『島とクジラと女をめぐる断片』アントニオ・タブッキ
[難破船のような物語の断片]
Antonio Tabucchi Donna di Porto Pim,1983.
- 作者: アントニオ・タブッキ,須賀敦子
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2009/12/24
- メディア: 単行本
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火を吐く山々、風、孤独。16世紀、ここに最初に上陸したポルトガル人の1人は、アソーレス諸島についてそう書いている。
ポルトガルをこよなく愛するイタリア人作家が書いた、果ての島にまつわる物語の断片たち。この本を「短編集」と呼んでいいのかどうか分からない。書物というよりは、砂浜に流れ着いたボトルメールに似ている気がする。
難破船の甲板に座りながら、一面青の「無音の風景」をずっと眺めているような、不思議な読後感にとらわれた。読了してからしばらく経った時の方が印象深くなる。だから、この本の感想を書くのはとても難しい。感想は、文章ではなく印象として残る。須賀敦子さんの名訳と相まって、よけいにそう思うのかもしれない。
「難破、船の残骸、海路、および遠さについて」
「アソーレス諸島のあたりを徘徊する小さな青いクジラ」は、外国から来た作家の男と恋人の女が、船の上で会話をする話。小さな「島」だと思っていたものが、実は青い小さなクジラだと知った時の驚き。「女が、そっと、ほんとうにそっとたずねた」「女が少し笑った」など、映画のようなワンシーンの切り取り方がいい。
いくつかの断片を集めた「その他の断片」で最も気に入ったフレーズを下に引用してみよう。
ほっそりした、きゃしゃな船体は最高級の材料で造られている。これまでかなり航海の経験をつんでいるにちがいない。偶然、この港にやって来た。旅はすべて偶然だ。船の名前は<<紺碧のひびき>>。
「クジラおよび捕鯨手について」
クジラにまつわる物語。当然のことながら、『白鯨』を思い出す(実際、本文の中で引用されている)。「捕鯨行」では、死にかけのクジラの体を沖にまでひっぱっていく船の様子が印象的だった。大きい体に見合うだけ、死はゆっくりと訪れる。「眠りこけて、ただの黒いかたまりに成りはてた不動の肉体を乗せた船は、海面を幽霊船みたいに滑って行く」。
本書の中で一番の断片は、「ピム港の女」だと思う。居酒屋の歌い手が語る、女の物語。ウツボ釣りの時に歌う「魚を呼びよせる言葉のない歌」の下りが気に入った。居酒屋の歌い手がかつてウツボのために歌った歌は、すでに失われている。何か大事なものを失った人特有の「陽気な諦め」が、作品全体を青く静かな印象にひたらせている。
何も考えずに、ゆらりぷかぷかと文字の海を浮かんでいたい1冊。何気に、クジラの目線から人間を眺める「あとがき」の趣味がいい。
クジラから見れば、「人間ほどせわしなく、悲しそうな生き物はいない」。そうかもしれない。
アントニオ・タブッキの著作レビュー:
『供述によるとペレイラは…』
『インド夜想曲』
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