ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『ライ麦畑でつかかまえて』J.D.サリンジャー

[ぼくは行かなきゃならない]
J.D.Salinger The Catcher in the Rye ,1951.

キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ

「相変わらずのコールフィールドだ。いったい、いつになったら大人になるんだ?」


 アメリカの「永遠の青春小説」と呼ばれる小説。
 本書の主人公、ホールデン・コールフィールドは、友人や先生、学校、女の子、まわりにいるあらゆる人々にたいして、ホールデンは一言物申す。「どうしようもない」だとか「だらしない」とか「がまんできない」だとか。同じくらい、自分のことも言う。「弱い」「勉強が出来ない」「狂っている」などなど。……実際、彼は「文武両道、かっこいいヒーロー」とはまさに対極に位置している。

 最初は、文句ばかり言うやつだし、絶対に友達になりたくない、と思っていたが、唯一ホールデンが悪く言わない妹フィービーとの会話あたりで、「ああそうか」と思えてきた。
彼は確かに周りに悪態はつくが、だからといって他者のことを忌み嫌っているわけではないし、世界を呪っているわけでもない。欺瞞、偽善、うそくささ、そういったものへ反発しているのだ。「いんちきくさい」ものへの反発はむしろ、曲がったことをなあなあにできない純粋さからきている。そう思えると、一気にホールデンに親しみがわいてくる。なんといっても、妹フィービーが妙にかわいいので、彼女の存在でだいぶ救われた。きっとホールデンもそうなのだろう。

「ねえホールデン、友達にげっぷのやり方を教わったの。聞いてくれる?」


 翻訳について。上梓当時、ホールデン・コールフィールドのぶっちゃけた若者語が新鮮だったらしい。そのせいか、訳問題でいろいろ議論がある。
 野崎訳はそのブロークンな口調の雰囲気をうまく出そうとしているけれど、いかんせん言葉が古い。村上訳は現代っぽいが、村上氏の口調が前面に出ていて、こちらはこちらで論争の的になっている。両方読んでみて、どちらかといえば、「ライ麦」ぽいのは野崎訳かなと思った。ホールデンの「I'm crazy」気質は、村上氏だとどこかすかした感じがした。原書がどういう雰囲気なのかはわからないので、いつか読んでみたい。

 規律による単純さを嫌い、無駄や脱線を愛する少年は、さてどんな大人になりたいか? 彼は答える。

僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」

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