ボヘミアの海岸線 - 海外文学の感想

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

☆☆☆☆

人に勧めたい、好きな本。

荒野と呪術の子供たち|『蜂工場』イアン・バンクス

どの人生も象徴をかかえこんでいる。人の行為はどれをとってもひとつの宿命の波紋に属していると、ある程度は言えるだろう。…<蜂工場>はそうした宿命の波紋の一環だ。なぜなら、それは生の一断面であり――むしろそれ以上に――死の一断面だからだ。 ――イアン…

誰にも話せなかった傷と痛み|『自転車泥棒』呉明益

「まあ、ふたりとも、自分の人生のねじをどこかで落としてしまったんだろう。自分のことが、自分でもわからない」 「会話のスイッチが壊れているんだ」 「そう、壊れている」 ーー呉明益『自転車泥棒』 話せなかった傷と痛み 痛ましい出来事によってうまれた…

ナイフと脳が飛んでゆく|『死体展覧会』ハサン・ブラーシム

「君は震えているな」 −−ハサン・ブラーシム『死体展覧会』 暴力と殺戮と幻視 イラク生まれの作家ハサン・ブラーシムは、混濁したイラクの日常を煮詰めて、澄み切った暴力の結晶として描く。暴力の結晶たちが赤黒い光を放って乱反射して、血と脳髄とナイフが…

麻薬中毒者は祈る|『ジーザス・サン』デニス・ジョンソン

何をしたらいいのか、こいつにはどうやってわかるのか? 俺の目の端に映る美しい女たちは、俺がまっすぐ見ると消えた。外は冬。午後には夜になる。暗い、暗いハッピーアワー。俺にはルールがわからなかった。何をしたらいいのか、俺にはわからなかった。 ー…

人間扱いされない世界|『こびとが打ち上げた小さなボール』チョ・セヒ

天国に住んでいる人は地獄のことを考える必要がない。けれども僕ら五人は地獄に住んでいたから、天国について考え続けた。ただの一日も考えなかったことはない。毎日の暮らしが耐えがたいものだったからだ。 −−チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』…

最低な世界は最低だ|『野蛮なアリスさん』ファン・ジョンウン

まだ落ちてて、今も落ちてるのだ。すごく暗くて長い穴の中を落ちながら、アリス少年が思うんだ、ぼくずいぶん前にうさぎ一匹追っかけて穴に落ちたんだけど……そんなに落ちても底に着かないな……ぼく、ただ落ちている…落ちて、落ちて、落ちて……ずっと、ずっと………

境界の向こうに行った人|『菜食主義者』ハン・ガン

ふとこの世で生きたことがない、という気がして、彼女は面食らった。事実だった。彼女は生きたことがなかった。記憶できる幼い頃から、ただ耐えてきただけだった。 −−ハン・ガン『菜食主義者』 境界の向こうに行った人 人間という業の深い生物にうまれ、不幸…

彼は怪物の詩人|『はるかな星』ロベルト・ボラーニョ

誰にも見られずに落ちていく星はあるのだろうか。 −−ロベルト・ボラーニョ『はるかな星』 怪物の詩人 「誰にも見られずに落ちていく星はあるのだろうか」。フォークナーの詩から始まる『はるかな星』は、チリの詩人たちにまつわる物語だ。チリは「石をどけれ…

命の炎が燃え上がる|『火を熾す』ジャック・ロンドン

犬の姿を見て、途方もない考えが浮かんだ。吹雪に閉じ込められた男が、仔牛を殺して死体のなかにもぐり込んで助かったという話を男は覚えていた。自分も犬を殺して、麻痺がひくまでその暖かい体に両手をうずめていればいい。そうすればまた火が熾せる。 ——ジ…

世界に爪痕を残す|『冬の物語』イサク・ディネセン

ペーターはなんとなく察しをつけた。不滅という言葉は、こういう状態のことを言うのだろう。もう、これから先も、過去のことも、考えるのをやめた。この時間だけが彼をとらえた。ーーイサク・ディネセン『冬の物語』「ペーターとローサ」 世界にかすかな爪痕…

『舞踏会へ向かう三人の農夫』リチャード・パワーズ

写真を見るだけで、三人が舞踏会に予定どおり向かっていないことは明らかだった。私もまた、舞踏会に予定どおり向かってはいなかった。我々はみな、目隠しをされ、この歪みきった世紀のどこかにある戦場に連れていかれて、うんざりするまで踊らされるのだ。…

『移動祝祭日』ヘミングウェイ

「もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ」 ーーアーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』 どこまでもついてくる祝祭 世の中には…

『侍女の物語』マーガレット・アトウッド

わたしたちは二本の脚を持った子宮にすぎない。聖なる器。歩く聖杯。−−マーガレット・アトウッド『侍女の物語』 抑圧胃痛ディストピア 2017年、Huluがディストピア小説『侍女の物語』をドラマ化して人気を博しているという。トランプ政権になって『1984年』…

『パラダイス』トニ・モリスン

彼を怒らせたのは、この街、これらの住民たちの何だろう? 彼らが他の共同体とちがうのは、二つの点だけだ。美しさと孤立。−−トニ・モリスン『パラダイス』 楽園で育つ殺意 自分がいる共同体に不満を抱く人間、なじめない人間がとりうる選択肢は3つある。 共…

『囚人のジレンマ』リチャード・パワーズ

「信じられるか、この世界? 愛するしかないよな」−−リチャード・パワーズ『囚人のジレンマ』 人類全体の世話人 誰かを信じるには、それなりの時間と勇気を必要とする。それに比べて、不信感を抱くのはもっとずっとお手軽だ。疑いを抱くことも、自分を守るも…

『あなたを選んでくれるもの』ミランダ・ジュライ

もし自分と似たような人たちとだけ交流すれば、このいやらしさも消えて、また元どおりの気分になれるのだろう。でもそれも何かちがう気がした。結局わたしは、いやらしくたって仕方がないしそれでいいんだ、と思うことに決めた。だってわたしは本当にちょっ…

『ハザール辞典』ミロラド・パヴィチ

ハザール族とは、大昔に世界の舞台から姿を消した古い民族である。その諺のひとつに言うーー霊魂にも骸骨がある、それは思い出でできていると。 ーーミロラド・パヴィチ『ハザール辞典』 幻の王国、奇想、召喚魔法 セルビアの作家ミロラド・パヴィチは、中世…

『アメリカ大陸のナチ文学』ロベルト・ボラーニョ

その教訓は明白だ。民主主義の息の根を止めなければならない。なぜナチはあれほど長生きなのか。たとえばヘスだが、自殺しなければ、百歳まで生きただろう。何が彼らをあれほど生きながらえさせるのか。何が彼らを不死に近い存在にしてしまうのか。流された…

『カンポ・サント』W.G.ゼーバルト

写真が人の胸をあれほど衝くのは、そこからときおり不思議な、なにか彼岸的なものが吹き寄せてくるからである。——W.G.ゼーバルト『カンポ・サント』 傍らにいるのだ、死者は ゼーバルトは、どの町を歩いていてもいずれ第二次世界大戦の瓦礫に漂着する、希有…

『ワインズバーグ・オハイオ』シャーウッド・アンダソン

自分以外のものの声が、人生には限界がある、とささやきかけてくる。自分自身と自分の将来について自信に溢れていたのが、あまり自信のない状態に変る。もしそれが想像力ゆたかな青年ならば、一つの扉が無理矢理こじあけられ、生まれてはじめて眼にする世界…

『いちばんここに似合う人』ミランダ・ジュライ

あなたは悪くない。もしかしたらそれは、わたしがずっと誰かに言ってあげたかった、そして誰かに言ってほしかった、たった一つの言葉なのかもしれなかった。 ミランダ・ジュライ「共同パティオ」 孤独の黒歴史 なぜわたしはわたしの人生の主人公なのに、こう…

『別荘』ホセ・ドノソ

「私たちはベントゥーラ一族なのよ、ウェンセスラオ、唯一確かなのは外見だけ、よく覚えておきなさい」——ホセ・ドノソ『別荘』 分厚いベールをかける黄金の白痴 ドノソはわたしにとって「液体作家」である。読んだ後になぜか液体じみた印象が離れない。きち…

『火葬人』ラジスラフ・フクス

「あいつはどうかしている。いつもこうなんだ。大虐殺の現場に連れていかれるとでも思っているんだ……」 ——ラジスラフ・フクス『火葬人』 ホロコーストという“慈善” 心電図が停止しながらも生きている人間は、じつはけっこういるのかもしれない。心臓は動いて…

『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック

彼女は彼にとって、生きうつしの、明確な姿をした思い出だった。 ——ジョルジュ・ローデンバック『死都ブリュージュ』 町と自分と女の区別がつかない ベルギーの画家フェルナン・クノップフによる『見捨てられた町』*1を見たとき、なんて幻想文学の表紙にうっ…

『崩れゆく絆』チヌア・アチェベ

「白人ときたら、まったくずる賢いやつらだよ。宗教をひっさげて、静かに、平和的にやって来た。われわれはあのまぬけっぷりを見ておもしろがり、ここにいるのを許可してやった。しかしいまじゃ、同胞をかっさらわれ、もはやひとつに結束できない。白人はわ…

『河岸忘日抄』堀江敏幸

遭難の作法 ふと、彼は思う。自分は、まだ待機していたい。待っていたい。だが、なにを待つのか?——堀江敏幸『河岸忘日抄』 霧の深い夜には、たいそう派手な失恋をしてなんの知らせもよこさずに遠い異国へふつりと消えた、気狂いの友人を思い出す。失踪した…

Patience (After Sebald)、あるいはW.G.ゼーバルト『土星の環 イギリス行脚』

2001年、W.G.ゼーバルトは車の運転中に心筋梗塞をおこし、イングランド東部の道路で気を失ったまま横転した。57歳、早すぎる死だった。つねに抑制した筆致で、アクセルを踏むこともブレーキを踏むこともなく、記憶と記録を地すべりし続けた作家が、加速する…

『北欧神話と伝説』ヴィルヘルム・グレンベック

いまやスルトはただひとり戦場に立っている。彼は炬火を大地の上に投げ、こうして全世界は火炎に包まれて燃え上がるのである。——ヴィルヘルム・グレンベック『北欧神話と伝説』 血まみれの世界よ 世界の中央には巨大な空隙があって、その北には氷に閉ざされ…

『ヘンリー四世』ウィリアム・シェイクスピア

名誉ってなんだ? ことばだ。その名誉ってことばになにがある? その名誉ってやつに? 空気だ。結構な損得勘定じゃないか!——ウィリアム・シェイクスピア『ヘンリー四世』 ごろつき紳士の饗宴 燃えよ退廃の燈火、愛すべき百貫でぶ、王子ハリーつきの食用豚、…

『ブリキの太鼓』ギュンター・グラス

なぜってオスカルよ、おまえだけがまことお伽のようで、おまえは過剰なほど渦巻模様にいろどられた角をもつ孤独な獣ではないか。——ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』 誰かの死に加担する ブリキの太鼓の音は、機関銃の銃声に似ている。胸を打つのではなく…