ボヘミアの海岸線|海外文学の感想

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

『アルグン川の右岸』遅子建

 私はすでにあまりに多くの死の物語を語ってきた。これは仕方のないことだ。誰であれみな死ぬのだから。人は生まれるときにはあまり差がないが、死ぬときは一人ひとりの旅立ち方がある。

――遅子建『アルグン川の右岸』

 消えゆく一族の挽歌

人生は、死というゆるぎない結論へ向かう一方通行の線であり、それぞれの出発点から始まり、別の線と交差しては離れながら、それぞれの終着点へ向かっていく。

花のように短い一生を終える人もいれば、大木のように長く生き延びる人もいる。長く生き延びた人は、他の人よりも多くの生と死を目撃するさだめだ。

本書は、一族の中でもっとも長く生き延びた女性が、愛する者たちの死、一族の死を見送り続ける挽歌である。

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)

 

 

物語は、アルグン川の右岸に暮らす狩猟民族エヴェンキ族の人々が、これまで暮らしてきた山から下りる場面から始まる。多くの人が山を下りる決断をする中で、語り手の「私」は山にとどまることを選ぶ。彼女にとって山は人生そのものだからだ。

ここから、祖父の代からひ孫の代まで、6代100年にわたるエヴェンキ族の営みが語られる。

 エヴェンキ族はトナカイとともに暮らす遊牧民で、トナカイの食料を確保するために、シーレンジュ(移動可能のテント)を張って、ウリレン(生活共同体)を移動させながら、山の中を移動して暮らしてきた。人々はトナカイに敬意を払い、トナカイは人々を支える。彼らの共存は穏やかに完璧である。

一族は、酋長とサマン(シャーマン/巫師)に治められて繁栄する。サマンの力は強く、病をなおしたり、死にかけている人を治したり、人の死を予知したりできる。サマンの力によってエヴェンキ族はなんども助けられてきたが、苦しめられもした。サマンの力は、等価交換の掟に支配されている。誰かを助けるなら、誰かを失わなければならない。この掟により、エヴェンキ族の人々は、一族の人間をなんども失うことになる。

 

エヴェンキ族の誰もが、傷と悲哀を抱えている。

愛しい子供を失った女、愛する人と結婚できなかった男、夫が自分を愛していないことに怒り狂う女、事故により性的不能になった男、オオカミに足を食われてから憎悪に燃えている男、誰もがそれぞれ違った形の傷に苦しむ。

 「人間の首はひとつ。他人が切り落とさないなら、最後は熟した果物のようにそれ自身で、地面に落ちる。早かろうと遅かろうとなんだっていうんだ」

苦しみと悲しみに苦しむ人は、自分を攻撃するか、他者を攻撃するかのどちらかに向かう。エヴェンキ族の人々も同様で、ある人は他者の幸福を妬んで攻撃し、ある人は憎悪を生きる燃料にし、ある人はふさぎこみ、ある人は自分で命を絶つ。救われる人もいるし、救われない人もいる。激痛を正気のまま耐えた人もいるし、耐えきれずに狂った人もいる。

良し悪しはない。人の心はそういうふうにできている。

中でも印象的だったのが、傷つきすぎたがゆえに他者を傷つける鬼となったイフリン、オオカミへの憎悪と復讐に染まり抜いたダシー、性的不能に陥って自信を失って執着に取り憑かれたラジミ、サマンであるがゆえに過酷な宿命を背負うニハオの物語だ。

 私はすでにあまりに多くの死の物語を語ってきた。これは仕方のないことだ。誰であれみな死ぬのだから。人は生まれるときにはあまり差がないが、死ぬときは一人ひとりの旅立ち方がある。

生死以外にも、時の流れと環境の変化が、エヴェンキ族を押し流そうとする。移動生活から定住生活へ移り変わり、若い世代は中国人やロシア人たちと結婚し、世代が変わるにつれて名前も変わっていく。

最後まで読み切った時に家系図を見かえすと、すべての人の生と死を思い出し、こうなってしまったか、と途方に暮れた。

道がなかったとき、私たちは迷いました。道が多くなった今、私たちはやはり迷うのです。なぜなら、その道がどこへ通じるのか、私たちは知らないからです。 

 

本書の魅力は、大自然の中で暮らす生活と人間関係、時代の変化がもたらす「辛酸と心のうねり」にある。エヴェンキ族の慣習や信仰を記録する、民俗学としての役割も果たしているが、あくまで焦点は「人間の営み」に当たっている。

だからだろうか、過酷な大自然の中に暮らしているにもかかわらず、手触りやにおい、空気の冷たさといった、五感に響く自然描写はあまり感じられなかった。せっかくの舞台なのに残念ではあるが、著者の関心はあくまで「滅びゆく一族の変化と心情」にあるのだろう。本書は一貫して、血と涙と体臭に満ちている。

私が守っているここの火は、私と同じように歳をとりました。たとえ強風、豪雪それに暴雨に見舞われても、守ってきました。これまで一度も消したことはありません。この火こそ私の脈打つ心臓なのです。

すべての喜びと悲哀と傷と癒しと生と死は、人間と、アルグン川右岸の山からもたらされる。一族は皆、風の中でうまれ、火を受け継いで、風とともに消えていった。エヴェンキ族の営みは、まさに人間の人生そのものである。

アルグン川よ、

天の川まで流れておいき、

渇ききったこの世界……

 

Recommend:一族の年代記、あるいは狩猟民族の物語

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カナダのケープ・ブレトンに移り住んだスコットランド人の末裔が、灯台暮らしから街に出ていくまでの、一族の年代記。喪失と悲哀が通底音として響いている。

ゴールデンカムイ』の読者なら、エヴェンキ族の慣習パートの時、よりすんなりと受けとめられることだろう。エヴェンキ族とアイヌ族はともに山に暮らす狩猟民族で、自然と雪と山を崇拝し、クマやオオカミと戦っている。『アルグン川の右岸』でリス料理、クマ肉料理、行者ニンニクを使った腸詰の料理が出てきた時はにっこりしてしまった。