ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『あまりにも騒がしい孤独』ボフミル・ フラバル|笑う不条理

 人間、追いつめられてぎりぎりになった状態でも、最後まで執着するものがあるという。食事の話題、美しさ、そしてユーモアだ。

 ナチスの絶滅収容所から生き延びた心理学者、V.E.フランクルの著書『夜と霧』で、こんなことが書いてあったことを思い出す。どんづまりだからこそ笑いが必要で、悲劇だからこそ喜劇になる。東欧の風土も、そんなところがあるかもしれない。上からも下から攻められ、分割されるという不条理に翻弄されながらも、そこで生き抜くしたたかさがある。笑い飛ばさなければやっていられない、生きるためのユーモアである。

 主人公のハニチャは35年間、故紙処理係という仕事をしている。検閲で「不要」とみなされた本を、くる日もくる日も、水圧式のプレスで押しつぶしてキューブにする。言論弾圧の遂行人でありながら、彼は美しい本を拾い上げては読むことを楽しみとしている。

 ハニチャは孤独で、友人はいないし、恋人もいなくなってしまった。しかし毎日、膨大な数でやってくるテキストの山に埋もれ、ねずみどもと生活して、孤独なのにちっとも静かではない。灰色のコンクリートの部屋で、シェイクスピア、ゲーテ、カフカの言葉たちがちりぢりになって宙を舞う。言論弾圧の犠牲者たちは一千万の紙吹雪となって、弾圧の遂行者を祝福する。

 「ぼくは心ならず教養を身につけてしまっている」、「まったくもって、この仕事をするには、神学校で教育を受けたほうがいい」とつぶやく言葉には、ハニチャの矜持と絶望がある。悪臭を放つ地下の仕事場にこそ、教養があり、神学がある。この主張は狂っているように見える。しかし、世界のほうが圧倒的に狂っている。フラバルが生きた第二次世界大戦と冷戦は、そういう時代だった。

 貴重本や古書が、容赦なくつぶされていくのを見て、なんど絶叫しそうになったことか。本を愛するハニチャが本を殺す不条理を、滑稽さの混じる語り口で語る。そのコントラストがすばらしい。

 本好きなら叫ばずには、そして愛さずにはいられないだろう作品。


recommend:
松籟社『東欧の想像力』シリーズ。
>ダニロ・キシュ『砂時計』…手紙から構成される物語。
>エステルハージ・ペーテル『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし』…カルヴィーノ『見えない都市』東欧版。

Bohumil Hrabal Příliš hlučná samota ,1977.