ボヘミアの海岸線

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『自転車泥棒』呉明益|誰にも話せなかった傷と痛み

 「まあ、ふたりとも、自分の人生のねじをどこかで落としてしまったんだろう。自分のことが、自分でもわからない」

「会話のスイッチが壊れているんだ」

「そう、壊れている」

――呉明益『自転車泥棒』

話せなかった傷と痛み

痛ましい出来事によってうまれた傷との付き合い方は、人によって異なる。ある人は、自分が受けた痛みや傷の物語を語ろうとする。ある人は、物語を語ろうとせず、自分の心の中に痛みと傷を抱えこむ。

語らないからといって、傷や痛みがなかったことになるわけではない。時が痛みを風化させる場合もあるが、傷が膿んで致命傷になる場合だってある。

『自転車泥棒』の父親もそのひとりだ。父親は、家族に自分の物語を語らず、失踪した。これは、傷と痛みを抱え続ける人の物語、語られなかったことによって傷ついた家族の物語である。

自転車泥棒

自転車泥棒

 

あれ以降、父と兄が視線を交えることは二度となかった。ふたりの会話を耳にすることもなくなった。相手を見ないようにし、過去を見ないようにしてきて、その頑なさがふたりにもたらしたのは、痛みだけだった。そして、父は失踪した。 

小説家である主人公の父は、なんの前触れも書き置きもなく、ある日ふつりと失踪した。

父の失踪から何年も経ってから、小説家は父親が自転車(台湾語では、孔明車や鐵馬と呼ぶ)とともに失踪したことを思い出し、父の自転車を探すためにヴィンテージ自転車市場やヴィンテージ自転車マニアのもとを訪ねて回る。

すべてのヴィンテージには、歴史と、過去の所有者たちの物語がある。小説家はヴィンテージ自転車を集めていくうち、自転車の驚くべき歴史、台湾の蝶工芸の歴史、第二次世界大戦の惨劇、惨劇を目の当たりにして「自分の本当の部分」を置き去りにしてしまった人たちの物語にたどりつく。

 「戦争には、なつかしいことなどなにひとつありません。でも、こんな年になってしまうと、私たちの世代で覚えているもの残されているものは全部、戦争のなかにある……だから戦争に触れなければ、話すことがなくなってしまう」

 

ていねいに作られた工芸品のような小説だ。物語の断片とヴィンテージパーツ、異なるばらばらのものを組み上げていく構成が自転車の組み立てと重なるし、蝶工芸の歴史といった「台湾の土地に根差した物語」と、戦争で心が壊れてしまった人たちの「世界が知っている物語」、水中で見た兵士のヴィジョン、ジャングルで見つけた自転車のヴィジョンなど、アジア的な濃密な緑の湿気を含んだ幻影が、職人的な感覚で配置されている。

古いものや古い記憶は、とても弱い存在だ。価値を知らない人やなかったことにしたい人、時の容赦ない漂白によって、あっけなくこの世から消えてしまう。それでもヴィンテージ自転車と記憶は、価値を知る者たちによって、失われずに受け継がれてきた。

そして、痛みにたいして切実だ。 『自転車泥棒』は、「傷の回復」にまつわる物語なのだと思う。

地獄を知らない他者に自分がいる地獄を語らない人の気持ちも、語られなったことで「どうして言ってくれなかった」と傷つく人の気持ちも、どちらもわかるし、どちらも悪くない。しかし、両者は言葉を交わさないためにすれ違う。

小説家は、ヴィンテージ自転車に宿った「物語の断片」を集めて再構築することで、この悲しいすれ違いを埋めようとする。

「彼やお父様のような人はどうやら、つい、なにかのはずみで、自分の手元にあったものをすべて手放してしまう。でも、あなたのお父様が最後にどんな選択をしたとしても、なにか別のものを、やっぱり最後、自分の身辺から断ち切ってしまう人だと思います」 

 

語られなかった物語にどうやったら気づき、触れられるのか。この切実な問いに、著者は希望をこめた答えを提示している。

傷ついて沈黙した人、沈黙によって傷ついた人にとって、本書は夢のような慰めであると思う。

 

Recommend

孤独な人が物語によって救われる。ジャネット・ウィンターソンは物語への信仰を打ち明ける。人は肉体を失うことでいちど死に、誰からも思い出されなくなった時にもういちど死ぬ。物語を愛する人は、人生が忘れられることを悲しむ人である。

「マティルダのイングランド」には、過去の戦争に傷つき続けている人が登場する。「世の中には後始末をするのに時間がかかるひとだっているのよ。そういうふうにできているんだからしかたがないの」 

帰還兵はなぜ自殺するのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

帰還兵はなぜ自殺するのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 

 戦争の傷を抱え続ける人の苦しみ、そして家族の苦しみを書いたノンフィクション。「他の兵士と同じように回復できない、自分は負け犬だ」と自分を追い詰める、周囲に話せず、破壊的な行動にいたってしまう人たちの言葉を記録している。

 

 最後の一文まですばらしい追悼の言葉だった。私たちの手元に届く翻訳文学の裏にも、小説家と翻訳者の物語がある。