ボヘミアの海岸線

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

『死に山 ディアトロフ峠事件の真相』ドニー・アイカー|ロシア史上最も謎に満ちた怪死事件

「もし神にひとつだけ質問できるとしたら、あの夜、友人たちにほんとうはなにが起こったのか訊きたい」――ユーリ・ユーディーン

 

ディアトロフ峠(死の山)事件は、いろいろな意味で異常かつ奇怪な事件だ。

60年前の真冬にウラル山脈にある通称「死の山」で、経験豊富な学生トレッカー9人が死んだ。彼らは、安全なテントから遠く離れた場所で死んでいた。ほとんどの人がまともに衣服をつけておらず、裸足の人もいた。さらに死んだ何人かの頭蓋骨はたたきわられ、1人の遺体には舌がなかった。

遺体の状態は異常としか言いようがないが、こうなった「状況」もまた不可解すぎた。9人は全員が経験豊富なトレッカーであり、テントから出てマイナス30度の冬山に出れば絶対に死ぬとわかっていた。にもかかわらず、彼らはまるで「なにか」から逃げ出すようにテントから飛び出して死んだ。しかし、その「なにか」がわからない。ソ連当局が早々に捜査を打ち切ったこと、極秘情報にしたことも、謎に拍車をかけた。

最終的なソ連の調査報告はこうしめくくられる。「彼らは未知の不可抗力で死亡した」。こうして、ディアトロフ峠事件は「ロシア史上最も謎の事件」として名をとどろかせることになる。

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

 

 

本書は、アメリカ人のドキュメンタリー映画製作者が、ディアトロフ峠事件の謎にとりつかれて調査したノンフィクションだ。

著者は、インターネットに出まわっている資料や仮説を読むだけでは飽き足らず、貯金をほぼ投げうってまでロシアへ向かい、遺族や友人たちへインタビューしたり、事故現場に足を運んだりして実施調査を行った。

 

60年前、いったいなにがあって、マイナス30度の雪山へ逃げようとしたのか。

この「情報の空白」を埋めるため、人々はさまざまな憶測を立てた。雪崩、突風といった自然現象だけでなく、先住民や暴徒の攻撃、軍事実験や核実験(いかにも冷戦時代らしい)などの陰謀論、宇宙人やUFOやイエティといったオカルトまで、あらゆる説が飛び交った。

「不可能を消去していけば、どんなに突拍子もなく見えたとしても、あとに残った可能性が真実のはずだ」というシャーロック・ホームズの法則を引用して、著者は収集した情報をもとに仮説を検証して、そして自分なりの仮説にたどりつく。

 

 著者が提案している仮説は、数ある仮説のひとつにすぎないが、現地まで足を運び、遺族からの証言を得て、自然現象の専門家に意見をあおぐ行動を伴っている点で、インターネットに出回る机上の仮説とは異なっている。ここらへんはドキュメンタリー制作者としての経験によるものだろう。

さらに、本書は死んだ9人たちの日記を大量に引用して、被害者をただの被害者としてデータのように取り扱うのではなく、人間らしい生活を再現している。日記からは、ソ連の若者がいかに登山や学生生活を楽しんでいたかがうかがえる。

なにより、ディアトロフ峠事件にたいする情熱は、鬼気迫るものがある。著者は、ロシア人から「アメリカには未解決事件がないのですか」と聞かれたり、家族から「なんでそんなことをするの」と質問を受けるほど、この事件にのめりこんでいる。著者はこの問いにうまく答えられないまま、自身とまどいながらも突き進んでいく。

この狂気に近い情熱がなければ、本書はうまれなかっただろう。山にせよ謎にせよ、人類が見知らぬものには、人を虜にさせるなにかがある。

 

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ディアトロフ峠事件は、21世紀になってもなお未解決の事件だ。2019年、ロシア政府が事件の再調査をすると発表した。