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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『狼たちの月』フリオ・リャマサーレス

[逃走か死か]
Julio Llamazares Luna De Lobos, 1985.

狼たちの月

狼たちの月

「山の匂いがするわ」と彼女が言う。「狼みたい」
「じゃあ、ぼくは人間じゃないのかい?」


 「帰る場所」について、考えることがある。「ただいま」といえる場所、「おかえり」といってくれる存在は、おそらく人間が望んでやまないものではないだろうか? もし、家、家族、土地、友人、恋人――帰る場所をことごとく、しかも永遠に失ってしまったとしたら、人はどこまで人でいられるか。


 スペイン内乱に巻き込まれ、逃げるか死ぬかののっぴきならない状況を生き延びた男の10年。語り手アンヘルと3人の仲間たちは、敗残兵である。スペイン内乱で立ち上がった民兵はことごとく虐殺され、残兵はゲリラと化して山に逃走した。かつて暮らした村には戻れず、治安維持部隊に命を狙われる日々を生きる。洞穴にひそみ、生活の糧を得るために襲撃を繰り返す男たちは、やがて狼のように追い立てられ、うとまれる存在になっていく。

 生きるためには逃げ続なければならず、平穏をもたらしてくれるのは死しかない。そんな過酷な状況を描いた小説なのに、読後はとても切なくなった。ごく普通の若者が、心を凍てつかせて人の体温を失っていく姿が悲しい。
 主人公のアンヘルは争いを好まない穏やかな性格で、戦争以前は小学校教師として働き、人並みの恋もした。仲間や家族を愛し、人殺しに怯える良心も持つ、本当にごく普通の男なのである。しかし、かつてとなりにあった人の温みは黒く冷たい銃身に、暖かいベッドは岩と腐った水の匂いに変わっていた。

 不思議なのは、命の危機に怯えながら獣のような生活をしてまで、その土地に10年もとどまり続けたのかということ。彼はまだ「帰れる」と、かすかな希望を抱いていたのだろうか。友人をすべて失っても、人としての人生の望みを断ち切られても、まだ家族がいるからと思っていたのだろうか。だからこそ、第4部での決別は胸を打った。あの一言が、帰る場所の最後の一片を打ち砕いたのだとしたら。妹はがんばりすぎるほどがんばった。だからこそやるせない。


 印象的だった、4部の祭りの場面。

 くつろいだ気分が霧のようにぼくを包み込むが、手が拳銃に触れたとたんにその気分は霧と同じようにあっという間に消え去る。ポケットの中にあるい物体の冷たくて灰色の感触のせいで、ここにいる自分は家畜の群れの中に迷い込んだ狼のようなもので、場違いで異様な存在なのだとあらためて気づかされる。

 賞金首のお尋ね者が、久しぶりに村の祭りにやってきても、誰も周りは気づかない。アンヘルは、かつて自分がいた場所と自分がどうしようもないほど遠く隔てられてしまったことに呆然とする。

 人としての生の極北を描いた作品。目の前が真っ白になるほどの孤独とは、一体どんなものだろう。


フリオ・リャマサーレスの著作レビュー:
「黄色い雨」


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