ボヘミアの海岸線

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『すべての、白いものたちの』ハン・ガン|白をたぐりよせて葦原へ

顔に、体に、激しく打ち付ける雪に逆らって彼女は歩きつづけた。わからなかった、いったい何なのだろう、この冷たく、私にまっこうから向かってくるものは? それでいながら弱々しく消え去ってゆく、そして圧倒的に美しいこれは?

――ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

白をたぐりよせて葦原へ

モノクロームのネガフィルムで白黒写真を撮っていたころ、シャッターを開けっぱなしにして撮影することが時折あった。シャッターを開けたままフィルムに露光し続ければ、人は残像となって消失し、影と色は光に飲まれて、世界が白飛びする。

雪原、濃霧、塩湖、白い砂漠、見渡す限りの白い風景がこの世から少しずれて見えるように、かすかに影が残るだけの白く飛んだ写真は、この世というよりはあの世に近く見えた。白は、この世とあの世をつなぐ色なのかもしれない。

すべての、白いものたちの

すべての、白いものたちの

 

 

遠い昔に彼女は海外で、白い小石を拾った。波に洗われ角がとれ、丸くすべすべになった石。…沈黙をぎゅっと固めて凝縮させることができたなら、こんな手ざわりだろうと思えた。 

白いものたちについての散文である。

おくるみ、霧、雪片、薄紙、白夜、万年雪、白熱灯、米、骨、乳、著者は白いものを集めて、姉に見せるために、息をひそめるようにして文章を書き続ける。

白いものたちの散文には、姉にまつわる記憶、著者の心が混じる。早産だった著者の姉は、生後2時間で死んだ。自宅でたった一人で出産した母だけが、姉と向き合い、彼女のために言葉をかけ続けた。死なないで、その願いは届かなかったが、のちに生まれた作家の心に、姉の存在はかすかに残り続けた。

白い街を歩いている時、著者は死んだ姉が「自分のすぐそばにいる、記憶や感覚に姉のものが混じっている」と感じ、白いものを集めることに決める。

すぐに消えてしまいそうな、儚く白いものをたぐりよせる作家は、一歩、また一歩と、この世とあの世の境界に近づいて、ついに白い境界となる葦原にたどりつき、ひとつの決断をする。

私の額や目のあたりでしばらく漂っていなかったかどうか。幼いころに私がふと覚えた感覚や、漠然とした思いの中に、知らず知らずのうちにその子から譲り受けたものがあったのかどうか。薄暗い部屋に横たわって寒さを感じる瞬間は誰にでも訪れるのだから。しなないでおねがい。解読できない愛と苦痛の声にむかって、ほの白い光と体温のある方へむかって、闇の中で、私もまたそのように目を開けて、声のする方を見つめていたのかもしれなかった。

 

読んでいる時に、友人のことを思い出していた。家族を想像外の形で失った彼女は、ほとんど物がない南向きの白い部屋で暮らしていた。放心したい、と彼女は言っていて、事実そうであるように見えた。彼女が撮った写真は静かで白く、波で漂白された骨のような流木を撮っていた。

その人は白く笑ってた。

こう書くなら、(おそらく)それは自分の中の何かと決別しようとして努めている誰かだ。 

人間にだって、シャッターを開け続けたまま、露光し続けて呆然とすることはある。

私もなんどか、白い南向きの部屋で呆然としていた記憶がある。知らないうちになにかに傷ついていて、なにもせずにひとりで休みたい時だった。そういう時、人は少し白飛びして、あの世に近いこの世を生きているのかもしれない。

著者もまた、白い世界を通り抜けて、自分の傷を受けとめる。鎮魂は死んだ者のため、そして生きる者のため。人には、さまざまな傷の癒し方がある。

 この見知らぬ都市へやってきてから、なぜ昔の記憶がしきりによみがえるのだろう?…孤立が頑強になるほど、思いもよらない記憶が生々しさをつのらせる。圧倒するように重みを増す。この夏、私が逃げ込んだ場所は地球の反対側の年などではなく、結局は私の内部、私自身の真ん中だったのかと思うほどに。――「霧」

 ハン・ガンの著作レビュー

白が内に向かうしんどさなら、野菜は社会に向かうしんどさである。

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