ボヘミアの海岸線 - 海外文学の感想

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

『ペテルブルグ』アンドレイ・ベールイ

走り去る大通りの無限があり、それとともに走り去る交差する幻影の無限がある。全ペテルブルグがn乗された大通りの無限なのである。ペテルブルグの向こうには――何もない。

幻影の都市

ペテルブルグ(上) (講談社文芸文庫)

ペテルブルグ(上) (講談社文芸文庫)

ペテルブルグ(下) (講談社文芸文庫)

ペテルブルグ(下) (講談社文芸文庫)

 20世紀ロシアを代表する作家による、ペテルブルグ文学。

 ペテルブルグは、いつも霧が立ち込める、幻影の都市だ。自然環境としては、あまり都市向きではなかった沼地に、ピョートル帝が多くの犠牲を払って作り上げた。ペテルブルグはエルミタージュ美術館など、ロシア芸術の都として有名だが、文学的にも魅力ある都市だったようで、ロシアの名だたる文豪が、「ペテルブルグ文学」を書いている。
 本書で描かれる「ペテルブルグ」では、赤いドミノを着た男が徘徊し、テロと陰謀が渦まき、幻が現われては消える。いったいどういう都市なんだと、いやがおうにも想像力は踊る。

ペテルブルグ――それは夢である。

 長かった!そして翻弄された。そもそも、ナボコフが『ユリシーズ』『変身』『失われた時を求めて』とともに、20世紀初期を代表する傑作としてあげたということからして、きなくさい。ある程度の覚悟はしていたが、予想にたがわず、いろいろ飛んでいる話だった。


 700ページ近くかけて、一昼夜の出来事を描いている。幻の都市ペテルブルグで、テロが計画される。主人公ニコライのもとにいわしの缶詰が届けられるが、それはじつは爆弾で、標的はニコライの父アポローンを暗殺するためのものだった。「父殺し」との葛藤に震えながら、しかし時限爆弾のねじが巻かれていく。

 物語の大枠は、「爆弾」と「陰謀」なのだが、そこに絶えずペテルブルグの幻想が割り込んでくる。騎士の像がうろつき、「エンフランシシ」というまったく意味のない記号から幻影の人間が生まれ、テロの計画は誰がたてたのかがあいまいになっていく。主人公は主人公で、いかにもおぼっちゃまの文学青年らしく、どことなく神経質で頼りない。赤い仮面をつけて街をうろつき、好きな女性の前でずっこけて、ズボンのひもが見えてしまい、幻滅される。父親は父親で、ニコライを愛したり軽蔑したり、「頭脳の戯れ」をしたりと忙しい。

ペテルブルグは四次元なのだ。地図の上には記されてはいない。点で記されるにすぎない。だがこの点は、存在の平面と、巨大な星気体の霊的宇宙の球体表面との接点なのだ――。

 ペテルブルグという異様な都市が、人も頭脳も物語も飲み込んで、膨大なテキストとして流れ出てできたような作品だった。重層世界、多重読解、幻想文学に、ある程度慣れている人向けの本かと思う。ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』で、ロシアの幻想文学に驚かされ笑わされたが、本書も負けず劣らずやってくれる。ブルガーコフが「魔術的で乱稚気騒ぎ」なら、ベールイは「幻想的でぼかされる」雰囲気だ。

 幻想の都市に彷徨う、境界が分からなくなる、時限爆弾の針は止まらない。

recommend

ペテルブルグ文学、そのほか。
ゴーゴリネフスキー大通り』・・・ペテルブルグの大通り。
トルストイ『アンナ・カレーニナ』・・・ペテルブルグの社交界
プーシキン『青銅の騎士 ペテルブルグの物語』・・・本書にも幻影として登場。
ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』・・モスクワでやりたい放題。
Андрей Белый Петербург,1916.