ボヘミアの海岸線

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『死体展覧会』ハサン・ブラーシム|ナイフと脳髄が飛んでゆく

「君は震えているな」

――ハサン・ブラーシム『死体展覧会』

暴力と殺戮と幻視

イラク生まれの作家ハサン・ブラーシムは、混濁したイラクの日常を煮詰めて、澄み切った暴力の結晶として描く。暴力の結晶は赤黒い光を放って乱反射して、血と脳髄とナイフが飛び交う幻想を生み出す。

本書の暴力は、握手していた自分の手がいきなり切り落とされるような、唐突に殺戮にぶち当たる種類の恐ろしさだ。歩いていたら銃殺されたり、食事をしていたら自爆用の爆弾を体にくくりつけられたり、登場人物たちは日常を生きているだけで暴力と殺戮にさらされる。

死体展覧会 (エクス・リブリス)

死体展覧会 (エクス・リブリス)

 

 

ブラーシムの描く暴力は、前後の脈絡がない。世の中の暴力はたいてい政治的な背景、正義や建前があるものだが、著者はすっぱりそれらを削ぎ落としている。その結果、暴力そのものの恐ろしさ、命を一方的に根こそぎ奪っていく圧倒的な「災厄」ぶりが際立つ。

災厄は人を選ばない。善良さや信仰の深さは人を救わない。じゃんけんに負けるように、通り雨に運悪く遭遇するかのように、人は死んでいく。

この恐怖は最初の短編「死体展覧会」で劇的に提示される。死体をいかに芸術的に展示するかを追求する謎の殺人団体は、宗教や主義主張になにも関係がない、と言い切る。 死に目をつけられるかどうかだけで、人の生死が決まってしまう。

 

無差別殺人がはびこる日常では、まっとうな精神で暮らせるわけがない。 しかし、登場人物たちはその恐怖や不安を言葉では語らない。

かわりに、彼らは幻視する。倉庫いっぱいにあふれかえる小説の山を、銃弾に絶対に当たらない奇跡の男を、なにもない空間から現れては消えるナイフを、空に飛び交う脳と血と糞と切断された指を幻視する。

 焦げた脳が、巨大な翼を広げて飛んでいった。魚の群れが幼い少女の肉のかけらをくわえて泳いでいった。経済制裁というクサリヘビが、人間の夢というエサに巻き付いて空を飛んでいった。妻の下着がすべて通り過ぎていき、一枚のパンツからは血が、別の一枚からは精液が、また別の一枚からはインクが、といった具合に何かを滴らせていた。…パンは糞を翼代わりにして飛んでいった。氏は体が不自由な子供のように小便を垂らしながら通っていった。…切断されて血まみれになった俺の指も次々に飛んでいき、姥車に載った娘のマリアムは、俺が愛しすぎたせいで醜い姿になっていた。――「あの不吉な微笑」

 いったいどこからがイラクで起きた悪夢で、どこからが傷ついた人々が見る幻想なのか? 

この問いに、ハサン・ブラーシムは「記録用の物語と、心にしまって絶対に語らない本当の物語は判別がつかない」と答えている。非人間的な状況におかれた人の記憶は曖昧になり、夢のように感じるという記録や証言はいくつもある。著者は幻想文学の手法でもって、心神喪失状態を表現しようとしたのかもしれない。

難民受け入れセンターに滞在している者には誰しも、二つの物語がある−−真実の物語と、記録用の物語である。記録用の物語とは、到着したばかりの難民が人道的保護を受ける権利を得るために語り、移民局で書き留められて故人ファイルに補完されるものである。真実の物語とは、難民たちが心に固くしまい込み、絶対に人には明かさずに半数するものである。といって、も、その二つが簡単に見分けられるわけではない。いったん混ざり合うと、もう区別はつかなくなってしまう。――「記録と現実」

 壮絶なイラクの現実と、壮絶な悪夢のヴィジョンがお互いに殴り合って溶け合って爆ぜて消える。

短編をひとつ読むたびに脳にナイフを刺しいれられる心地がする小説には、そうそうめぐりあうものではない。幻視に見惚れ、現実に震えて読め。

収録作品

気に入ったものには*。

  • 死体展覧会***:人を殺しいかに芸術的に飾るかを追求する団体に、ある男が入団しようとしている。最初から最後まで緊張した語りで目を離すすきがない。本書の入り口としてすばらしくおぞましい作品。
  • コンパスと人殺し**:暴力的な兄についていく弟の「イニシエーション」。
  • グリーンゾーンのウサギ**
  • 軍の機関紙**:死んだと思われる軍人の小説を盗んだ男のもとに、大量の小説が毎日送られてくる。そんなばかなと思うほどの圧倒的物量(建物に入らないほどの量)が幻想を際立たせている。
  • クロスワード
  • 穴**:突然に亜空間に入ってしまった男の物語。舞台は異常だが、話されていることは現実に根差していてギャップがある。
  • 自由広場の狂人**
  • イラク人キリスト***:銃弾にあたらない「奇跡の人=キリスト」と呼ばれる「死なずの男」が巻き込まれる災厄。
  • アラビアン・ナイフ***:ナイフを消せる人と消えたナイフを取り出せる人たちの「秘密のグループ」。最後のシーンが、これしかないと思わせるラストで圧巻。
  • 作曲家*:著名な作曲家であった父親が、不穏に巻き込まれる。
  • ヤギの歌**:亡命後のイラク人たちが、互いの物語の残酷さを競い合う場面がつらい。「多くの人が女性の物語をあざ笑い、自分の物語のほうがもっと奇妙で残酷で、もっと狂っていると言い切った」
  • 記録と現実**:「記録向けの物語」と「誰にも語らない本当の物語」を持っている。
  • あの不吉な微笑**:これもまた最後の幻視シーンがすばらしい。
  • カルロス・フエンテスの悪夢**:平和な国に逃れても、悪夢は終わらない。

著者Webサイト:Hassan Blasim | حسن بلاسم

Memo:キルクーククルド人

著者はバグダッドにうまれて、北部のキルクークで育った。イラクは北部と南部で、気候も住んでいる人たちもだいぶ違う。

北部は山岳地帯で、もともと「国を持たない大規模な民族」クルド人トルクメン人たちが住んでいた。本書の短編にもしばしばクルド人が登場する。フセイン政権以降、クルド人たちは強制移住させられて、アラブ人たちが住むようになった。

キルクークは1980年代以降ずっと激戦に巻きこまれている。石油や天然資源などが埋まっているためだ。クルド人たちはキルクークを首都にしてクルド人国家として独立しようとするが、アラブ人たちが石油利権のため、激しい攻防が続いている。イラク軍とクルド人の衝突は、フセイン死後も続いている。

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ハサン・ブラーシムが亡命した2000年以降のイラクについては、「サラーム・パックス」の日記でわかる。著者は同性愛者で神に不信を持っていて、爆撃音を聞きながら、欧米メディアの間違いを指摘し続けるブログを書いている。「サラーム・パックス」は軽快な文章でブラックユーモアを交えて書いているが、アメリカの暴力への指摘は鋭い。

第二次世界大戦で、ドイツのハンブルグは徹底的に焼き払われて地獄となった。「死にまみれたハンブルグ市街にようやくたどりついたとき、圧倒的な幸福感を感じた」という、およそ想像を絶する感情を、ノサックは残している。日常をすべてぶち壊す災厄が現れた時、人はかくも混乱するのだと知る。

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