ本書を読んで、フィクションとノンフィクションの境目がよく分からなくなった。事実か否か、そんなことは大した問題ではないように思えてくる。本書の魔法にやられたか。


 レドソは、神経質なアメリカ人 ラリーと女好きのコンゴ人生物学者 マルセラン、お調子者のコンゴ人の助手を連れて、アフリカの川を渡り森を抜けながら、幻の湖「テレ湖」へ向かう。テレ湖に住むといわれる恐竜「モケレ・ムベンベ」を見るためだ。
 「そんな馬鹿な」というような出来事が、さらりと当たり前に起こるので、正直息をつく暇がない。
 レドソは女占い師にのっけから「お前は2か月で死ぬ」と宣告を受け、肉食アリの軍隊に荷物の中身を全部食べられる。当たり前のようにあちこちで人が死に、アフリカ人は口々に立身出世の野望を語る。政府高官は公然と賄賂を要求し、呪い師は模型の飛行機に乗って、夜中にパリまで飛んでいく。
 特筆すべきは、レドソ氏のあっぱれなクレイジーぶりだろう。三つ指のアフリカの霊との会話あたりは、もうこのやばさに惚れ惚れとしてしまった。


 アフリカの土壌には、霊の存在が染み込んでいる。皆が森の精霊の存在を感じ、祈り、恐れている。でも、レドソとラリーにはその存在が分からない。西欧とアフリカは、「よく分からないもの」への態度が決定的に違うのだと思った。「分からないなら説明しよう、説明して改良しよう」と考えるのが西欧だとすれば、「分からないものは分からない。信じて仲良くしよう」というのがアフリカだ。お互いに「分かっちゃいない、こいつらは」と思っている。
 私は近代日本に生まれたが、鬼と神が住まう土地を知っているし、理屈と科学で説明できない存在があると思っている。アフリカには、アフリカの魔法があるのかもしれない。いささか長い本書を読んでいるうちに、本当にそう思うようになってくる。

 コンラッドやルーセル、アガサ・クリスティなど、アフリカを題材にして作品を書いた西欧人は多い。だが、やはり彼らは「他人行儀」だったのだなあと思う。これらの文学作品と読み比べてみると、きっとおもしろい読書体験になるだろう。なんといったって、レドソはアフリカ人に「アフリカ人の魂がある。あなたは呪術師だ」といわれる男なのだから。


recommend:
エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」…やし酒を飲むしか能がない男の物語。ナイジェリア神話全開。
ライアル・ワトソン「アフリカの白い呪術師」…白人の青年が、アフリカで呪術師になる実話。
コンラッド「闇の奥」…アフリカに飲み込まれた男の話。「問題作」らしいが、レドソに比べたらずいぶんおとなしい。