ボヘミアの海岸線

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

『『白鯨』アメリカン・スタディーズ』巽孝之|アメリカを『白鯨』で読み解く試み

かつて、世界が鯨で廻っていた時代がありました。……鯨がすべてのエネルギー源として世界全体を作りあげ、地球全体を回転させていた時代が確実にあったのです。

――巽孝之『『白鯨』アメリカン・スタディーズ』

 

私は『白鯨』が好きだ。アメリカ南部小説を読みながら北部と南部の歴史を横断していると、やはりどこかで『白鯨』にめぐりあう。ひさしぶりに『白鯨』成分を摂取したくなって、『白鯨』をアメリカ史の文脈で読み解く本書を手にとった。

 

『白鯨』アメリカン・スタディーズ (理想の教室)

『白鯨』アメリカン・スタディーズ (理想の教室)

  • 作者:巽 孝之
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2005/07/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

本書は3つの講義にわかれている。

  • 第1回:世界はクジラで廻っていた
  • 第2回:恋に落ちたエイハブ船長
  • 第3回:核の文学、文学の核

「第1回:世界はクジラで廻っていた」は、鯨が衣食住をまかなう「エネルギー源」として世界を回していたこと、メルヴィルが生きた19世紀当時の北部やニューヨーク、ナサニエル・ホーソーンやメルヴィルによる「アメリカ・ルネッサンス」など、当時の文化背景がわかる。

かつて、世界が鯨で廻っていた時代がありました。……捕鯨船は比喩ではなく文字どおり、全地球をめぐる巨大な情報網を織りなしていたのです。しかも捕鯨船が捕獲する鯨たちの鯨油や鯨肉や鯨鬚、鯨骨を利用することで、食料はおろか衣服や建物までが…衣食住のすべてが、保証されていました。鯨がすべてのエネルギー源として世界全体を作りあげ、地球全体を回転させていた時代が確実にあったのです。

やはり世界は鯨だったのだ!

 

一方、それ以降の展開では、話が分散したり飛躍していると感じたり、納得しづらいところがあった。2回では『白鯨』の話ではなく、『白鯨』の映画や漫画、演劇にかなりのページ数をさいている。『白鯨』本体に切りこまないまま、第2章からいきなりオマージュ作品を取り上げる必要があるのかわからない。

また、『白鯨』本文に「大接戦をきわめるアメリカ合衆国大統領選挙」「アフガニスタンにて血みどろの死闘」と書いてあることから、21世紀アフガニスタン戦争を幻視したり、ブッシュ政権の問題を語ったりと、飛躍とこじつけがあるように見える。

テロの時点からきっかり150年も前の長編小説に「大接戦をきわめるアメリカ合衆国大統領選挙」も「アフガニスタンにて血みどろの死闘」もともに「神によって仕組まれた壮大なる出し物」としてプログラミングされているわけですから、いまの視点で読めば、ここに当時のブッシュ大統領をめぐるスキャンダラスな当選問題とオサマ・ビン・ラディンの政治的謀略を幻視しないわけにはいきません。

イギリスによるアフガニスタン侵攻は、『シャーロック・ホームズ』のワトソンも従軍した設定があるし、大統領選に限らず権力闘争はいつだって疑惑と接戦にまみれている。「神によって仕組まれた出し物」という演劇手法は、シェイクスピアなどよく見られる手法だから、ここまで劇的に考える必要があるのかと思う。

これがアメリカ的パラノイアなのだと言われれば納得するが、そういう真顔ギャグでもなさそうなので、どうにも反応に困る。

 

さらに疑問だったのが「アメリカの復讐への探求」について。第3章で、著者は、『白鯨』は捕鯨小説であると同時に復讐小説であり、この精神が、第二次世界大戦後の核兵器の論理で動く「パクス・アメリカーナ」の時代まで一気に結ばれている、と語る。9.11の報復としてアフガニスタンやイラクを攻撃した理由を、著者は「復讐の論理」から読み解いている。

個人的恥辱を晴らす「復讐の論理」が国家的屈辱を晴らす「正義の論理」と表裏一体を成すシステムを考えてみれば、たとえば9.11同時多発テロからイラク戦争にかけて、国連の言うことも聞かず軍事力にものをいわせようとしたアメリカ合衆国に、いったいどうしてかつての帝国イギリスがすなおに付き従ったのか、その理由も説明しやすくなります。

私の理解では、アメリカが第二次世界大戦後に積極的に他国に軍事介入しているのは、地政学におけるシーパワー理論、ランドパワー理論に基づいて、要所に基地を置いて自陣を広げて敵国(当時はソ連および社会主義国だった)を牽制するためだ。

復讐するために攻撃するのではなく、経済的・政治的有利性を得るために攻撃する。「復讐」「報復」は、納得感と正当性を主張する国内向けプロパガンダにすぎない。

また、北欧神話やローマ神話の時代から、すべての戦争は「経済的利益」と「復讐」が絡み合っている。そうでなければ、世界中が報復合戦にならないだろう。「復讐する正義がある」と考えるのは、アメリカだけではない。

このように「それはアメリカだけではないのでは」「文学的に戦争をとらえすぎで多角的でないのでは」と疑問を感じることがあり、納得感をいまいち覚えないまま読み終えた。

おそらく著者は、19世紀の小説を20世紀21世紀につなげて読むことで、『白鯨』の普遍性を見いだし、現代の読者に身近に感じてもらいたいのだろうと思う。本書は、わかりやすい入門書を目指す「理想の教室」シリーズの1冊だから、このような構成になったのかもしれない。しかし入門書と呼ぶには専門用語が多いし、飛躍する論理のつなぎとして『白鯨』が引用されているように思えた。

19世紀アメリカの背景と精神史の一端を知ることができたのはよかったが、半分以上が疑問だった。政治も文学も人間の営みなので、政治と文学を結びつけて読み解くことじたいはわかるが、政治経済の認識があまり現実的ではなく、とくに経済の視点がほぼないように思えた。おそらく世界観が合わないのだろう。『白鯨』の臓腑にとりこまれたかったが、いまいち没入できなかったので残念。

 

 

Recommend

10年前に『白鯨』を読んだ時、世界のすべてを鯨で説明しようとする狂気じみた世界に圧倒された。キャラクターも際立っていていい。

 

『白鯨』が好きすぎて『ニンジャスレイヤー』文体にした謎のエントリ。

 

戦略の地政学 ランドパワーVSシーパワー

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 地政学は、戦争文学を読むうえで助けになるので、文学読みにおすすめしたい。なぜあの国があの国を攻撃し、あの国には甘いのか、といった全体像が見えてくる。