ボヘミアの海岸線

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『ボルヘスのイギリス文学講義』ボルヘス |円環翁が愛する英文学


 作品のなかに幻想性だけを見ようとする人は、この世界の本質に対する無知をさらけだしている。世界はいつも幻想的だから。<BR>――ボルヘス『ボルヘスのイギリス文学講義』

ボルヘスが愛する英文学

周りを見ている限り、ボルヘスとの付き合い方は4つある。なにがおもしろいんだと放り出すか、10年ごとに読みかえすか、「ボルヘスを殺せ」と叫ぶか、「○○(任意の地名をいれる)のボルヘス」を量産するか。私は10年参りをするタイプの読者で、今回ひさしぶりにボルヘスの円環に戻ってきた。


ボルヘスのイギリス文学講義 (ボルヘス・コレクション)

ボルヘスのイギリス文学講義 (ボルヘス・コレクション)

 


 

ボルヘスにとってイギリス文学は文学ルーツのひとつである。イギリス人だった祖母の影響もあって、英語はボルヘスにとって第二の母語であり、幼少のころからイギリス文学に親しんでいた。

本書で取り上げられる作家や作品は、多くの英文学講義や世界文学リストでとりあげられる王道どころで、ボルヘスの愛するモチーフーー詩、音楽、幻想、狂気、夢、永遠、円環ーーと関連づけられて語られる。

物語のあらすじはごくたまに語られるていどであり、作家の生い立ちや、どういう境遇で作品を書いたかについての記述のほうが多い。ボルヘスは、作品を「作家だけ個人の創造物」というよりは、「環境や時代によって影響を受けた創造物」と見なしているからだろうか。

 

本書を再読した理由は、『ベーオウルフ』を読み終わったばかりで英文学づいているから、年末に読んだ エンリーケ・ビラ=マタス 『パリに終わりはこない』でボルヘスの「コールリッジの夢」がすがすがしいほどに丸ぱくり奥ゆかしく引用されていたので、ちょっと立ち寄ってみようと思ったからだ。

10年前に読んだときはいろいろわからなかったことが、今ではけっこうわかるようになっていて、円環翁からうけた影響と恩恵がたくさんあったと知る。英文学リストや解説はもっと中身の濃いものがたくさんあるが、英文学初心者とボルヘスファンなら読んでみるといいと思う。

 

Book List

本書に掲載されていた作家と小説のうち、ボルヘスが特に愛しているもの、コメントがおもしろいものを掲載。

[:contents]

アングロサクソン時代


すべての文学で、詩は散文に先行する。 


トールキンのベーオウルフ物語<注釈版>

トールキンのベーオウルフ物語<注釈版>

 

 

14世紀


同じころ、不思議な現象が起こる。アングロサクソン語はとうに消滅していたにもかかわらず、その調べは以前として残っていた。『ベーオウルフ』を読もうにも判読さえできない人たちが、頭韻のリズムで長編詩を作っていたのだ。


農夫ピアースの夢 (1981年) (東海大学古典叢書)

農夫ピアースの夢 (1981年) (東海大学古典叢書)

 

 


サー・ガウェインと緑の騎士―トールキンのアーサー王物語

サー・ガウェインと緑の騎士―トールキンのアーサー王物語

  

 


完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

 

 

演劇


マルタ島のユダヤ人! フォースタス博士

マルタ島のユダヤ人! フォースタス博士

 

 シェイクスピアの到来を予告した演劇詩人。


シェイクスピア全集 (3) マクベス (ちくま文庫)

シェイクスピア全集 (3) マクベス (ちくま文庫)

 

ウィリアム・シェイクスピアの運命は、彼を時代の外がわから見る人たちには不可解なものと思われてきた。事実は不可解でもなんでもない。彼の時代はわれわれの時代のように、彼に偶像崇拝に類するオマージュを捧げたりはしなかった。その理由は単純明快である。彼は劇作家であり、演劇は当時は文学の下位ジャンルだったからだ。


シェイクスピア全集 (1) ハムレット (ちくま文庫)

シェイクスピア全集 (1) ハムレット (ちくま文庫)

 

 

17世紀


ニュー・アトランティス (岩波文庫)

ニュー・アトランティス (岩波文庫)

 

 世界文学最初のサイエンス・フィクション。


対訳 ジョン・ダン詩集―イギリス詩人選〈2〉 (岩波文庫)

対訳 ジョン・ダン詩集―イギリス詩人選〈2〉 (岩波文庫)

 

 先祖であるサクソン詩人の無骨さを持つ。「ぼくの歌はごつごつしているのだ」


医師の信仰・壺葬論

医師の信仰・壺葬論

 

 「英文学における最高の散文作家」


失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)

失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)

 

荘重なスタイルはミルトン特有ものもであるが、読者は呼んでいるうちに、この詩に機会的なところがあるのに気づく。情熱に動かされて書かれたものではないからだ。…イギリスでもっとも権威のある批評家サミュエル・ジョンソンは、『失楽園』は読者が賛美し、放棄し、二度と読まない、そういう書物の一つだ、と18世紀に書いている。「もっと長かったらと思う読者は一人もいない。それを読むことは楽しみというより義務だから。われわれは教訓のためにミルトンを読み、疲労困憊消化不良になって部屋を出、別の本に気晴らしを求める。われわれは主人を捨てて、遊び友だちを探す。」 

 

 18世紀


二つの対象的な事象がこの世紀を規定していると言えるだろう。最初の事象は古典主義ないし新古典主義で、ボワローの説く理性と明晰の規範にしたがって散文と韻文を構成することである。二つ目はロマン主義運動で、点ついにはアルゼンチンを含む西洋世界全体に波及した。


ローマ帝国衰亡史 全10巻セット (ちくま学芸文庫)

ローマ帝国衰亡史 全10巻セット (ちくま学芸文庫)

 

 この著作は英文学市場もっとも重要な歴史的記念碑である。… 『ローマ帝国衰亡史』の頁を操るということは、無数の登場人物からなる小説のなかに入りこみ、そこで迷うという幸福にひたることである。そしてその主人公は人間の世代、舞台は世界であり、その巨大な時間は、王朝、征服、発見、そして言語と偶像神の変化によって測られるのである。


英国文化の巨人 サミュエル・ジョンソン

英国文化の巨人 サミュエル・ジョンソン

 

 


サミュエル・ジョンソン伝 1

サミュエル・ジョンソン伝 1

 

 「世界文学の奇書のひとつ」

 

ロマン主義運動


ロード・バイロン『チャイルド・ハロルドの巡礼』〈第1編 注解〉

ロード・バイロン『チャイルド・ハロルドの巡礼』〈第1編 注解〉

 

 


対訳 ワーズワス詩集―イギリス詩人選〈3〉 (岩波文庫)

対訳 ワーズワス詩集―イギリス詩人選〈3〉 (岩波文庫)

 

ワーズワスを読むことは、夜明けにいっぱいの岩清水を飲むことだーーチェスタトンはそう言っている。


対訳 コウルリッジ詩集―イギリス詩人選〈7〉 (岩波文庫)

対訳 コウルリッジ詩集―イギリス詩人選〈7〉 (岩波文庫)

 

 「クブラ・カーン」が天獄篇になるだろう。この詩の誕生には奇妙な経緯がある。コールリッジは阿片を服用したあと旅行記を呼んでいて、音楽、言葉、映像の三層からなる夢を見た。彼は歌をうたっている声を聞き、ふしぎな音楽を耳にし、中国の応急の建造を見て、次のことをしる(人は夢のなかでそうしたことを知るものだ)。音楽は宮殿の建造であり、宮殿はマルコ・ポーロを庇護した皇帝クビライ汗のものだ。この詩はかなり長いものになるはずだった。眠りから覚めたとき、コールリッジは夢のことを覚えていて、それを書き始めた。しかし途中で邪魔が入って、終わりのほうはもう憶いだすことができなかった。彼が回収した50行あまりの詩は、そのイメージと韻律ゆえに文学の不滅の1頁になっている。詩人の死後何年も立ってから、夢のなかで示された設計図にしたがい、皇帝クビライ汗が宮殿を造営したことが明らかになった。


阿片常用者の告白 (岩波文庫)

阿片常用者の告白 (岩波文庫)

 

 「彼は阿片に喜びを求めた。…ひと晩が何世紀もつづき、彼は憔悴しきって目をさますのだった。オリエントの幻影が彼を追いかける。眠いっているあいだ、彼は自分を偶像やピラミッドだと思った」


対訳 キーツ詩集―イギリス詩人選〈10〉 (岩波文庫)

対訳 キーツ詩集―イギリス詩人選〈10〉 (岩波文庫)

 

 彼の二つの詩「ナイチンゲールに寄せるオード」と「ギリシア古壺のオード」は、英語が存続するかぎり残るだろう。

 

19世紀/散文


カーライル選集〈1〉衣服の哲学

カーライル選集〈1〉衣服の哲学

 

カーライルは人類の歴史を、われわれが絶えず読みかつ書きつづけ、「そこにはわれわれのことも書かれている」一種の神の暗号とみなした。


デイヴィッド・コパフィールド 一 (岩波文庫)

デイヴィッド・コパフィールド 一 (岩波文庫)

 

 わずかな伝記的事実を別にすれば、チャールズ・ディケンズについて言える唯一たしかなことは、彼が天才だったということだ。スティーヴンソンは「裸でセンチメンタリズムの海に飛び込んだ」と言って彼を非難しているが、ディケンズが感傷だけでなく、ユーモア、グロテスク、超自然、悲劇の諸要素も具備していた作家であることを忘れてはならない。…バイロン、スコット、ワーズワスが海と山の美を発見し、ディケンズ感情をは貧民街の感情を発見した。 


マシュー・アーノルド文学研究

マシュー・アーノルド文学研究

 

作家のすべての資質のなかで唯一価値があるのは、人を魅きつけてやまない魔力だとスティーヴンソンは言った。アーノルドがこの資質の持ち主であったことはだれも否定できない。 


不思議の国のアリス (角川文庫)

不思議の国のアリス (角川文庫)

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 常軌を逸したイギリス人…チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは異常なほど内気だったので、大人とのつきあいを避け、子供に親交を求めた。アリス・リデルという名の少女を楽しませるために、ルイス・キャロルという筆名で、のちに彼を有名にする二冊の本『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』を書いた。

 

 19世紀/詩


 どんな翻訳も、もとの詩の音の力強さを再現することはできない。


対訳 ブレイク詩集―イギリス詩人選〈4〉 (岩波文庫)

対訳 ブレイク詩集―イギリス詩人選〈4〉 (岩波文庫)

 

「 イギリスの偉大な神秘思想家」


対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫)

対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫)

 

 他の偉大な詩人の場合と同じように、彼の作品の本質的な部分は詩の音楽性にある。"Far on the ringing plains of windy Troy."のようなすばらしい詩行は、明らかに翻訳不可能である。彼の詩は信じられないほど美しいいイメージに満ちている。


対訳 ブラウニング詩集―イギリス詩人選〈6〉 (岩波文庫)

対訳 ブラウニング詩集―イギリス詩人選〈6〉 (岩波文庫)

 

 テニソンとは対象的に、ロバート・ブラウニングは、サクソン人祖先の流儀にならって、甘美な音楽ではなく荒々しい音楽を求めた。

 

19世紀末 


新アラビア夜話 (光文社古典新訳文庫)

新アラビア夜話 (光文社古典新訳文庫)

 

「彼は英文学でもっとも愛すべき英雄的人物のひとり」


タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

 

 貧乏で病気がちだったウェ渦は、その辛さを、一読忘れがたい、すばらしい悪夢を変えたーー『タイム・マシン』、『透明人間』、『月世界最初の人間』、『盲人の国』、それに『モロー博士の島』。


闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

 

 「闇の奥」、「青春」、「決闘」、「日脚」である。ある批評家が最後の作品を幻想だと言ったのにたいし、コンラッドは次のように答えた。作品のなかに幻想性だけを見ようとする人は、この世界の本質に対する無知をさらけだしている。世界はいつも幻想的だから。


シャーロック・ホームズの冒険 (新潮文庫)

シャーロック・ホームズの冒険 (新潮文庫)

 

コナン・ドイルは二流の作家だが、世界は1人の不滅の人物シャーロック・ホームズの創造を彼に負うている。

 

われらの世紀(20世紀)


ねじの回転 (光文社古典新訳文庫)

ねじの回転 (光文社古典新訳文庫)

 

 


木曜日だった男 一つの悪夢 (光文社古典新訳文庫)

木曜日だった男 一つの悪夢 (光文社古典新訳文庫)

 

 「彼はエドガー・アラン・ポーにも過負荷にもなり得ただろう。彼はチェスタトンであるほうを選んだが、われわれはそのことを感謝したい。


チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

 

 


オーランドー (ちくま文庫)

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ジョイス『ユリシーズ』全4巻セット (集英社文庫)

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 『ユリシーズ』が目覚めの本であるとすれば、『フィネガンズ・ウェイク』は夢の本だ。…ジョイスの紛れもない天才は、本質は言語的なものだった。たまさかの例外をのぞき、その才能がいい詩を書くことではなく、小説に浪費されてしまったのは残念なことである。


ケルトの薄明 (ちくま文庫)

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新しい世界の文学〈第12〉泉 (1964年)

新しい世界の文学〈第12〉泉 (1964年)

 

 


荒地 (岩波文庫)

荒地 (岩波文庫)

 

 


インドへの道 (ちくま文庫)

インドへの道 (ちくま文庫)

 

 「東洋と西洋の共鳴と不和」


短篇集〈2〉永遠の命 (E.M.フォースター著作集 6)

短篇集〈2〉永遠の命 (E.M.フォースター著作集 6)

 

  ここではそのなかの一篇「エンペドクレス荘」を取り上げる。この作品の秘密の魔術は一人物の遠い祖先への変身にある。