ボヘミアの海岸線

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『イエメンで鮭釣りを』ポール・トーディ

[逆流をのぼれ]
Paul Torday Salmon Fishing in the Yemen,2007.

イエメンで鮭釣りを (エクス・リブリス)

イエメンで鮭釣りを (エクス・リブリス)

信じる心がなければ、希望はない。信じる心がなければ、愛はない。


イギリス作家が描く、奇想天外ユーモア小説。ボリンジャー・エブリデイ・ウッドハウス賞という、ユーモア小説に与えられる変な賞がある(賞品として、ウッドハウス作品全52巻と、作品の名前がつく豚!が送られる)。さすがユーモアを全力で愛する国だ。

さて、本書は題名の通り、「イエメンで鮭釣りをするプロジェクト」をめぐる、ドタバタ劇。イエメン、こんなところである。どう考えても、イエメンに鮭は似合わない。しかしイエメンの豪商シャイフは、金の協力は惜しまないからと、プロジェクトを依頼する。鮭プロジェクトは進行する。それぞれに、やらなければならない諸々の理由を抱えながら。


主人公は、まじめな水産学者のジョーンズ博士。ほか、ゆかいな仲間たち。それぞれのキャラクターが、おもしろいぐらいに戯化されて描かれている。ジョーンズ博士は流されっぱなしで、望んでもいないのに鮭プロジェクトの中心にすえられ、妻には捨てられ、しかし次第にプロジェクトにのめりこんでいく。へなちょこ学者が、だんだんとイキイキとしていく様は、まるで水を得ていく魚のようである。

脇役のキャラクターもふるっていて、特に神がかった印象を持つシャイフと、典型的官僚のピーター・マクスウェルは本当におもしろい。あと、ばりばりキャリアウーマンのメアリ(妻)も。シャイフのキャラクターは、アラブを美化しすぎている気がしなくもないが、見ていてとても気持ちがいい人。一方で、マクスウェルの幼稚ぶりにはあきれ果てる。彼の考えるラジオ計画のセンスのなさすぎさには苦笑するしかない。

「本当に、イエメンに鮭が泳ぐかもしれない」と読んでいる最中に思い始めたら、それはシャイフの影響かもしれない。鮭が逆流をのぼるように、人々もまた逆流をのぼることができる。シャイフはそう信じて、プロジェクトに望んでいるのだ。そう、へんてこな小説、ブラック・ユーモア小説でありながら、この話は「信じる」ことについての小説でもある。

「アラブの信仰世界」と「西欧諸国の消費世界」という単純化した二項対立はどうなの、とか、信仰と無邪気と無謀の差異についてとか、いろいろ思うところはあるのだが、なかなかよいユーモア小説だと思う。メールやら審問やらの抜粋から物語の全貌が見えてくる、という手法は読んでいて楽しかった。特におえらいさんの本音ばりばりの品のないメールが、すさまじい政治的解釈を経て、立派な通知書として出てくるあたりは、「いかにもありそう」で笑える。

イエメンで鮭? そんなばかな、と興味をひかれたらぜひ一読。「私はそれを信じる。なぜなら、それが不可能だからだ。」 


関連リンク:
エクス・リブリス


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