ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『アルテミオ・クルスの死』カルロス・フエンテス|おまえは選ぶだろう、愛を失う人生を

お前は選ぶだろう、生き延びるために選ぶだろう、無数の鏡の中から一枚を選ぶだろう、たった一枚のその鏡は他の鏡を黒い影で覆い隠し、もはや取り消すことのできない形でお前を映し出すだろう、他の鏡が選び取ることのできる無数の道をもう一度映し出す前に、それらをすべて殺害するだろう。

ーーカルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』

 

人生は縦横無尽に張りめぐらされたあみだくじのようなもので、人は岐路にたどりつくたびに意識的あるいは無意識のうちに選択を繰り返し、死という終着点に向かってひた前進していく。

岐路のうちには、その後のすべての道を塗り替えるほど強いものがある。しかし、多くの人は対峙した時には気づかず、後から振り返って、それがそうだったと気づく。

 

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『白い病』カレル・チャペック|ただひとりだけ疫病の特効薬をつくれたら

 患者を隔離して、ほかの人と接触させないようにする。<白い病>の症状が出たら、すぐに隔離する。うちの上に住んでるばあさんがここで亡くなるとしたら、耐えられんな! 階段の臭いがきつくて、もう誰もこの建物には近寄れなくなる……

――カレル・チャペック 『白い病』

 

猛威をふるう疫病を治せる治療薬を、ただひとりつくれるとしたら、どう使うだろうか?  分け隔てなく使うか、つくり方を公開するか、自分の利益となるよう動くか、それとも?

 

戦争がしのびよる不安な時代を舞台にした、疫病の戯曲である。

1930年代、戦争目前のロシアで、白い斑点ができてから、猛烈な悪臭を放って死ぬ疫病が蔓延する。感染するのは50代以上で、治療法はない。発症したら消臭剤をふりまいて悪臭をおさえながら、死を待つしかない。

絶望的な状況のところに「特効薬を見つけた」と主張する町医者ガレーンが登場する。しかし彼は、無邪気な救世主ではなく、治療に「条件」をつけた。

ある人にとっては望ましく、ある人にとっては耐えがたいこの条件をめぐり、政治家や富裕層、病院権力者とガレーンの心理戦が勃発する。

 

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『雨に呼ぶ声』余華|家にも故郷にも帰る場所がない

 孤独で寄る辺のない呼び声ほど、人を戦慄させるものはない。しかも、それは雨の日の果てしない闇夜に響き渡ったのだ。

ーー余華『雨に呼ぶ声』

 

『雨に呼ぶ声』を読み終わった後に残った言葉は「寄る辺なさ」である。

自分が所属する共同体に居場所がない時、共同体の誰とも打ち解けられない時、数少ない心寄せる人を失った時、人はどこにも行く場所がない、帰る場所がないと感じる。

本書は、そういう寄る辺なさをそのまま書物にしたような小説だ。

 

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『バグダードのフランケンシュタイン』アフマド・サアダーウィー|日常茶飯事の自爆テロがうんだ悲しき怪物

「誰かにこういうでたらめな話をしてもらうのは難しい。でも実行された犯罪の背後には、必ずこういう整然とした、でたらめな話がある」

ーーアフマド・サアダーウィー『バグダードフランケンシュタイン

 

バグダードフランケンシュタイン』や『死体展覧会』といった現代イラク小説を読んで驚くのは、死に直結する暴力の、異常なまでの「日常性」である。

歩いていたら自爆テロに巻きこまれた、通りの反対側を歩いていたら今ごろ死んでいた、歩いていたら爆風で飛ばされた遺体の破片を見つけた、といった恐ろしい出来事が、「雨に降られた」レベルの日常ごととして語られる。

そういう世界だから、死体からうまれた怪物、「自爆テロの化身」がうまれたのかもしれない。

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『忘却についての一般論』ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ|傷ついた記憶を忘れずに生き延びる

自分はどこの人間でもない。あそこは、自分が生まれたあの土地は、寒かった。あの狭い道、向かい風と荒天のなか、頭を低くして歩く人々の姿を鮮明に思い出した。自分のことを待つ人はどこにもいない。

ーージョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ『忘却についての一般論』

 

30年近く続いた内戦を籠城し続けて生き延びた、驚くべき女性の話である。

舞台は、アフリカ大陸の南西海岸に位置するアンゴラの首都、ルアンダルワンダではない、ルワンダはアフリカにある別の国だ)。

姉の結婚とともにアンゴラに移住したポルトガル人女性ルドは、いわば「アンゴラの引きこもり」だ。彼女は外を歩くことが恐ろしくてたまらず、家の中から出られない。

ルドが部屋で静止した時間を生きている中、アンゴラは激動する。ポルトガルから独立して、そのまま泥沼の内戦へと地すべりしていく。国外退去どころか部屋から出られないルドは、愛犬とともに、引きこもりサバイバル生活へ否応なしに突入する。

 

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アメリカ大統領選挙の支持地盤で読む、アメリカ文学リスト

2020年アメリカ大統領選挙は激戦だった。2016年大統領選挙以降、世界中で、共和党と民主党それぞれを支持する「支持州」と「支持層」に注目が集まったように思う。

アメリカの大統領選挙は、人口ごとに選挙人数が割り振られ、州ごとにどちらかの政党を選ぶ「勝者総取り方式」が大半だ。そして州ごとにどちらかの政党を選ぶ傾向があり、この傾向は「土地」と「社会構成」を反映するため、多くのニュースやエッセイが問いを投げかける。

各政党の支持地盤はどんな地域か、どんな歴史があるのか、どんな人たちが住んでいるのか? 

この問いにたいする論考やエッセイ、書籍はすでにたくさんあるが、「アメリカ文学」もこの問いにたいして答えのひとつを持っている、と思う。

文学は、土地と社会と人によって育まれる。「どんな人たちなのか」「その人たちが生きる土地はどんな場所か」「その土地はどんな歴史を持っているのか」を知るには、うってつけだ。

そんなわけで、各政党それぞれの支持地盤ごとに「アメリカ文学リスト」をつくってみた。

方法

アメリカを下記3つに分類し、それぞれの地域を舞台とした小説をまとめた。作者の出身地ではなく、小説の舞台で選んでいる。「出身地=小説の舞台」もある。

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  • レッド・ステート:共和党を支持する傾向の州
  • ブルー・ステート:民主党を支持する傾向の州
  • スウィング・ステート:両方の支持が拮抗している州、激戦州、パープル・ステート

政治傾向は、21世紀以降の傾向で分類している。「州」で分類したのは、重複なくわけられるためだ。(社会構成は、性別、人種、経済、教育などいくつも要素があるので分類しづらい)。

州の中でも都市(民主党)と地方(共和党)では投票傾向に差がでるが、これまた分類が難しくなるし、州ごとに投票傾向があること、ニュースが州ごとに報道していること、多くの人が州単位の色分け地図を見慣れていることから、州単位でまとめている。

なお、このリストで紹介する文学は、あくまで「風土、文化、住む人々の声」を知るためのもので、作者の政治思想とは関係ないし、政治について語っている小説でもない。

また、明確な場所がわからないアメリカ文学、ちょっと出てくるけれどメイン舞台でない小説(メルヴィル『白鯨』におけるマサチューセッツ州ナンタケットなど)は対象外にしている。

 

レッド・ステート(共和党の支持地盤)

レッド・ステートは、地方、内陸側に多い。面積が広いため、地図で見るとレッド・ステートが圧倒的多数に見えるが、人口密度が少ないため、選挙人の数は少なめだ。

「南部」は、綿花栽培と奴隷制度の歴史を持ち、湿地帯が広がっている。また熱心なキリスト教地域で、聖書を読み、教会に行く人が都市部より多い。現在では聖書アプリを携帯電話にいれている人を多数見かけるという。

 

八月の光 (光文社古典新訳文庫)

八月の光 (光文社古典新訳文庫)

 

 

アブサロム、アブサロム!(上) (岩波文庫)

アブサロム、アブサロム!(上) (岩波文庫)

 
  • 小説の舞台:南部ヨクナパトーファ郡(ミシシッピ州) 

南部といえば、みんな大好きフォークナーである。8月になると、私のTwitterタイムラインではみんなが『八月の光』を読み始める。舞台のほとんどが、南部にある架空の郡「ヨクナパトーファ郡」。ヨクナパトーファ郡は、彼が住んでいたミシシッピ州ラファイエット郡がモデルと言われている。奴隷制度、綿花畑、白人と黒人の血が混ざっていく、血が燃えたぎる土地のサーガを「ヨクナパトーファ・サーガ」として連作で書いている。中でも『アブサロム、アブサロム!』は何回も読み返したい傑作。

 

  • 小説の舞台:南部(ジョージア州) 

恩寵作家ことフラナリー・オコナーはジョージア州出身で、自身が南部小説家であることを強く意識していて、「私の書物に性格を与えた環境上の事実は、南部人であることと、カトリック教徒であることの2つである」と言い切っている。オコナーの小説は南部を舞台とした「恩寵系・劇薬小説」で、「自分はいい人」と思っている人間にたいして激烈な「恩寵」を与えて、目の中に入っている丸太を叩き落とす。どれも弾丸のように撃ち抜いてきて忘れがたい。

 

ハックルベリー・フィンの冒けん

ハックルベリー・フィンの冒けん

 
  • 小説の舞台:ミシシッピ州

「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」とアーネスト・ヘミングウェイは書いた。舞台はミシシッピ州。『ハックルベリー・フィンの冒険』は、白人少年ハックと黒人の逃亡奴隷ジムがともに生きづらい故郷を脱出するために、ミシシッピ川流域をわたる冒険ものだ。川流域の風景、食事、霧など、ミシシッピ川流域の雰囲気にどっぷりひたれる。ハックが決断するシーンは何度読んでもすばらしい。

 

心は孤独な狩人

心は孤独な狩人

 
  • 小説の舞台:南部

南部小説の名作と名高いが、長らく絶版で、今年にめでたく新訳で復刊した。ありがとうハルキ・ムラカミ。『心は孤独な狩人』は、「個人の孤独」に焦点をあてている。「自分を理解してくれる人が欲しい、認められたい」という誰もが持つ願いと、人の心はどこまでいっても交わらない悲哀を描いている。聴覚障害を持つ白人は、ほほえみ、うなづき、自分の意見を口にしない。だから南部の多様な人たちが「理想の理解者」として彼に心を打ち明ける。しかし、彼の理解者は? 誰かに認めてほしくて、理想の理解者像を作り上げる。人はそういう悲しくて孤独な生き物なのだ。

 

地下鉄道 (ハヤカワepi文庫)

地下鉄道 (ハヤカワepi文庫)

 
  • 小説の舞台:深南部(サウスカロライナ州)、ノースカロライナ州 

奴隷制度時代のディープ・サウス(深南部)から北部に向かって逃亡する、逃亡奴隷少女のサバイバル脱走小説。「地下鉄道」とは、実際に存在した、逃亡を助ける秘密組織である。逃亡奴隷は地図も情報もないから、彼らの助けなしには逃亡できなかった。主人公は、南北を横断する逃走を続けるので、風景と人々がどんどん変わっていって、アメリカを旅行する(それにしてはあまりにも過酷だが)ロード・ノベルでもある。

 

  • 小説の舞台:テキサス州

イラク戦争から一時帰還した米兵が、「英雄」としてアメフトのスタジアムで、熱狂的な愛国者に歓迎される1日を描いた小説。舞台は、共和党が長年勝ち続けてきたテキサス州。英雄、愛国、アメフト、米軍、お祭り騒ぎといったアメリカてんこ盛り要素と、イラク戦争のフラッシュバックが入り乱れる、21世紀アメリカらしい小説。

 

ジーザス・サン (エクス・リブリス)

ジーザス・サン (エクス・リブリス)

  
  • 小説の舞台:中西部

おそらく中西部と思われるアメリカの田舎町で、麻薬を打ち、刑務所を出入りしている「破滅的に生きているアメリカ人」を描く。彼らはたいてい貧しく無職で、空き家にはいって金属を盗んだり、ひたすら飲んだくれたり、麻薬にふけったりする。目にナイフが突き刺さっている人が緊急治療室にくるなど、タフでユーモアがある物語が、電撃のような文章で描かれる。目にナイフが刺さっている人の話は、YouTubeでショート・ムービーが見られる。著者が目にナイフが突き刺さった男役で、真顔ギャグで大変よい。

 

オーバーストーリー

オーバーストーリー

 
  • 小説の舞台:中西部

中西部に広がる原生林を舞台とした「アメリカン・樹木小説」。中西部に木を植えた一族の末裔が、アメリカ最後の原生林に呼び寄せられて西へ向かう。アメリカの中西部といえば、開拓し尽された赤い土を想像しがちだったが、原生林が残されていると、『オーバーストーリー』ではじめて知った。

 

  • 小説の舞台:オクラホマ州、中西部

アメリカのど真ん中、中西部にあるオクラホマ州と西部、カルフォルニアを横断する「貧困一族の不屈の上京小説」。干ばつ、砂嵐で所有地が使えなくなってしまった農家一族が、仕事を求めて西の都市カリフォルニアへ向かう。同じ家族でも、土地を捨てて土地から離れることで、塞ぎこむ人と、強くなる人がいる。赤い土のオクラホマ州、カリフォルニアに向かう途中の西部州を移動するロード・ノベルであると同時に、資本家によって土地を奪われる経済構造のえぐさを描いている。

 

ブルー・ステート(民主党の支持地盤)

 ブルー・ステートは、都市部、海岸沿いが中心だ。代表的なのがニューヨークがあるニューヨーク州、サンフランシスコやシリコンバレーがあるカリフォルニア州だ。都市部のため、面積は狭いが人口密度が高く、ニューヨーク州とカリフォルニア州は、トップ3の選挙人数を持つ。

東海岸は、入植者ピルグリム・ファーザーズが住み着いた町で、アイビーリーグをはじめとした著名大学が集中している。

西海岸は開拓時代のゴールド・ラッシュで爆発的に人口が増え、その後はIT企業が集まるシリコンバレーとなる。IT界隈にいる人たちが考える「アメリカ」のイメージはほとんどが西海岸ベースだと思う。日本人(そして多くの外国人)にとって最もなじみがあるだろう、アメリカ地域。

 

ガラスの街 (新潮文庫)

ガラスの街 (新潮文庫)

 
ブルックリン・フォリーズ (新潮文庫)

ブルックリン・フォリーズ (新潮文庫)

 
  • 小説の舞台:ニューヨーク州 

ポール・オースターは、「ニューヨーク三部作」をはじめとして、東海岸ニューヨークを舞台にした小説を書いている。初期の「ニューヨーク三部作」は都市の孤独と幻影が強い都市小説で、『ムーン・パレス』はニューヨーク州の名門コロンビア大学に通う学生が主人公。『ブルックリン・フォリーズ』『サンセット・パーク』は、ブルックリンを舞台にした、家族小説。 

 

 

ティファニーで朝食を (新潮文庫)

ティファニーで朝食を (新潮文庫)

 
  • 小説の舞台:ニューヨーク州

21世紀になって、ティファニーにダイニングができた、というニュースを聞いた時、50年以上前の小説の人気をあらためて知った。売れない小説家の男性と自由奔放な女性が出会い、ニューヨークを歩きながら会話する。ホリーの話がとてもいい。

 

オープン・シティ (新潮クレスト・ブックス)

オープン・シティ (新潮クレスト・ブックス)

 
  • 小説の舞台:ニューヨーク州

 ニューヨークを散歩する、散歩小説。ナイジェリア系アメリカ人の精神科医が、マンハッタンの街並みをひたすら散歩し、思索にふけり、人々と話し、また考え、歩いていく。ニューヨークを歩きながらナイジェリアの記憶に地すべりしていき、マンハッタンを歩きながら世界のどこか、あるいはどこでもない場所を歩いている。

 

クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))

クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))

 
  • 小説の舞台:ニューヨーク州

ニューヨークのメトロポリタン美術館へ家出する、タフな姉弟の冒険小説。「みんなのうた」の「メトロポリタン美術館」でトラウマとなった人が多いだろうが、原作は最高なので、ぜひ読んでほしい。小学生の頃に読んで、こういうタフさといたずらと冒険心を持つ大人になりたいと思ってきた。小学生の頃からずっと好き。

 

書記バートルビー/漂流船 (古典新訳文庫)

書記バートルビー/漂流船 (古典新訳文庫)

 
  • 小説の舞台:ニューヨーク州 

世界の金融街ウォール街は、昼夜を問わず激烈に働くピープルの巣窟だが、メルヴィルが描くウォール街には、仕事を「せずにすめばありがたい」と全力拒否する男がいる。仕事をしたくない時に、バートルビーのマネをするだけで心がやすらぐので、仕事したくないなと思ったら(つまり今すぐに)読んでほしい。

JR

JR

 
  • 小説の舞台:ニューヨーク州  

ニューヨークの「金融街」としての狂乱を描いた小説。インターネットがない時代、小学生の少年JRが電話と郵便を駆使して企業を成長させていく。無邪気さ、金へのがめつさ、成り上がりぶりから、アメリカの擬人化小説としても読める。分厚いうえに、99%発話者がわからない会話のみという狂気のスタイルで、読者を混沌にぶちこむ。

 

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

 
  •  小説の舞台:ニューヨーク州 

偉大なるギャツビーが屋敷をかまえたのは、ニューヨーク州郊外のロング・アイランドである。アメリカン・ドリームを手にして失う、ピンクスーツを着た男の恋と悲哀を描く。

 

  •  小説の舞台:カリフォルニア州

ピンチョンの中ではいちばん親しみやすいと言われる、地球人フレンドリーなピンチョンの小説。どこにでもいる平凡な主婦のもとに大富豪の元彼から遺産が……!と、なろう小説に登場しそうな設定の上で、陰謀論と秘密組織と謎が大挙して押し寄せて暴れ散らかす。カリフォルニアの町のあちらこちらに描かれるラッパマークを追っていけば、無事にみんな迷宮入り。

 

  • 小説の舞台:カリフォルニア州 

西海岸カリフォルニア州ロサンゼルスに住む作家が、仕事に行き詰まり地元のフリーペーパーに広告を載せる人に会いに行くことを思いつく。ホワイトカラーの著者がいつもの生活をしていたら、フリーペーパーを利用する人々(だいたいがブルーカラーか無職)と関わりあうことはないが、この行動によって不思議な出会いがうまれる。それぞれのフリーペーパー掲載者の癖の強さと、ミランダの素直でさらけ出すスタイルがあいまって、とてもいい。アメリカ・ミーツ・アメリカ。

 

オン・ザ・ロード (河出文庫)

オン・ザ・ロード (河出文庫)

 
【新訳】吠える その他の詩 (SWITCH LIBRARY)

【新訳】吠える その他の詩 (SWITCH LIBRARY)

 
  •  小説の舞台:カリフォルニア州 

アメリカから世界に広がったビート・ジェネレーションは、西海岸、カリフォルニア州サンフランシスコで誕生した。ギンズバーグが詩集を刊行した、カリフォルニアのシティ・ライツ・ブックストアでギンズバーグは『吠える』を刊行した。ヒッピー文化の源泉ともなる、大きなムーブメントをつくったサンフランシスコは、けっこうな文学都市だと思う。

 

勝手に生きろ! (河出文庫)

勝手に生きろ! (河出文庫)

 
  •  小説の舞台:カリフォルニア州 

きらきらしたサンフランシスコではなく、日雇い労働と娼婦と飲んだくれのサンフランシスコを描く。いろいろ丸出しで、精神全裸とでも呼ぶべき率直さは、読んでいてすがすがしい。ブコウスキーはすぐに仕事を辞めてアメリカ中を転々とするが、やがてサンフランシスコに落ち着いた。作品の舞台のほとんどはサンフランシスコで書かれている。

 

芝生の復讐 (新潮文庫)

芝生の復讐 (新潮文庫)

 
  • 舞台:カリフォルニア州 

ブローティガンの描くアメリカは、端的に言えばすごく変だ。幻想が浮遊している、メランコリア・アメリカ。

 

スウィング・ステート(激戦州)

 スウィング・ステート(共和党と民主党どちらにも寄らず揺れ動く州)は、激戦州であり、勝敗を左右する。北部カナダ国境沿いの五大湖周辺、西海岸のフロリダ州、南部メキシコ国境沿いが、おもな激戦州として注目されている。

五大湖周辺はカナダ国境に近い内陸で、冬はとても寒い。水路があるため、工業地帯として発展したが、グローバル化のあおりを受けて、今は「ラスト・ベルト」(錆ついた工業地帯)と呼ばれる。2016年大統領選挙では、五大湖地域州が共和党に投票したことが話題となった。

メキシコとの国境地帯は砂漠が多く、ラティーノ系住民が多い。また不法移民対策のため、メキシコとの間に「壁」をつくる、と言われた場所でもある。

 

路地裏の子供たち

路地裏の子供たち

 
  • 小説の舞台:イリノイ州 

五大湖地域イリノイ州の都市シカゴを舞台にした「アメリカの下町」小説。シカゴは工業地帯で移民が多く、冬はとてつもなく寒い。2019年にはマイナス50度の大寒波ニュースが出た土地だ。訳者の柴田氏いわく、日本の京浜工業地帯に雰囲気が似ているらしい。冬の寒い景色、移民、工業地帯の下町など、ラスト・ベルトの雰囲気をぞんぶんに感じられる。

 

 

私の名前はルーシー・バートン
 
何があってもおかしくない (早川書房)

何があってもおかしくない (早川書房)

 
  • 小説の舞台:イリノイ州 

貧しい実家への割り切れない感情を描いた、「田舎の実家」小説。五大湖地域イリノイ州の貧しい工業地帯の田舎で幼少期をすごした女性が、兄弟の中でひとりだけ大学に行き、結婚してニューヨークに移り住み、アメリカン・ドリームを叶える。実家は貧しく、親とは気質があわず疎遠になっていたが、会ってみるとさまざまな感情が飛来する。とても繊細な心の揺れを描く作家で、実家に複雑な感情を持っている人におすすめ。

 

  • 小説の舞台:オハイオ州 

五大湖地域オハイオ州にある、架空の田舎町ワインズバーグに住む人たちを描く群像小説。小さな田舎町で「自分は特別だ」と思っている人たちが、夢を抱えながらも出口を見つけられないでいる。2016年大統領選挙以降は、『ヒルビリー・エレジー』の先祖としての文脈で紹介されている。

 

 

ザリガニの鳴くところ

ザリガニの鳴くところ

 
  • 小説の舞台:ノースカロライナ州 

アメリカ南部には、豊かな湿地帯が広がっている。その湿地帯を舞台にした少女サバイバル。過酷な家庭環境でたった1人で生きてきた少女に、殺人事件の疑いが向けられる。著者が動物学者のためか、生き物と自然の描写が際立っている。

 

  • 小説の舞台:メキシコ国境地域

メキシコ国境地帯といえば、コーマック・マッカーシーである。「国境三部作」ほか、多くの作品舞台が、国境付近の砂漠と荒野である。マッカーシーが描く国境は暴力が吹き荒れており、いちど踏み入れたら生きて帰れる心地がしない。『ブラッド・メリディアン』『血と暴力の国』では人外めいた殺戮者が登場し、「すべての者は死ぬ運命にある」と歌いあげる。

 

サブリナとコリーナ (新潮クレスト・ブックス)

サブリナとコリーナ (新潮クレスト・ブックス)

 
  • 小説の舞台:コロラド州

メキシコ国境付近のラティーノ系住民とコミュニティを描いた短編小説。表題作の舞台は、コロラド州にある架空の町。先住民系やラティーノ系が多く、白人コミュニティとは交わらない。ラティーノ系アメリカ人が書いた文学はあまり読んだことがなく、国境地帯の雰囲気は他の都市部や南部と違っていた。

 

まとめ

 

地図で読むアメリカ

地図で読むアメリカ

 

 今回、各州の歴史や人種、風土、経済、政治については、ジェームス・M・バーダマン『地図で読むアメリカ』を参照した。アメリカ50州を10の地域にわけて、歴史、経済、政治、文化をバランスよく紹介していて、アメリカ文学を読む時に、手元に置きながら参照すると、いろいろはかどってよい。

 

このブログでは「アメリカ文学」とひとつのカテゴリに入れているけれど、読んでいくうちに、多様な国が集まってできた国、まさに「United States」なアメリカなのだと気づく。

あれほど広大な国土で、州ごとに法律も歴史も住んでいる人たちも違うのだから、そりゃそうだろうと思うが、地域やコミュニティを意識せず、なんとなく漠然とした「アメリカという国の小説」として読んできたことも確かで、地図を見て、歴史を調べつつ読むようになったら、ずいぶんとアメリカのいろいろな顔が見えてきた気がする。

 

 その土地に住んだことがなくても、旅行したことがなくても、その土地の雰囲気と歴史を感じられるのが、小説のよいところだと思う。

個人的には、ラスト・ベルトあたりと中西部をあまり知らないから、ここらへんの地域の小説を読んでみたい。

あと、作ってみたらけっこうおもしろかったので、海外文学ブックフェアとしてやってみるのはいかがですか(版元と書店の皆さん、いかがですか)。

海外文学アドベント・カレンダーをつくった

 

『誓願』マーガレット・アトウッド|地獄に風穴を開けるシスターフッド

「トショカンってなに?」

「本をしまってある場所。本でいっぱいの部屋が、たくさん、たくさんある」

「それって、邪なもの?」わたしは訊いた。「そこにある本って?」わたしは部屋いっぱいに爆発物が詰めこまれているさまを想像した。

ーーマーガレット・アトウッド誓願

 

女性が男性に徹底服従させられるアメリカを描いた胃痛抑圧ディストピア小説侍女の物語』は、赤い小説だった。赤は、高位男性に仕える侍女たちが着る服の色、血の色、妊娠の徴の色、怒りの色、警告の色、不穏の色で、表紙から中身まですべてが赤に染まっていた。

34年ぶりに出た続編『誓願』の表紙は、赤の補色(反対色)、緑である。『侍女の物語』続編が出ると聞いた時、またあの不穏で孤独なつらさを味わうのかと思っていたが、表紙の色を見た時に、これは希望が持てるのかもしれない、と思った。

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『勝手に生きろ!』チャールズ・ブコウスキー|丸出しでまるごとそこにいる男

「あんた、まるごとそこにいるのね」「どういう意味?」「だからさ、あんたみたいな人、会ったことないわよ」「そう?」「他の人は10%か20%しかないの。あんたはまるごと、全部のあんたがそこにいるの。大きな違いよ」

ーーチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』 

 

ブコウスキーは、いつか読もうと思いつつも通りすごした作家のひとりだ。学生の頃、ブコウスキーは最高だよ、マイ・フェイバリットだよ、とビールを飲みながら(彼はいつもビールを飲んでいた、授業中でも飲んでいた)推してきた友人がいたのだが、なんとなく手に取らないまま読み過ごした。ようやく読んでみた今、思っていたよりもずっとブコウスキーは率直でユーモアがあると知った。なんだ、こんなことならもっとはやく読んでおけばよかった。

 

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『昼の家、夜の家』オルガ・トカルチュク|われら人類は胞子のように流れる

ガイドブックには、食べられるものと、そうでないものとの違いが、事細かに書いてある。よいキノコと、悪いキノコ。キノコを、美しいか、醜いか、いいにおいがするか、くさいのか、手ざわりがいいか、悪いか、罪に導くキノコか、罪を赦すキノコか、そうやって分類する本は一冊もない。人はみな、自分が見たいものしか見ない。

――オルガ・トカルチュク『昼の家、夜の家』

 

秋になると、いつも『昼の家、夜の家』を思い出す。この小説は、キノコの小説であり、秋の小説だ。ポーランドでは、毎年秋になると皆がキノコ料理を食べて、キノコ狩りをするという。落ち葉を思わせる表紙の絵は「秋」という名前で(完璧な表紙だ)、小説の構成もどこかキノコに似ている。

 

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『サブリナ』ニック・ドルナソ丨失踪事件、ソーシャルメディア、陰謀論

みんなに怒りを感じてしまう。

誰に?

みんなだ。自分も含めて。 

ーーニック・ドルナソ『サブリナ』

 

人間社会が発する耐えがたいノイズを、頭が割れるようなレベルまで増幅させたような書物だ。ほとんど表情がない「棒読み演技」みたいな絵柄でありながら、どす黒く歪んだ感情が満ちている。

 

『サブリナ』は「失踪した女性サブリナに関わる人たち」の話だ。 

本書には、3種類の人間が登場する。消えたサブリナを中心に、恋人や家族などの「近い人」、近い人間の知り合いなどの「すこし遠い人」、そして面識がない「まったく遠い人」たちがいる。

恋人や家族は、サブリナの失踪を悲しみ、不安になったり絶望したりする。彼らの知り合いは、サブリナを失った人たちを守ろうとする。

そして赤の他人たちは、サブリナ事件にたいして、妄想と陰謀論に満ちた言葉の石を投げつける。サブリナ事件は二転三転し、サブリナを知る人も、サブリナを知らない人も、皆がそれぞれの作法で病んでいく。

 

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『11の物語』パトリシア・ハイスミス|嫌ギア全開で突き進め

 ……あたしがほんとに仕合わせになるのにたらないものといったら、あと一つ。いざというときにあたしがどんなに役に立つか証明してみせればいいだけだ。

ーーパトリシア・ハイスミス『11の物語』「ヒロイン」

 

保育園に生き物コーナーができた。生き物コーナーにはスズムシやメダカ、カタツムリがいて、園児たちでにぎわっている。おちびとともに、ゆっくりと這ってツノを動かすカタツムリを眺めているうちに、そういえば「カタツムリ小説」がある、と本書のことを思い出した。

 本書は「カタツムリ小説」やデビュー作「ヒロイン」を含む、11の短編を収めている。『11の物語』という簡潔で癖のないタイトルとは裏腹に、異様で歪んだ人間たちを描く。

 

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『ずっとお城で暮らしてる』シャーリイ・ジャクスン|悪意まみれの世界と戦う憎悪少女

みんな死んじゃえばいいのに。そしてあたしが死体の上を歩いているならすてきなのに。

ーーシャーリイ・ジャクスン 『ずっとお城で暮らしてる』

 

『ずっとお城で暮らしてる』のイメージは、パステルカラーの砂糖菓子、薔薇の花びらで飾られた、宝石のように美しいベリーが輝くフルーツケーキだ。ただしそのスポンジにはたっぷりと毒物にひたっていて、上にはヒ素入りの砂糖がまぶしてある。素晴らしく魅惑的で、食べたら即死する、美と悪意の塊。

 

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『ホール』ピョン・ヘヨン|人生の真ん中にあいた大穴

ずっと前から、ひょっとすると人生というものがわかりかけた気がした頃から、生を営んできたと同時に、失ってきたのかもしれない。時々こんな気分になった。何事も充実しているが、しきりに何かを失っているような。

ーーピョン・ヘヨン『ホール』

 

「穴」のことを考える時、穴の先にあるものを想像する。風穴やトンネルのようなどこかへつながる道としての穴、洞穴や落とし穴のような行きどまりの穴、心の穴やドーナツの穴のような道も終着点もない空白の穴。この穴の小説には、これらすべての穴がある。

 

地図学の大学教授オギは、妻とのドライブ中に事故を起こす。妻は死亡し、オギはほとんど体が動かない状態(目と左手だけがすこし動かせるだけ)になってしまう。

自分の世話をできないオギのもとに、妻の母である義母がやってくる。義母は、娘だけを生きがいとしていたが(この時点でやばい)、娘が死んでしまってからは、娘婿のオギを生きがいとばかりに、オギの世話をしようと家の中に入りこんで、オギのパーソナルスペース、家、人生に侵入してくる。

 

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『アメリカ深南部』青山南|南部の心臓を歩く旅

「デルタでは、世界のほとんどが空のようだ」

ーー青山南アメリカ深南部』

 

8月は、1年のうちでもっともアメリカ南部に近づく月である。

それはウィリアム・フォークナー八月の光』のせいかもしれないし、フォークナーにつられて南部小説を読みつらねた記憶のせいかもしれないし、炎天下の光にさらされた綿花畑の幻影のせいかもしれない。それに今年は、『八月の光』初版の装丁をプリントしたTシャツを買ってしまった。そういう8月の末日に、本書が目の前にあらわれた。 

 

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『ウンガレッティ全詩集』ジュゼッペ・ウンガレッティ|呆然とした空白の漂流

路上の/ どこにも/ 家を/ ぼくは/ もてない

新しい/ 風土に/ 出会う/ たびに/ かつて/ 慣れ親しんだ/ おのれを見つけては/ ぼくは/ やつれてしまう

そのたびに見を引き離してゆく/ 行きずりの者として

生まれながらに/ あまりにも生きてしまった/ 時代からの生還

ほんの始まりの/ 命の瞬間を/ 楽しむだけだ

そして無垢の/ 土地を探しにゆく

ーージュゼッペ・ウンガレッティ「漂白の人」

 

須賀敦子『イタリアの詩人たち』で、ウンベルト・サバの次に登場した詩人が、ジュゼッペ・ウンガレッティだった。

ウンベルト・サバの詩は、石、家、道、坂を見つめながら、地に足をつけながら歩いていくような詩、深呼吸をするような詩だった。次に流れついたウンガレッティの詩は、砂漠、川、墓、木立ち、夜、波のあいだを縫いながら、呆然とする空白へと私を運んでいく。

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