ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

【海外文学アドベントカレンダー2020】エントリを紹介するよ

海外文学アドベントカレンダー2020を開催した。


今年に読んだ海外文学、読んでみたかった海外文学、復刊してほしい海外文学、読めそうにない海外文学、海外文学を読もうとしたらなにも読まずに終わりそう、海外文学を読める気がしない、今年の海外文学ベスト、今年のガイブン仕事、告知など、「海外文学」のアトモスフィアをふんわり感じるURLならなんでもOKです。

こんな感じでゆるく告知したところ、25日分が埋まった。とてもありがたい。

長年の友人もいれば、はじめてやりとりをする人もいて、じつに多彩な顔触れになった。

25日分のエントリまとめを記録しておく。

 

  • 12月1日:挫折した海外文学選手権
  • 12月2日:韓国の現代文学における百合描写の魅力と切実さ――チェ・ウニョンとハン・ガンを中心に
  • 12月3日:アンドレ・アレクシス『十五匹の犬』感想
  • 12月4日:言葉と祖国
  • 12月5日:ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』感想
  • 12月6日:ALL REVIEWSの歩き方(ガイブン編)
  • 12月7日:2021年、読みたい本・欲しい本
  • 12月8日:なんで海外文学を読んでるの?
  • 12月9日:『心は孤独な狩人』を読んでみつめる2020年のこと
  • 12月10日:いかにして日本人の私がルーマニア文学を書くことになったのか?
  • 12月11日:シャネル・ベンツ『俺の目を撃った男は死んだ』感想
  • 12月12日:神は変化なり/ブレインチャイルドの呪縛――オクテイヴィア・E・バトラーの「播種者の寓話」
  • 12月13日:ロベルト・ボラーニョの魅力
  • 12月14日:スタンダール赤と黒
  • 12月15日:すごい早口で『サラムボー』の話をする男
  • 12月16日:シネフィルへの憧れ
  • 12月17日:なんで海外文学を蒐集するの?
  • 12月18日:アラン『幸福論』感想
  • 12月19日:圧倒的な〝わからなさ〟と向き合う
  • 12月20日:ボカロ好きに薦める海外文学、海外文学好きに薦めるボカロ曲
  • 12月21日:2020年 読んだ本ジャンル別ベスト5冊
  • 12月22日:ロヨラアームズの昼食
  • 12月23日:アントニオ・タブッキ「供述によるとペレイラは……」
  • 12月24日:小説と映画の間
  • 12月25日:トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』未読読書会
  • やってみた感想
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『マリーナの三十番目の恋』ウラジミール・ソローキン|真実の恋は怪物

 愛なくして生きることは不可能だ、マリーナ! 不可能だ!! 不可能だ!!!

――ウラジミール・ソローキン『マリーナの三十番目の恋』

 

『マリーナの三十番目の恋』は、『ロマン』と同時代に書かれた小説だ。『ロマン』といえば、10年ぐらい前に読書会で「人類は2種類いる、『ロマン』を読んだ人間ロマニストと、そうでない人間だ」と言われていた怪作で、周囲の人間はだいたいロマニストだった。

だから、『ロマン』と同時代の作品で、初期の代表作と言われれば、どうしたってそわそわしてしまう。

 

タイトルどおり、ロシア人女性マリーナが30番目に出会った恋の小説だ。

マリーナは「アンチ・ソ連」を具現化したような女性だ。性に奔放なレズビアン、ピアニストを生業とした芸術家、反体制派グループに所属、ソルジェニーツィンに傾倒、大の男嫌い。そして、この世のなによりもソヴィエト政権を憎んでいる。

マリーナは男たちとビジネスとして肉体関係を持つものの、愛するのは女性ばかり。しかし誰とも長続きせず、30歳で29番目の恋人と別れたのち、運命を変える30番目の恋にであう。

 

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『地下 ある逃亡』トーマス・ベルンハルト|離れろ、離れろ、反対方向へ

休みになったら元気を回復する、とみんな思っているけれど、実は真空状態に置かれるのであって、その中で半ば気違いになる。それゆえみんな土曜の午後になると恐ろしく馬鹿げたことを思いつくのだが、すべてはいつも中途半端に終わるのだ。

ーートーマス・ベルンハルト『地下 ある逃亡』

 

『地下』は、自伝的五部作の2番めにあたる作品だ。前作の『原因』が暗黒の10代を思い出す中学大嫌い小説で、続く『地下』は「はじめてのアルバイト小説」である。

 

語り手は、人々が最も美しい都市と讃えるザルツブルグを「致死的土壌」、エリート養成機関のギムナジウムを「精神の殺戮施設」と罵倒して、ギムナジウムを中退して、ギムナジウムの「反対方向」へ向かおうとする。

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『原因 一つの示唆』トーマス・ベルンハルト|美しき故郷への罵倒と情

世界的に有名なこれほどの美が、あれほど反人間的な気候風土と結びついているのは、致命的だ。そして、まさにこの場所、私が生まれついたこの死の土壌こそ、私の故郷なのであり、他の町や他の風景ではなく、この(死に至らしめる)町、この(死に至らしめる)風景こそが、私の故郷なのだ。

ーートーマス・ベルンハルト 『原因 一つの示唆』

 

ベルンハルトの作品を読んでいると、「私の嫌悪、私の嫌悪を聞いてくれ」とささやく、長い長い歌を聞いている気分になる。息継ぎなく、改行なく、愛憎いり乱れた声で響く独白だ。

 

『原因』は「自伝的五部作」の1作目である。著者がうたいあげるのは、故郷オーストリアザルツブルグへの嫌悪、ギムナジウム時代への嫌悪だ。

ザルツブルグは、芸術と音楽の都、モーツァルトの生誕地、ザルツブルグ音楽祭で知られる歴史街で、世界で最も美しい都市のひとつに数えられている。

この美しい町を、ザルツブルグ生まれ育ちのベルンハルトはぼこぼこにする。ザルツブルグを「致死的土壌」「この(死に至らしめる)町」と繰りかえし呼ぶ。

世界が讃えるこの町の美しさ、この風景の美しさ。しかも、やむことなく、いつもひどく無思慮に、実際、許しがたいほどの調子で讃えられるこの町とこの風景の美しさは、この致死的土壌のゆえでは、まさに死に至らしめる要素なのである。

…世界的に有名なこれほどの美が、あれほど反人間的な気候風土と結びついているのは、致命的だ。そして、まさにこの場所、私が生まれついたこの死の土壌こそ、私の故郷なのであり、他の町や他の風景ではなく、この(死に至らしめる)町、この(死に至らしめる)風景こそが、私の故郷なのだ。

 

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トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』未読読書会

この世には、3種類の読書会が存在する。

課題図書を読み終わった読書会、課題図書を読んでいる最中の読書会、課題図書を読んでいない読書会だ。

 

私がよく参加するのは読了後の読書会で、たまに読んでいる最中の読書会に参加する。実際には、読んでいる最中の読書会は、読み終わった読書会に参加するつもりでまにあわなかった読書会なので、ねらって「読んでいる最中の読書会」への参加は少ない。

 

私は、課題図書を読んでいない「未読の読書会」に参加したことがない。読書会に参加してもう10年になるのに、私はいまだに3大読書会のひとつを経験したことがなかった。

このことに気づいてから、未読読書会をしたい気持ちがかつてないほど高まった。

しかし、私は未読読書会の初心者だ。読了後の読書会については多少の知見があるけれど、未読の読書会については知見も経験もない。

未読の本で読書会を開催したとしても、過去の経験にひきずられて、課題図書を読んでしまうかもしれない。いや、きっと読んでしまうだろう。そんなことだから私はいまだに、3大読書会のひとつを経験したことがないのだ。

 

最初は「本棚のすべての未読本は未読読書会である」と考えて、本棚におさまっている未読本すべての読書会をはじめることを考えた。

しかし、それではどうにも読書会らしくない。私にとって、読書会は「課題図書」と「参加者」が必要だった。課題図書を決めて、読書会を告知して、参加者を募らないと、読書会を開催した気分にならない。

そして、未読読書会においては、やはりすべての参加者に未読のまま参加してほしい。しかし、読書会に参加する猛者たち誰も読んだことがない課題本などあるのだろうか。

 

ある。まだ刊行されていない本なら、誰も読んでいない。

だから私は2019年のちょうど今ごろ、トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』読書会を開催すると告知した。 

 

 

Thomas Pynchon "Bleeding Edge" 読書会ではない。もうそれは世界中でたくさん開催されている。新潮社から刊行される予定の、トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』刊行前読書会である。

これならきっと、誰もが未読読書会に参加できる。この告知は『ブリーディング・エッジ』読書会としては、たぶん日本でいちばんか2番か3番目ぐらいには早かったと思う。

 

『ブリーディング・エッジ』読書会には、たくさんの人が参加表明をしてくれた。ただひとつの情報、「2020年に新潮社から刊行される予定」というニュースひとつを頼りに、私は『ブリーディング・エッジ』の未読読書会を楽しんだ。

訳者と出版社はわかっている。内容は、インターネット社会の不気味さと聞いている。書影はどういうデザインか、どれぐらいの厚さになるのか、訳注はどれぐらいの量になるのか、ピンチョンが描くインターネットはどういうものなのか。楽しみだ。事前読書会ははかどった。

 

もちろん私は"Bleeding Edge" を持っているし、Goodreadsには"Bleeding Edge" の感想があふれている。でもそうじゃない。私は、佐藤良明氏と栩木玲子氏が訳す『ブリーディング・エッジ』を読みたいのだ。 

それに、原書と翻訳書は別のものだ。翻訳には、良くも悪くも、翻訳者の声が映りこむ。透明な翻訳者は存在しないし、私は翻訳者を透明だと思っていない。そうでなければ、翻訳者の名前を見て喜びはしない。

原書は原書、英訳は英訳、日本語訳は日本語訳として、私は読む。原書では作家の言葉とそのリズム、翻訳書ではこまかい文化背景や言い回しの解説をそれぞれ楽しめる。おそらく私は"Bleeding Edge" をいつか読むだろうが、やっぱり最初は『ブリーディング・エッジ』を読みたい。

 

そんなわけで、私はトマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』未読読書会を2020年いっぱい楽しんだ。告知当時は、2020年に刊行される予定と聞いていたから、1年まるまる未読読書会をするとは思わなかったけれど。

『PEN』2020年11月号によれば、「2021年早々に刊行予定」らしい。

2021年になったら、しばらくは『ブリーディング・エッジ』未読読書会を続けて、刊行したら、読書中読書会と、読了後読書会も開催しようと思っている。

『ブリーディング・エッジ』事前読書会に参加してくれた参加者もきっと、有意義な読書会をしたことと思う。読書中読書会、読了後読書会でまた会いましょう。

 

 

この記事は、海外文学アドベントカレンダー12月25日分として、タイトルだけ先に思いついたものを雰囲気で書いた。海外文学アドベントカレンダーは、24人に書いてもらい、25日完走。とてもおもしろいエントリばかりなので、いろいろな人に読んでほしい。

Happy holiday!

 

 


 

 

 

【2020年】今年に読んでよかった&思い出深い海外文学3冊

小澤みゆきさん(@miyayuki777)主催の「文芸アドベントカレンダー」に登録して、なにを書こうかなーと考えながらぼんやり生きていたら、「今年に読んでよかった/印象深かった文芸作品を紹介する」とテーマが決められていたことに昨日、気がついた。

自分が主催する「海外文学アドベントカレンダー」が「海外文学のアトモスフィアを感じるエントリ」とゆるいテーマに設定していたため、なんとなく「文芸のアトモスフィアを感じるエントリ」がテーマだと思いこんでいた。よく読まずに応募する癖が今回も遺憾なく発揮されて大変遺憾である。

とはいえ、テーマがきっちり決められていると、悩まなくてよい。過去のことは水に流そう。そんなわけで、「今年に読んでよかった&思い出深い海外文学3冊」。

 

ロベルト・ボラーニョ『2666』

2666

2666

 

 

2019年から分厚い海外文学=鈍器を読む「海外文学読書会 鈍器部」をつくった。読書会といっても年に1回の実施で、2019年は『重力の虹』読書会、2020年は『2666』読書会をやった。『2666』読書会を開催したのは2月ごろで、このころはまだリアル読書会ができていた。そういう意味では、とても思い出深い読書会である。

さて『2666』は、失踪した謎の作家アルチンボルディという「空白」と、女が絶えず失踪して犯されて殺されるメキシコ国境地帯の町サンタテレサという「爆心地」を描いた小説だ。失踪した作家の謎を追う若き文芸批評家たち、女たちが失踪する謎を追うジャーナリストたちなど、「空白」を追う人たちとともに読者はじわじわとメキシコ国境地帯に近づいていき、いきなり爆心地に放りこまれる。

本書には5つの章があり、それぞれ中心人物が違い、プロットや書き方もすべて違っている。もはやそれぞれが独立した小説のように見えるが、かすかな点で章がつながっている。読書会では「どの章が好きか」という話でたいへん盛り上がり、人によって好きな章と好きポイントが違っていて、おもしろかった。私は恋愛のごたごたがしょうもない「批評家たちの部」と圧巻である「犯罪の部」が好き。

 

カルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』

アルテミオ・クルスの死 (岩波文庫)

アルテミオ・クルスの死 (岩波文庫)

 

 

カルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』は、オンライン読書会で参加した。傑作だと聞いてはいたものの、「メキシコ革命で成り上がった金持ちの老人アルテミオ・クルスの人生譚」という、あまりおもしろくなさそうなプロットだったので、つい積読していた。

実際に「性格がねじまがった金持ちのじいさんが死ぬ話」であることはまちがいないのだが、これがすさまじくおもしろい。おもしろくさせているのは語りの手法だ。「一人称+現在形」「二人称+未来形」「三人称+過去形」と語りのスタイルをぐるぐると変えていく。とりわけ圧巻なのが、二人称の語りである。「お前は選ぶだろう」「お前は考えるだろう」と予言めいた声で語る声は、クルスに向かって繰り返し「選択肢を選びとる」ことを語る。クルスが人生の岐路において、クルスがなにを選び、なにを選ばなかったのか、富と権力と命を得たかわりに、なにを失ったのかが明らかになっていく。

クルスに限らず人間は、人生の選択肢をどうにか選びとることはできても、「なにを選ばなかったのか」を知ることはできない。だが<お前>と呼ぶ声は知っている。「国の激動の歴史+個人の激動の人生」という王道の組み合わせでここまでできるのか、と驚かされた。最後の一文は、これしかないと思わせる一文で、最後まですごい。

 

 カーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』

心は孤独な狩人

心は孤独な狩人

 

 南部文学の名作と呼ばれながらも長らく絶版だった『心は孤独な狩人』が、まさかの村上春樹訳で出た時は、けっこうびっくりした。というのも、これほど有名な古典なのに絶版して久しく、話題にもならないので、「唖」という言葉が超頻出するといった現代的な理由で復刊が難しいのか? と考えていたからだ。帯に「村上春樹が最後にとっておいた1冊」と書いてあり、ハルキがいちばん好きなオカズを最後に残すタイプだとわかった。訳してくれてサンキュー、でももっと早くてもよかったよ!

 『心は孤独な狩人』は、「自分の理解者」を求める人間の壮絶なすれ違いを描いた「全員が片思い小説(恋愛感情をともなわない)」だ。

聾唖の白人男性シンガーにたいして、4人の老若男女がそれぞれ訪れて、自分の心を語りまくる。言葉が話せないシンガーは、静かにほほえみ、ゆっくりとうなづいてくれるから、誰もが彼こそが「自分の理解者」だと思う。しかし、シンガーの理解者はいるのだろうか?

『心は孤独な狩人』は、人間という生物が絶対的に逃れられない「さびしさ」を描いていると思う。どれほど会話しても、どれほどソーシャルメディアでつながっても、どれほど技術が発達しても、私たちはいまだに自分の心を他者と共有しあうことはできない。それでも人はつながろうとするし、「自分の理解者」を求めようとする。「人がたくさんいても、みんな孤独」を描いたすばらしくえぐられる作品。

 

終わりに

海外文学の感想を書くブログを12年ぐらい続けているわりに、「今年に読んでよかった本」といった年間まとめブログをあまり書いたことがなかった。自分のブログに最後に書いたのはなんと9年前だった。こういう機会がなければきっと今年も書かないままだったと思う。参加してよかった。

アドベントカレンダー以外でも、今年は『本の雑誌』で新刊書評連載を始めたり、青山ブックセンターで「アメリカ大統領選挙の支持地盤で読む、アメリカ文学リスト」のブックフェアを組んでもらったりと、いろいろ新しいことをやってみて楽しかった。

海外文学アドベントカレンダーも、文芸アドベントカレンダーと同じように12月1日から25日まで毎日更新しているので、こちらもよければどうぞ。

サポートしたら選書リクエストできる企画(noteの代替としてcodoc+はてなブログを試す)

noteからの移行先を探している声をTwitterでよく見る中、「codoc(購読ウィジェットサービス)+ブログサービス」で、noteみたいな購読ができるらしいと聞いた。

人に勧めてみるからには、自分でまずやってみないといかんと思い、とりあえずなにか有料コンテンツを作ってみることにした。

 

サポートしたら選書リクエストできる企画

有料コンテンツとして「サポートしたら選書リクエストできる企画」をつくってみた。

400〜1000円をサポートしたら、1〜3冊の選書リクエストができる企画。リクエスト料金は下記。

・1冊リクエスト:400円

・3冊リクエスト:1000円

独立系書店の有料選書サービスを参考にした。

 

 

選書リクエストしたい人

1. サポート欄のメッセージ(300字以内)で、下記を書いてください。

・「こういう本が読みたい」「この国に興味がある」「文庫で1000円以下でおもしろい本」といったリクエスト内容

・希望冊数

 

 

 

 

2. リクエスト料金をサポートしてください。リクエスト料金は下記。

・1冊リクエスト:400円

・3冊リクエスト:1000円

3. 有料サポートしたら、無料サブスクリプションを購読してください。1〜2週間以内でサブスク内で回答します。選書内容は、海外文学、ノンフィクション、社会学、哲学が多め。

 

 

リクエストしないけど他者のリクエストが気になる人

サブスクリプションを無料購読してください(アカウント登録が必要)。他の人のリクエスト内容と回答を無料で読めます。
サブスクリプションには、リクエスト&回答のサンプル記事をひとつ入れてあります。
 

まとめ

  • 選書リクエストをする人:サポートで先払い>サブスク(無料)購読>回答
  • 選書リクエストはしないけど回答を読みたい人:サブスク(無料)購読

 

作り方はかなり違うけれど、できあがったものはほぼnoteに近い動きをするっぽい。購読&設置のためにcodocアカウントを新規解説しなければいけないところが難点かもしれないけれど、noteからの移行先を求めているならばやむなし。

設置は、自動生成したHTMLを貼ればいいだけなのでわりと簡単。はてなブログ以外のブログサービスでも、HTMLを貼りつけられるサービスであれば、幅広くいけると思う。

ただ、購読記事をつくる挙動が、noteとはかなり違うので(codoc内で記事を書き、独自タグを吐き出して、はてなブログなど他サービスにタグを貼って移植する)、慣れるまではちょっと変な感じがするかも。

参考にした公式解説はこちら。

 ちなみにcodocでの支払いは、「Stripe」というIT企業でよく使われる支払いサービスを使っているので、それなりにセキュアだと思われる。

 

いちおうテストはできたので満足。そもそも需要があるかはさっぱりわからないので、とりあえず気長に置いておきます。noteからの移行先を探している人の希望に合えば幸いです。わからないことがあったら、TwitterのDMかコメント欄でご連絡ください。

 

『本の雑誌』で「新刊めったくたガイド」を連載します

12月10日発売の『本の雑誌』2021年1月号から、書評コーナー「新刊めったくたガイド」で連載を始めます。いえーい。

 「新刊めったくたガイド」は国内文学、海外文学、ミステリ、SF、ノンフィクションといったジャンルごとの担当者が、直近1~2か月に販売された新刊を4~8冊ぐらい紹介する連載で、私は海外文学コーナーを担当する。

本の雑誌451号2021年1月号

本の雑誌451号2021年1月号

  • 発売日: 2020/12/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

もともと私は海外文学を読み始めてから10年ぐらいクラシック派で、新しいものより古いものを好み、新刊よりは古本、20世紀の小説を読んだらとりあえず神話に戻る、みたいな読み方をしていた。時代が経っても風化しない作品、後世に影響を与えた古典、語りの原点である神話などのほうに興味があったからだと思う。

4年ぐらい前から、海外文学をさっぱり読まない年が2年ほど続き、また海外文学に戻ってきたころ、書店に行ったとき、新刊の作家をほとんど知らないことに気づいた。ガイブンリハビリのつもりで、1年前からぼちぼちと現代文学や新刊を読むようになった。

 昔は「今と違う世界」や「人類がずっと語ってきたこと」に興味があったけれど、だんだん「現代の空気」を読むことが楽しくなってきた。クラシックは変わらず好きなので、チャンネルがもうひとつ開いた感じがする。

そんな折に、「新刊めったくたガイド」の話をいただいて、これはもう新刊の世界にどっぷりひたる時がきたのだな、と思った。

とりあえず初回を書いてみてわかったのは、新刊を読むことよりも、原稿を書くことよりも、本を選ぶことがいちばん難しい。2324文字で4冊以上だから、絞ることに悩み、選ぶ本を多くするとこんどは文字数が少なくなる。

新刊の海外文学をひととおり眺めて、読んで、そこから見える世界は今と違っているのか、それともあまり変わらないのか。

毎月の連載のために新刊を積みまくる日々になる見込み。

 

 

『大都会の愛し方』パク・サンヨン|泣き笑いで軽く語る、軽くない愛

ーーじゃあ今日から僕のことメバルって呼んでください。

酔った俺は、たったいま俺何て言ったんだ、マジ終わってる、と思ってる途中に男がまたまじめな顔で答えた。

ーーいや、ヒラメって呼ぶつもりです。中身が丸見えだから。

――パク・サンヨン『大都会の愛し方』

 

悲しみや痛みを、明るい口調でユーモアをまじえて語る作家がいる。

ボフミル・フラバルは、チェコで第二次大戦時の抑圧、ジョージ・ソーンダースはアメリカでの生活の余裕のなさと足掻きを、それぞれユーモアまじりで描いた。韓国人作家のパク・サンヨンが泣き笑いの口調で語るのは、大都会ソウルでの失恋の痛みや友人関係、家族関係だ。

 

大都会ソウルに生きる若者の感情を語る連作短編集だ。語り手ヨンはゲイで、友人とクラブに行っては踊ったり、倒れるまで酒を飲んだり、いろいろな男性と寝たり、同時並行で付き合ったりと、都会で派手に楽しく遊ぶ。一方、ゲイだとの噂で大学で浮いたり、折り合いが悪い病気の母を介護したり、企業勤めがあわなくて辞めたり、最低賃金で働きながら小説を書いたりと、生きづらさを抱えている。

 同時並行でつきあったり別れたりを繰り返すヨンの人間関係は、ふわふわと軽い。そんな彼にも、”軽くない“人間関係がある。女友達、恋人、母親など、軽くない人間関係への軽くない感情を、ヨンは悲哀とユーモアがいりまじった泣き笑いの口調で語りまくる。

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挫折した海外文学選手権

これまでたくさんの小説に挫折してきた。いったいどれほどの本を手に取り、本棚に戻したことだろう。

これは、私と、私と本棚を共有してきた妹による、とりわけ思い出深い「挫折した海外文学」の記録である。

この記事は、主催している「海外文学・ガイブン アドベントカレンダー」12月1日分として書いた。12月1日から25日まで、ガイブンにまつわることを、いろいろな人が書いてくれる予定。

海外文学・ガイブン Advent Calendar 2020 - Adventar

 

 

 マルセル・プルースト『失われた時を求めて』

 理由:新刊を待っている間、すべてを忘れては読み返すループにはまって挫折

プルーストは、挫折ガイブンの王道だと思う。多くの人がプルーストに挑み、挫折してきた。私もその例にもれないが、私の場合は、光文社版(高遠訳)を手にしてしまったがゆえの挫折である。

私がプルーストを読み始めたのは、光文社版の2巻が出たころだった。高遠訳は流麗で、本そのものに挫折要素はなかった。しかし、刊行スピードっ……! 刊行スピードが……遅い……っ……! すぐに読んだ内容を忘れる私にとって致命的……っ! 新刊が出るたびに1巻から読みなおしていたら、巻が進むたびにだんだん腰が重くなって挫折した。人生無限ループに巻きこまれた主人公がループをいやがる理由が、プルースト・ループでちょっとわかった気がする。

いや、わかる。私はちゃんとわかっている。高遠先生は原文にたいする思いがすばらしく(訳者あとがきの長さと熱量から感じる)、一文一文に魂をこめて翻訳しているのだ。だから私は高遠訳で最後まで読みたいと思って、ずっと待っている。

とはいえ、数年をまたいでのプルループはちょっとしんどいので、全巻がそろってから読もうと待っていたら、岩波版が登場して、光文社版をさっくりと抜き去って完結してしまった。岩波版で通読して、光文社版が完結してからまた読む計画を立てたものの、実現にはいたらず、だらだら挫折中。

 

ウィリアム・ギャディス『JR』

JR

JR

 

 理由:圧殺系狂気ポモ(ポストモダン)に飲まれて一時挫折

全940ページ、重量1.2㎏と驚異の質量を誇る『JR』は、そのたたずまいからして、挫折オーラがにじみ出ている。なのに、こんなやばい本で読書会をしようとする友人がいたので、本当にやばいなと思いつつ、命を削る覚悟で買った。

実際にやばかった。『JR』のやばさは、厚さでも重さでもなく、9割以上が「会話の発話者がわからない声」だけで書かれていることだ。こんな感じの描写が、900ページ以上続く。

−−……ええ、ほら、顔をあげて、ちゃんと空を見て! あの空で大金を稼いでいる人がいると思う? ……どんなものでも、必ずそれでお金儲けしているおお金持ちがいるのかしら?

−−ああ、うん、いや、ていうか……

−−それにほら、あそこを見て。月が昇ってくるわ、 見えない? あれを見ていると……

−−え、あそこ? ……いや、でも、あれは、ジューバート先生、あの光ってるのはただの、ちょっと待って……

 客観的な描写がないから、誰が話しているか、なにを見ているかがわからない。わからないものや人に「任意のX」を代入して、正体があかされるまで情報を留保しながら読み続けると、めちゃくちゃに脳のメモリを食う。メモをとっても、細切れに出される情報を書くスペースがない。

記憶と紙が混沌としてきたので、半分のあたりで挫折した。半分まで読んで、もうこれ以上このやり方では読めない、と退却したのははじめてのことだった。

読書会がなければ、ずっと挫折したままだっただろう。しかし、読書会は開催されてしまう。なので、挫折した体に鞭を打ち、Webサービス「Scrapbox」を使ってWikiをつくりながら再挑戦して、どうにか読了した。息も絶え絶えに読み終わった頃にはすっかりポモ(ポストモダン)に精神を圧殺されて狂いきっていたので、読書会まで数日あまったからと、Wikiをたどりながらもういちど読んだ。

結果として『JR』を2.5周したことになる。読書会に参加した別の友人から「なにがふくろうに、ここまでさせるのかわからない」と言われて、まったくそのとおりだな、真実を語っているなこいつは、と思った。挫折指数が振り切れて最狂の小説でも、読書会があれば読んでしまう境地があることを教えてくれた、思い出深い一冊。

 

ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』

理由:うんこ! おしっこ! 世界とアンニュイ気分がマッチせず挫折

ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』は、「16世紀×フランス古典×全5巻」という重めのたたずまいから、「読みたいけど読んでない小説」の上位にランクする作品である。実際の中身は、糞尿まみれ、ダジャレまみれ、ホラまみれのユーモア文学で、大笑いしながら読める小説なのだが、私は2巻で挫折した。

当時の私は人生の転換期にいて、これからの道をどう選択しようかと悩み思索にふけっていた。気分転換しようと、積んでいたガルパンを読んでみたものの、うんこ! おしっこ! おしっこの川にアヒルが浮かんでる! おしっこ大洪水! わーい! みたいな幼稚園児的下ネタの明るさと、自分のアンニュイムードが不協和音を起こした。

胃がやられている時に、チョコレート尽くしのアフタヌーンティーを食べるようなもので、タイミングと食い合わせが悪かった。ガルパンは最高なので、今ならげらげら大笑いしながら読めると思う。

 

 ナサニエル・ホーソーン『緋文字』

完訳 緋文字 (岩波文庫)

完訳 緋文字 (岩波文庫)

 

 理由:幼女パールちゃんが小妖精すぎて挫折

17世紀アメリカのプロテスタント社会が不倫をさらしあげる「ピューリタンこわい」小説。

ピューリタン社会の恐ろしさと陰湿さにげんなりしているところまではどうにかついていったものの、不倫相手とのあいだに生まれた愛の結晶幼女パールちゃんが、「あたし、パール!」と小妖精きわまる登場をしてきたあたりから、雲ゆきが怪しくなった。

パールちゃんは小妖精のような愛くるしさと、人あらざるものが憑いた幼女めいた残酷さを持ち合わせていて、圧倒的にキャラが強烈だった。「私のパール」「パールちゃん」などと大人たちが呼ぶたびに、「出たよパーリィちゃん!」「どうしたっていうの、パーリィ」と私も謎愛称で呼びまくるようになり、小妖精パールちゃんに思考を持っていかれすぎて、話に集中できなくなって挫折した。いま思い返しても、なぜあんなにパールちゃんに気をとられたのかはわからない。水夫がセイレーンに惑わされるようなものかもしれない。1年後ぐらいに読んだら、パールちゃん耐性ができていてぶじ読了。

 

ウィリアム・ フォークナー『響きと怒り』

響きと怒り (上) (岩波文庫)

響きと怒り (上) (岩波文庫)

 

 理由:『自負と偏見』とまちがえて挫折

『響きと怒り』は妹の挫折本である。妹は冒頭数ページで挫折した。

妹が挫折したのは、初見殺しとして名高い冒頭シーンだ。『響きと怒り』は、名門一族コンプソン一家に生まれた知的障害者ベンジャミンの独白から始まる。ベンジャミンは言葉を話せず、よだれをたらして泣きわめきながら、現実と過去の記憶をだだ漏れさせる。たとえばこんな感じだ。

「クエンティンがボクの腕をつかんで、ボクたちは納屋に行った。すると納屋がいなくなって、ボクたちは納屋が戻ってくるまで待った。戻ってくるのは見えなかった。納屋はボクたちのうしろに来て、クエンティンは牛たちがごはんを食べる桶の中にボクを入れた。桶もいなくなろうとしたので、ボクはぎゅっとつかんだ。」

これは納屋が移動しているのではなく、クエンティンとベンジャミンが移動しているのだが、自分を動かさずに納屋を動かしているため、理解に時間がかかる。こうした独白がまる1章続く。

作者による挫折峠が初手から躊躇なくぶっ放される、挫折ガイブンの王道と言えるだろう。

だがいちばんの挫折理由は、そもそも読む本をまちがえていたことにある。

妹は映画版『自負と偏見』を観る予習のつもりで『響きと怒り』を選んだらしく、読み始めて「なんか違うな、ぜんぜんかわいいツンデレが出てこないな」と思ったらしい。そりゃそうだろう。こんな鬼畜オープニングがイギリス屈指のラブコメディでたまるか。

「と」しか合致していないところ、フォークナーを引き当てるところに、妹の適当さと引きの強さを感じる。いや、フォークナーだったからこそ、冒頭数ページで気づけたのかもしれない。妹は、フォークナーの方角に向かって五体投地して感謝を捧げるべきだと思う。

 

 

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

 

 理由:ゾシマ長老が腐ったので挫折

いちど読み始めたらとまらない「徹夜小説」と名高い本書で、妹は挫折した。棚に『カラ兄』をすすっと戻した妹に理由をたずねたところ、「ゾシマ長老が腐ったから……」との答え。そこ? そこで挫折?

私がいぶかしがったのは、妹は名高い難所「イワンの大審問官」はクリアしていたからだ。イワンが長舌をふるいまくるこのシーンは屈指の名シーンであると同時に、屈指の挫折ポイントでもある。妹はこの難所をクリアしたのに、その後の「ゾシマ長老」シーンで挫折した。なんでも、腐る、腐らない、の話をしているところで、もうだめだと思ったらしい。なんでそこなんだ。今でも挫折ポイントはわからない。5年ぐらい経ってから『カラ兄』に再挑戦したところ、ゾシマ・ポイントをクリアして読了したらしいので、ハッピー・エンド。

 

 

 まとめ:人によって感想と挫折は違う。挫折もまた読書である

これまで読書の感想ブログを12年ほど書き続けたものの、読み終わった小説の感想しかブログには書いてこなかったから、挫折した小説や、再挑戦した経験は、ブログに残していない。

でもそれは、けっこうもったいないことだと思う。挫折は、感想と同じぐらい、多様で思い出深い。難解だったり、気分が合わなかったり、変なところに気をとられてそれどころじゃなかったり、謎の挫折ポイントでくじけたり、後から読み返したらぜんぜん大丈夫だったりする。私の中でこれだけ多様な挫折があるし、人によっても挫折ポイントや挫折の理由は違う。

 

挫折は感想と同じぐらい、個人的で多様な読書体験だと思う。むしろこう言ってもいい。海外文学を読む歴史は、海外文学に挫折してきた歴史であり、挫折なくして、海外文学の読書はありえない。

私たちはなんどでも挫折し、なんどでも読み始め、また挫折しては、読みとおし、読み返し、読み返したあとにまた挫折する。森羅万象がめぐり、死と再生がめぐるように、読書と挫折と再読はずっとめぐり続ける。

 

挫折は悪いものととらえられがちだが、本を買って、本棚から出しただけで、それだけで個人的な読書体験だ。私たちはもっと読書にたいして自由で開かれていていいと思う。

感想を語りあう文化がこれほど発展しているのだから、同じぐらい多様で思い出深い挫折だって、もっとわいわいと語れればきっと楽しい。

もし思い出深い挫折、挫折ポイントがあったら「♯挫折した海外文学選手権」でTwitterに書いてもらえるとうれしいです。

 

 

みんなの #挫折した海外文学選手権

togetter.com

 

海外文学以外の「みんなの挫折本」が集まったまとめ。

『地図の物語』アン・ルーニー|地図が小説に似ていた時代

一般に、地図の用途といえば、経路や地形を調べることだ。旅の手引きともなる。だが、歴史を振り返ると、こうした用途ばかりではないことがわかる。

ーーアン・ルーニー『地図の物語』

 

かつて地図が小説に似ていた時代があった。 

「地図」といえば、今ならメルカトル図法の地図やGoogle Mapが思い浮かぶ。これらの地図は世界共通で、国や人や文化によって変わるものではない。

しかし、世界共通の地図になったのは、ここ数世紀のことだ。人類の歴史の長いあいだ、地図は独創的で個性的な、想像力の住処だった。

 

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『アルテミオ・クルスの死』カルロス・フエンテス|おまえは選ぶだろう、愛を失う人生を

お前は選ぶだろう、生き延びるために選ぶだろう、無数の鏡の中から一枚を選ぶだろう、たった一枚のその鏡は他の鏡を黒い影で覆い隠し、もはや取り消すことのできない形でお前を映し出すだろう、他の鏡が選び取ることのできる無数の道をもう一度映し出す前に、それらをすべて殺害するだろう。

ーーカルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』

 

人生は縦横無尽に張りめぐらされたあみだくじのようなもので、人は岐路にたどりつくたびに意識的あるいは無意識のうちに選択を繰り返し、死という終着点に向かってひた前進していく。

岐路のうちには、その後のすべての道を塗り替えるほど強いものがある。しかし、多くの人は対峙した時には気づかず、後から振り返って、それがそうだったと気づく。

 

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『白い病』カレル・チャペック|ただひとりだけ疫病の特効薬をつくれたら

 患者を隔離して、ほかの人と接触させないようにする。<白い病>の症状が出たら、すぐに隔離する。うちの上に住んでるばあさんがここで亡くなるとしたら、耐えられんな! 階段の臭いがきつくて、もう誰もこの建物には近寄れなくなる……

――カレル・チャペック 『白い病』

 

猛威をふるう疫病を治せる治療薬を、ただひとりつくれるとしたら、どう使うだろうか?  分け隔てなく使うか、つくり方を公開するか、自分の利益となるよう動くか、それとも?

 

戦争がしのびよる不安な時代を舞台にした、疫病の戯曲である。

1930年代、戦争目前のロシアで、白い斑点ができてから、猛烈な悪臭を放って死ぬ疫病が蔓延する。感染するのは50代以上で、治療法はない。発症したら消臭剤をふりまいて悪臭をおさえながら、死を待つしかない。

絶望的な状況のところに「特効薬を見つけた」と主張する町医者ガレーンが登場する。しかし彼は、無邪気な救世主ではなく、治療に「条件」をつけた。

ある人にとっては望ましく、ある人にとっては耐えがたいこの条件をめぐり、政治家や富裕層、病院権力者とガレーンの心理戦が勃発する。

 

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『雨に呼ぶ声』余華|家にも故郷にも帰る場所がない

 孤独で寄る辺のない呼び声ほど、人を戦慄させるものはない。しかも、それは雨の日の果てしない闇夜に響き渡ったのだ。

ーー余華『雨に呼ぶ声』

 

『雨に呼ぶ声』を読み終わった後に残った言葉は「寄る辺なさ」である。

自分が所属する共同体に居場所がない時、共同体の誰とも打ち解けられない時、数少ない心寄せる人を失った時、人はどこにも行く場所がない、帰る場所がないと感じる。

本書は、そういう寄る辺なさをそのまま書物にしたような小説だ。

 

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『バグダードのフランケンシュタイン』アフマド・サアダーウィー|日常茶飯事の自爆テロがうんだ悲しき怪物

「誰かにこういうでたらめな話をしてもらうのは難しい。でも実行された犯罪の背後には、必ずこういう整然とした、でたらめな話がある」

ーーアフマド・サアダーウィー『バグダードフランケンシュタイン

 

バグダードフランケンシュタイン』や『死体展覧会』といった現代イラク小説を読んで驚くのは、死に直結する暴力の、異常なまでの「日常性」である。

歩いていたら自爆テロに巻きこまれた、通りの反対側を歩いていたら今ごろ死んでいた、歩いていたら爆風で飛ばされた遺体の破片を見つけた、といった恐ろしい出来事が、「雨に降られた」レベルの日常ごととして語られる。

そういう世界だから、死体からうまれた怪物、「自爆テロの化身」がうまれたのかもしれない。

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