ボヘミアの海岸線

海外文学/世界文学/ガイブンの感想・書評ブログ。

『十二月の十日』ジョージ・ソーンダーズ|ポップで過酷な選択の岐路

 あれは今まで食らったいろんなヤキの中でも最大級にきついヤキだった。最近じゃもう、加速度的にきつさを増すヤキ入れられの連続こそが自分の人生なんじゃないかと思えてくるほどだ。

ーージョージ・ソーンダーズ「アル・ルーステン」

 

この短編集には、「選択肢が限られている」人たちが多く登場する。

彼らの多くは、貯金がなかったり職業や時間の余裕がない「生活に余裕がない人」たち(いわゆる社会的弱者)、あるいは監獄にいれられたり、緊急事態に遭遇したりして「物理的に選択肢が限られている人」たちだ。

余裕がある人は「今は余裕がないから後にしよう」と選べるが、余裕がない人は「1回休み」の手札を持っていない。だから彼らは、状況が悪くなりそうでも、少ない手札の中からなにかを選択する。

十二月の十日

十二月の十日

 

「たとえばミスター・バグアウトというピエロさん。この人は学校を回ってバルーン・アートをやっているんだけど、まず風船でクラックのパイプの形を作ってから、それを棺桶に変えてみせるのが、ほんとにうまい! って感じなの!」

ーー「アル・ルーステン」

選択した結果は、かならずしもいいものだとは限らない。むしろ読者が予想するように、物事は悪くなりがちだ。それでも登場人物たちは、ハッピーエンドと幸運を望んで、なにかを選んで行動する。

その願いへの道筋が、垂れ流しの妄想独白となって、ページをおおいつくす。幸運と成功の未来、成功者へのねたみと罵倒、自分がこうなってしまった理由、劣等感、ユーモア、自虐が混沌とまざりあった、ポップでヘドロな感情の大渦がだだ漏れる。

この語りのスタイルは圧倒的で、いくつか作品を読むと「きたきたソーンダーズ節」と思えるようになってくる。

額入りの、画家の直筆サイン入りの本物のアートがなぜうちにはない?(自分メモ:若い画家と知り合いになるのはどうか? その画家がうちに遊びに来る、おれたちの人柄にすっかりホレこむ、そして家族の肖像がをタダで描いてくれる、とか? だが額装するにも金がかかる。画家がおれたちの人柄にホレこんだあまり、額も一緒にくれるとか? それもひっくるまてあプレゼントとして?

いつかはきっと夢がかなうはずだ。でも一体いつ? なんで今じゃないんだ? なあ?

ーー「センプリカ・ガール」

おれが何をやったたって速攻でばれて、ヤキを入れられるんだ。知るに隠れて浮気したときも速攻でばれて、ジルに婚約解消されたあげくにチャーリーと浮気された。あれは今まで食らったいろんなヤキの中でも最大級にきついヤキだった。最近じゃもう、加速度的にきつさを増すヤキ入れられのれのくこそが自分の人生なんじゃないかと思えてくるほどだ。

ーー「アル・ルーステン」

こうした脳内独り言と妄想は、私自身も身に覚えがある。現実がつらくて疲れ切っている時には、都合のいい理想にひたって、現実の対峙をなるべく引き伸ばして遅らせたい。

とはいえ現実は過酷で、選択の岐路は容赦なく迫ってくる。「センプリカ・ガール」で、カードの引き落し綱渡りとローン明細が容赦なくやってくるくだりは胃が痛くなった。

いつかはきっと夢がかなうはずだ。でも一体いつ? なんで今じゃないんだ? なあ?

登場人物たちは、疲れ切って、心が折れそうになりながらも、理想を夢見て、現実を罵倒して、立ちはだかる壁にむかって全速で走って叫ぶ。

 

登場人物たちは選択肢の少なさに苦しむが、それは彼らが努力を怠っているからではない。むしろ彼らはがむしゃらに、まじめに生きようとしている。それでも、運の悪さや社会構造によって、がんばっても報われない。

それゆえか、著者はいくつかの短編で、救われるバージョンの結末を用意している。救われるバージョンは、ご都合主義ぽさはあるものの、救いのない話ばかりにしたくない著者の気持ちはわかる。

だから私は、帯とあとがきにある「ダメ人間」という言葉がしっくりこなかった。これほど負け戦でもどうにか向き合おうとしている真面目な人たちが「ダメ人間」扱いされる世界は、酷ではなかろうか。それとも私が考えるダメ人間がダメすぎるのか(それは残念なことに事実である)、はたまた私がダメ人間だからだろうか?

 

なんで踊るのか? 理由なんてない。

ただ、生きてるからなんだろう。

ーー「スパイダーズヘッドからの逃走」

 

収録作品

気に入った作品には*。

ビクトリー・ラン

脳内妄想の垂れ流し文体に最初にぶちあたる作品。一瞬の判断をせまられる状況で、少年は走る。この頭がわーっとなる感覚が文章から伝わってくる。

棒きれ**

2ページの短編。父親が庭にある十字架をひたすら飾りつける。まったくの役に立たないこの感じ。このビジョンだけでときめいてしまう。

子犬

子犬を欲しい家族と、子犬を手放したい家族の話。それぞれが自分のことを「いい親」だと思っている。多くの「毒親」と呼ばれる親たちもそうだ。だが、人の事情はわからない。人の脳内はお互いにわからない。

スパイダーヘッドからの逃走*

人間の恋愛感情や苦しみをすべて薬物でコントロールする世界線の話。人間の感情が分泌物質によって変容することはすでによく知られた事実で、設定としては目新しいものではないが、語り口が残酷愉快なので、印象に残る。薬剤に全部「TM」(trademark:特許)が入っていて、深刻な場面でもずっとTMが目にはいってくるので、深刻さとバカバカしさが入り乱れることで奇妙さを出している。

訓告*

やりがいがあります!すばらしい職場です!アットホームでフレンドリー!をアピールしそうな、ブラック職場での訓告メール。彼らのやっている仕事がわかりそうでわからなくて恐ろしい。

アル・ルーステン***

チャリティーショーで、奇妙な格好をして私物を販売する男の物語。最初から最後までばかばかしく、冴えない雰囲気でよい。自分で自分を追い詰めて、頭がわーっとなるあたりの妄想ぶりも平和である。本書の中でいちばん好きだった。

センプリカ・ガール日記**

「スパイダーズヘッドからの逃走」と双璧をなす、ディストピア小説。「人並みでありたい」「皆やっている」という比較は、時に人を幸せにし、時に人を破滅させる。「いい親でありたい」という善意が発端なので、なおのことつらみが増す。おそらくビジョンとしては最も強烈で、映画化されるとしたらこれだろう。

ホーム**

戦争から帰ってきた帰還兵が、「貧乏な実母のホーム」から「裕福な妹のホーム」を歩いて、その格差が浮き彫りになる。家を追い出されるレベルの生活と、裕福で子供を持てるレベルの生活が同居する世界。帰還兵だからと敬意を払われても、生活が立ちいかなければ、荒れる。貧困にうまれた人の怒りがストレートに伝わる。派手な設定や語りはないが、静かに叫ぶタイプの作品で、あとあとになって好きになった。

わが騎士道、轟沈せり

「パストラリア」を彷彿とさせる、「中世テーマパーク」で働く男性の独白。薬を飲んだらセリフが激変するあたりは「スパイダーズヘッドからの逃走」とも似ている。

十二月の十日

「ビクトリー・ラン」と対をなす、人のために走る中年男の話。自分を助ける気力がない人でも、人のために走ったらなにか変わるかもしれない。そんな著者の思いがわりとストレートに出ている作品だった。

 

Related books

ソーンダースの弟子(大学でソーンダースの文学抗議を受けていた)による短編集。アフリカ系アメリカ人の目線から見たアメリカン・ディストピア。語りの雰囲気も似ている。それにしてもソーンダースもナナ・クラメもふたりともゾンビ小説を書いていておもしろい。

 

同じ岸本さん翻訳。脳内妄想によって自己防衛して、リアルな他者との対峙をしなかった女性が、強制的に他者と向き合うことによって、自分の箱庭から抜ける話。読書会で、終わり方が賛否両論あったが、私はここまで突き抜けたなら、いいかと思うようになった。岸本さんは、脳内妄想人間小説が好きらしい(私も好き)。

 

麻薬中毒者や監獄常連といったアメリカの「ファックヘッド(ど阿呆)」たちの日々と心情を、ナイフみたいな言葉で描く。デニス・ジョンソンの文章にも笑いがあるが、もっとドライで、瞳孔が開いている感じがする。

 

 

 イギリスの貧困地域グラスゴーで生まれ育った著者による、怒りの書。貧困層が問題になっても、だいたいが「サファリ」のように見物されるだけであると厳しく指摘している。本書を読むことも、ある意味ではポバティサファリではないか、と思った。知らないことを知ることは重要だが、知ってもなお行動しないなら、それはサファリと思われてもしかたがない。最近はこういうことをよく考えている。