ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判』アリエル・ドルフマン|チリに満ちる悪の惨禍

 チリの誰もが気づいていた。本当に何が起きているのかを知っていた。近くの地下室で遠い砂漠で、果てしなく起きていることを知っていた。果てしなく起きる。これが抑圧の病的ロジックである。止むことなく続くというのがテロルの定義なのだ。 

−−アリエル・ドルフマン『ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判』

チリに満ちる悪の惨禍

ボラーニョの文学には「言葉にしてはいけない悪」の気配が満ちている。この悪は名指しこそされないが、ひたひたと空気の中に満ちていて、人々の臓腑にまでたどりつく。

チリの空気に満ちる悪として真っ先に思い浮かぶのは、チリの独裁者ピノチェトだ。『通話』『はるかな星』『アメリカ大陸のナチ文学』では登場しなかったピノチェトが『チリ夜想曲』で登場したので、ピノチェトとはなんなのかを知ろうと思い、この本を手に取った。

ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判―もうひとつの9・11を凝視する

ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判―もうひとつの9・11を凝視する

 
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『チリ夜想曲』ロベルト・ボラーニョ|悪は沈黙する

チリよ、チリ。いったいどうしてお前はそんなに変わることができたのだ?…お前はいったい何をされたのだ? チリ人は狂ってしまったのか? 誰が悪いのだ?

――ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』

沈黙、語りたくなかったもの

ボラーニョの小説はドーナツの穴のようなものだ。穴ではない周辺部のドーナツを描くことで、最後にドーナツの穴が忽然と現れる。

対象そのものを注意深く避けて「描かないことによって対象を浮かび上がらせる」手法は、言論の自由がない状況下あるいは後ろめたいことがある時に用いられる。

『チリ夜想曲』は後者の物語だ。文学的に成功した神父が病床でうなされる「沈黙」、語りたくないものはなんだったのか。

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

 

 

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『凍』トーマス・ベルンハルト|人間の形をした液体窒素

 きみは恐れているのか。違うって。どっちなんだ。人類をか。観念をか。

――トーマス・ベルンハルト『凍』

人間の形をした液体窒素

 『消去』を読んで以来、トーマス・ベルンハルトには、遠い異国に住んでいる親族に寄せるような、淡い親近感を抱いてきた。

世界を嫌悪し、近親者を嫌悪し、かつての友人を嫌悪し、医者と政治家と金持ちと権力と資本主義と企業を毛嫌いし、働くことを拒み、自分の好きなものにだけ取り囲まれて暮らす、人に期待しすぎては幻滅する人嫌い。ベルンハルトとよく似た口調でよく似た話をする人が、ごく身近にいた。デビュー作である本書を読んで、ベルンハルトはますます私の親族なのではないかという思いは強まるばかりだ。

凍

 
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『火を熾す』ジャック・ロンドン|命の炎が燃え上がる

犬の姿を見て、途方もない考えが浮かんだ。吹雪に閉じ込められた男が、仔牛を殺して死体のなかにもぐり込んで助かったという話を男は覚えていた。自分も犬を殺して、麻痺がひくまでその暖かい体に両手をうずめていればいい。そうすればまた火が熾せる。

――ジャック・ロンドン『火を熾す』

 

命の炎が燃え上がる瞬間

ジャック・ロンドンの「火を熾す」は私が読んだ小説の中でも有数の「極寒」小説で、冬がくるたび折に触れて思い出す。

氷混じりの冬の雨に心が折れそうになると、「火を熾すほどじゃない」とみずからに言い聞かせ、歩く足を速める。マイナス50度に比べれば、0度などハワイのようなものだ。吐く息は凍らないし、凍傷になる心配もないし、生死の境で震えることもない。

火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)

火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)

  • 作者: ジャック・ロンドン,新井敏記,柴田元幸
  • 出版社/メーカー: スイッチ・パブリッシング
  • 発売日: 2008/10/02
  • メディア: 単行本
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『アルグン川の右岸』遅子建| 消えゆく一族の挽歌

 私はすでにあまりに多くの死の物語を語ってきた。これは仕方のないことだ。誰であれみな死ぬのだから。人は生まれるときにはあまり差がないが、死ぬときは一人ひとりの旅立ち方がある。

――遅子建『アルグン川の右岸』

 消えゆく一族の挽歌

人生は、死というゆるぎない結論へ向かう一方通行の線であり、それぞれの出発点から始まり、別の線と交差しては離れながら、それぞれの終着点へ向かっていく。

花のように短い一生を終える人もいれば、大木のように長く生き延びる人もいる。長く生き延びた人は、他の人よりも多くの生と死を目撃するさだめだ。

本書は、一族の中でもっとも長く生き延びた女性が、愛する者たちの死、一族の死を見送り続ける挽歌である。

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)

 
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『冬の物語』イサク・ディネセン|世界に爪痕を残す

ペーターはなんとなく察しをつけた。不滅という言葉は、こういう状態のことを言うのだろう。もう、これから先も、過去のことも、考えるのをやめた。この時間だけが彼をとらえた。

ーーイサク・ディネセン『冬の物語』

世界にかすかな爪痕を残す

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 「あなたはヨーロッパの冬の絵が好きなのね」と母から言われたことがある。そうかもしれない。ノルウェー・オスロのムンク美術館を訪れた時に買った絵葉書は、「叫び」ではなく、冬の夜のものだった。ピーター・ブリューゲルの絵でいちばん好きなのは「雪中の狩人」だ。

寒さは嫌いだが、緯度が高い地域で見られる、氷河めいた冬の青さは好きだ。ヨーロッパに住んでいた時、あまりに長い冬を呪ったものだが(9月から4月まで真冬でコートが手放せなかった)、あの青く透きとおった空気と空と海には、なんども心を慰められた。ディネセン『冬の物語』を読むと、あの青い冬の空気を思い出す。

冬の物語

冬の物語

 

 

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『ボルヘスのイギリス文学講義』ボルヘス |円環翁が愛する英文学


 作品のなかに幻想性だけを見ようとする人は、この世界の本質に対する無知をさらけだしている。世界はいつも幻想的だから。<BR>――ボルヘス『ボルヘスのイギリス文学講義』

ボルヘスが愛する英文学

周りを見ている限り、ボルヘスとの付き合い方は4つある。なにがおもしろいんだと放り出すか、10年ごとに読みかえすか、「ボルヘスを殺せ」と叫ぶか、「○○(任意の地名をいれる)のボルヘス」を量産するか。私は10年参りをするタイプの読者で、今回ひさしぶりにボルヘスの円環に戻ってきた。


ボルヘスのイギリス文学講義 (ボルヘス・コレクション)

ボルヘスのイギリス文学講義 (ボルヘス・コレクション)

 

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『トールキンのベーオウルフ物語』J.R.R.トールキン|英雄の悲哀と孤独

わたしは心を決めました。貴国の方々の切なる願いを完全に成し遂げてみせよう、さもなければ、敵の手にしかとつかまれ、殺されようともかまわないと。騎士にふさわしき勲功を上げるか、この蜜酒の広間がわたしの最期の日を待ち受けるかどちらかなのです!

――J.R.R.トールキン『トールキンのベーオウルフ物語』

英雄の悲哀と孤独

年の暮れ、丸焼きの鶏をヴァイキングのように食べていた時に、古英語の話が出た。

古英語といえば英文学最古の英雄叙事詩『ベーオウルフ』である。数年前に岩波版で挫折して以来しばらく忘れていたが、調べてみたら『指輪物語』の作者トールキンによる注釈版が出版されていた。ファンタジーの大御所がファンタジーの源流を解説してくれるとはありがたい。

トールキンのベーオウルフ物語<注釈版>

トールキンのベーオウルフ物語<注釈版>

 
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『ヌメロ・ゼロ』ウンベルト・エーコ|ニュースと陰謀の融解

アメリカ人はほんとうに月に行ったのか? スタジオですっかりでっち上げたというのもあり得なくはない。月面着陸のあとの宇宙飛行士の影をよく観察すると、どこか信用しがたい。それに、湾岸戦争はほんとうに起こったのか。それとも、古いレパートリーの断片を見せられただけじゃないのか。おれたちは偽りに囲まれて生きている。

――ウンベルト・エーコ『ヌメロ・ゼロ』

 

ニュースと陰謀の融解

「ジャーナリズム」は「journal+ism」であり、ラテン語の「毎日の記録」「日刊の官報」という意味から派生した。

日々の事実を記録する。昨日に起きた事実と今日に起きた事実の因果関係を語る。10年前の記録を掘り起こして因果関係を調べる。これらの活動はジャーナリズムとみなされる。

では、事実かどうかわからない「曖昧な記録」を残したり、曖昧な記録から因果関係を語ったり、関係ない事実をつないで因果関係があると語ったり、事実がないところから記録をでっちあげることは? もちろんジャーナリズムではない。だからジャーナリズムを担う者と組織は「情報の信頼性」を標榜する。

「情報の信頼性」はジャーナリズムの原則である。そうでなければ、なにが事実でなにがフェイクかなにもわからなくなる。で? 実際のところは?  

ヌメロ・ゼロ (河出文庫 エ 3-1)

ヌメロ・ゼロ (河出文庫 エ 3-1)

 
ヌメロ・ゼロ

ヌメロ・ゼロ

 
 

 

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『舞踏会へ向かう三人の農夫』リチャード・パワーズ|写真という爆心地

写真を見るだけで、三人が舞踏会に予定どおり向かっていないことは明らかだった。私もまた、舞踏会に予定どおり向かってはいなかった。我々はみな、目隠しをされ、この歪みきった世紀のどこかにある戦場に連れていかれて、うんざりするまで踊らされるのだ。ぶっ倒れるまで、踊らされるのだ。

リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』  

写真という爆心地

『舞踏会へ向かう三人の農夫』の写真を撮影したドイツ人写真家アウグスト・ザンダーは、最も好きな写真家のひとりである。私にとって『舞踏会へ向かう三人の農夫』はパワーズの小説というよりは「ザンダー本」で、「表紙がザンダーだから」という理由だけでこの本を買った。

なぜザンダーが好きかといえば、被写体と目が合うからだ。かつて私は東京都写真美術館で開催されたザンダー展で、「若い農夫たち」からの視線を感じて振り返ったことがある。そんな経験はめったになかったから驚いた。そして本書を読んで、さらに驚くことになる。パワーズよ、お前もか。

 

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『最初の悪い男』ミランダ・ジュライ|自己防衛の孤独から抜け出して、他者へ

効果は、一応はあった。ただし"アブラカタブラ"と唱えたらウサギが消えました、じゃん! というような効き方ではなかった。"アブラカタブラ"を何十億回、何万年もかかって唱えつづけているうちにウサギが老衰で死に、それでもまだ唱えつづけているうちにウサギは腐って分解されて土に還りました、じゃん! という感じだった。

ーーミランダ・ジュライ『最初の悪い男』

人恋しさとさびしさを埋めるには他者の助けがいるが、他者は自分とは違う人間であり、望むとおりに愛してそばにいてくれるとは限らない。期待して心をあずければ、望みが叶わなかった時の痛みは激しいものになる。 

他者と真剣に関われば、激しい喜びと激しい痛みが制御不能でやってくる。関わらなければ、傷つくリスクを抑えられる。さて、どちらを選ぼうか?

最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)

最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)

 
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『パリに終わりはこない』エンリーケ・ビラ=マタス|自意識・イン・パリ

<<私くらいの年齢になれば、何とかして外見だけでもヘミングウェイに似ているとまわりの人に認めてもらいたくなりますよ>>

  ーーエンリーケビラ=マタス『パリに終わりはこない』

自意識・イン・パリ

私たち人類は、「褒められたい」「認められたい」と願う生き物で、得意なことや好きなこと、執着することで欲求を満たそうとする。たとえば、本や文章が好きな人なら「文章を多くの人に読んでほしい」「文章がうまいと褒められたい」「作家として認められたい」と願うだろう。

ビラ=マタスは、「書くことに執着する者の自意識」をこじあけてくる。

パリに終わりはこない

パリに終わりはこない

 

 

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『移動祝祭日』ヘミングウェイ|どこまでもついてくる祝祭

「もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ」

ーーアーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』

どこまでもついてくる祝祭

 世の中には2種類の人間がいる。パリにどうしようもなく惹かれる人間と、そうでない人間だ。私は後者だが、周りにはだいたいいつも数人の「パリ人間」たちがいた。彼らはパリに足を踏み入れる前からパリを第二の故郷と見なし、パリを何度も訪れ、フランス語を学び、フランス語を使う仕事をして、何人かはパリに移住した。

本書を読んで、ヘミングウェイも「パリ人間」であり、彼らにとってパリは“A Mobable Feast”ーーどこまでもついてくる祝祭、移動祝祭日であることを知った。パリでワインを飲み、散歩をし、交流をして、「パリに帰りたい」と語る友人たちとヘミングウェイの言動がそっくりなものだから。

移動祝祭日 (新潮文庫)

移動祝祭日 (新潮文庫)

 

 

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『ボリバル侯爵』レオ・ペルッツ|予告された自滅の記録

 「…あの謎めいた意思をなんと呼べばいいんだ。俺たちすべてをこれほどまでに弄び、惨めにしているあれを。運命か、偶然か、それとも星辰の永遠の法則か?」 

ーーレオ・ペルッツボリバル侯爵』

予告された自滅の記録

戦いにおいて最も効率がよい勝利方法は「敵が自滅する」ことだ。古今東西の軍隊が、情報操作、対立構造、不信や恐怖の蔓延など、「自滅させる方法」を編み出してきた。

しかし、『ボリバル侯爵』に登場するナポレオン軍ナッサウ連隊は、「自滅させられた」のではなく、自分たちの手で自分たちを壊滅させた。自分たちにしかけられる作戦内容を完璧に把握していたにもかかわらずだ。

「ナッサウ連隊の壊滅は、自軍の将校たちが明確に意識して、ほとんど計画的にもたらしたものである」と本書の序文には書いてある。

明確に意識して、ほとんど計画的に自滅する?いったいなぜそんな馬鹿なことが?

ボリバル侯爵

ボリバル侯爵

 
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『ノートル=ダム・ド・パリ』ユゴー|激情うごめく失恋デスマッチ

…こうなるともう、ノートル=ダム大聖堂の鐘でもなければ、カジモドでもない。夢か、つむじ風か、嵐だ。音にまたがっためまいだ。…こんな並外れた人間がいたおかげで、大聖堂全体には、なにか生の息吹みたいなものが漂っていた。

ーーヴィクトル・ユゴーノートル=ダム・ド・パリ

この鐘の音こそ、彼がきくことのできるただ一つの言葉だったし、宇宙の沈黙を破ってくれるただ一つの音だった。

古い友人が結婚してパリに移り住んだので、祝いにパリを訪れた。祝いの硝子と製氷機(ヨーロッパの製氷機は使い物にならないらしい)とともに、ユゴーの『ノートルダム=ド・パリ』を鞄に放りこんだ。

文庫化して手に取りやすくなってNHK『100分de名著』で紹介されたにもかかわらず、いまだ「みんな知ってるけど読む人はあまりいない」本書は、正気ではなかなか読む気にならず、異国で過ごす非日常で読むぐらいがちょうどいいと思ったからだった。このもくろみは当たっていて、私はパリでおおいに驚き、頭を抱え、怒りと呆れでパリ血糖値が上がり、結末で叫び、愛と呼ぶにはあまりにも醜悪で激烈な感情のヘドロに飲まれることになった。

ノートル=ダム・ド・パリ(上) (岩波文庫)

ノートル=ダム・ド・パリ(上) (岩波文庫)

 

  

ノートル=ダム・ド・パリ(下) (岩波文庫)

ノートル=ダム・ド・パリ(下) (岩波文庫)

 

 

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