ボヘミアの海岸線

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『異端教祖株式会社』ギョーム・アポリネール

[わたしは信じる]
Guillaume Apollinaire, L'Heresiarque et Cie,1910.

異端教祖株式会社

異端教祖株式会社

かれは心の底で、このようにして、いつかカトリシスムに代わるに違いない輝かしい一宗派を、自分は準備しているのだと思っていた。あらゆる異端の教祖がそうであるように、彼も教皇の無謬の教義を認めず、自分こそ神から教会改革の権力を授けられたもの、と信じて疑わなかった。  (「異端教祖」より)


 ピカソ展やシュルレアリスム展に行くと必ず見かける「アポリネール」の名だが、彼がこんな小説を書いているとは知らなかった。
 ローマ生まれ、ポーランドの血を引く作家による異色短編集。タイトルからして度肝を抜く本書、掲載されている短篇すべて「異端だらけ」という、なかなか名前負けしない本である。中身をのぞきこまれないか、ひやひやしながら読了。
 そもそも「宗教=うさんくさい」というイメージが定着している日本において、「異端」とくれば際物扱いの何者でもないだろう。いや実際に登場人物たちはもれなくクレイジーなのだが、「信仰とは何か」というテーマを浮き彫りにしたクラシックな作品でもある。
 宗教には絶えず「正統」と「異端」が存在する。宗教の定義はさまざまあるが、根本は「信じる心」だと思う。宗教システムへの信用がほとんど失われた現代でも、人はなかなか信じることはやめられない。数学者は「世界を数式で解き明かせる」と信じているし、無神論者は「神がいない」と信じている。人間として生きる上で、なんの信仰も持たないで生きることは、じつはとても難しい。
 で、異端の話。誰もが何かを信じるなら、それが社会一般で決められている「正統」とずれることは往々にしてある。本書の登場人物たちは、誰もが何かを信じているが、対象がことごとく「正統から外れた異端」である。


 「異端教祖」「涜聖」「教皇無謬」などは、正統カトリックからスピンアウトした神父の話。「三位一体」はゴルゴダで磔刑にされた2人の強盗とキリストなんじゃないかと神父が考える、じつに由緒正しい「異端」ぶり。
 「プラーグで行き逢った男」「オトゥミカ」「ヒルデスハイムの薔薇 あるいは東方三博士の財宝」「ピエモンテ人の巡礼」では、ある自分の妄執に取りつかれた人々が、そのまま自分の信念に基づいて突っ走る。「プラーグで行き逢った男」は、何千年も生きていると自称し、死に間際に「また例の時が来た。90年か100年ごとにかかる病気だが、すぐに治る」と言ってぶっ倒れる。実際彼が本当に長寿の人間だったのかなんて分からないけれど、この放り投げられるようなシュールな感覚はなかなかおもしろい。「オトゥミカ」は、男が女を誘拐して妻にするという風習である。本当にこういう風習あるのかな。恋に思いつめた男をなぐさめ知恵を与えるのは神父なのだが、略奪と強姦って思いっきりキリスト教義に違反してるよね? うーむ狂ってる。
 「ケ・ヴェロ・ヴェ?」は歌うたいのハンサム・ボーイが恋愛沙汰で人を殺して逃げる話。多くの会話が「ケ・ヴェロ・ヴェ(何をお望みかね)?」「ケ・ヴェロ・ヴェ(何をお望みかね)?」と歌のように繰り返される。いかにもフランス。
 「オノレ・シュブラックの失踪」「アムステルダムの船員」「贋救世主アンフォイフォン」は、奇想系。ポーぽいかもしれない。「アンフォイフォン」は、悪役の活劇譚で、「巨匠とマルガリータ」を思い出してなかなか楽しく読めた。最後のオチがいかにもシュールだったけど。
 地味に変なのが「徳高い一家庭と負籠と膀胱結石の話」。題名からいかれているが、中身もやっぱりいかれている。説明らしい説明もなく突き抜ける雰囲気はただものではない。人生で一番送られたくない指輪ナンバーワンは間違いなくこれだろう。

 シュルレアリスム、奇想シュール系が好きな人におすすめ。必ずどこかで「いかれてやがる……!」と叫べること請け合い。


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