キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『密林の語り部』バルガス=リョサ

<<私たちと違って、語り部のいない人々の生活は、どんなにみすぼらしいものだろう>>

−−バルガス=リョサ『密林の語り部

物語は救う

炎天下の7月末、室内で1日中ただ座っているべし、連絡を待て、ただ待て、という業務命令を受けたので、リョサリョサ『密林の語り部』を読むことにした。

カバー絵のアンリ・ルソーは私が愛する画家のひとりで、彼はいちども南国やジャングルに足を踏み入れたことがないまま、パリの植物園の写生と雑誌と想像力だけで、どこかにありそうでない密林の世界を描いた。リョサの小説はルソー絵画に似ているかもしれない。彼もまた、むせかえるようなにおいがしない、どこか明るくロマンティックな密林を描くように思える。

密林の語り部 (岩波文庫)

密林の語り部 (岩波文庫)

 

「話をするということは単なる娯楽以上のものになりうるということの明白な証だよ」

「物語を語ること」と「密林」に取り憑かれた現代ペルー人の物語である。

ペルー人作家らしき「私」は、アマゾンに暮らす部族のひとつマチゲンガ族の「語り部」に取り憑かれている。

語り部とはその名のとおり、物語を語る人、英語で言えばspeakersだ。「語り部」はマチゲンガ族の秘密であり、宝である。

語り部は特定の集団に所属せず、定住地を持たず、定住しないマチゲンガ族たちのグループを渡り歩いて暮らす。語り部は古くから伝わる神話の伝承者であり、知恵を授ける者であり、いま同じ時間を生きる同胞の情報を伝えるメッセンジャーでもある。

大事で秘密であるがゆえに、マチゲンガ族は「語り部」の存在を隠す。彼らに尋ねても「そんなものはいない」「知らない」という答えばかり。当然ながら文献は少なく、語り部の目撃者も見つけられず、映像や写真などの記録もない。そんなミステリアスな存在である「語り部」に「私」は惹かれ、小説を書こうとするほどに傾倒する。

 

 本書には、もうひとり「取り憑かれた男」が登場する。「私」がマチゲンガ族の語り部に興味を抱くきっかけとなった大学時代の友人「マスカリータ」ことサウル・スターラス。

マスカリータは、いろいろな意味で一般的なペルー人とずれこんだ存在だ。マスカリータ=“仮面”というあだ名のきっかけとなった大きな痣が顔の半分を覆い、カトリック教徒が9割を占めるペルーにおいてユダヤ人として生き、新参者であるがゆえにリマのユダヤ人コミュニティにもなじめなかった。

「そう、ちょっと考えると、君の言ってることも一理ある。君のような正常な人間よりも密林の人間の運命に敏感なのは、ちょっと考えると、半分ユダヤ人で、半分怪物であることと関係があるのかもしれない」

マスカリータは、自分はどのコミュニティにも所属できない「はぐれ者の怪物」で、「私」は「正常な人間」だと述べる。いかにも若者らしく気恥ずかしくなる表現ではあるが、確かに彼ら2人はともに「密林の語り部」を見つめながら、惹かれる理由も、エネルギーの発露の作法もまるで違っている。大学生の頃の2人は、同じ文化に惹かれているにもかかわらず、深い友情を結んでいない。「私」はマスカリータの影響を強く受けているが、マスカリータは「私」をほとんど覚えていなかったのではないか。

 

彼ら2人はどちらも「密林の語り部」に強く惹かれるが、語り部にたいするアプローチは決定的に異なっている。この2人の対比が、本書のひとつの軸となる。

 

正直なところ、「私」パートだけを読んでいると「疲れた現代人が、異文化に夢を見て美化しているだけでは?」「ただのロマンチストでは?」「本当に語り部は存在するのだろうか?」という疑問がうまれるが、この疑問は「語り部」本人の語りによって打ち砕かれる。

こうして始まった。移動が、行進が。雨の日も、雨でない日も、土の上を、水の上を、山を登り、谷を降りて。深い森は昼間なのに夜であった。平原は湖に似て、悪魔のカマガリーニに髪の毛を抜かれた頭のように、一本の草もなかった。<<まだ太陽は落ちていない>>と、タスリンチは人々を励ました。

私はこの語り部パートが好きだ。語り部の物語と言葉は力強い。なぜマチゲンガ族は放浪するのか、世界はどうしてこうあるのか、マチゲンガ族が守るべき掟とはなにか、外界とどう付き合っていくべきかを、ひとつひとつの物語にこめて語り倒す。マチゲンガ族の見る世界と掟は、当然ながら私たちのものとは異なっているのだが、「これもまた世界」と思わせられるだけの芯がある。

対して「私」の物語は、真剣ではあるが深刻さに欠けているように思える。語り部の小説を書こうとするものの頓挫し、研究者のようにマチゲンガ族とずっと暮らすといった思い切った行動をとるわけでもなく、現代的な生活をしながら「語り部」を追い求めている。それが悪いわけではないが(むしろ多くの人はこちらの道を採るだろう)、彼のアプローチではたどりつける場所に限界がある。マスカリータは、その先を行った。

 

 「語り」の力をストレートに追い求める物語だった。とくにラストは、物語は人の人生を根っこから変え、生きづらくて居場所がない人間を救う力がある、というリョサのメッセージが響き渡っている。

あまりにも素直かつストレートなメッセージなので、私のようなひねくれ者は挙動不審に陥ったのだが、この素直さが愛されリョサたるゆえんなのだろう。

かくいう私も、物語にだいぶ人生を救われたひとりではある。生きづらい人間にとって、確かに「話をするということは単なる娯楽以上のものになりうる」。

旅をし、運命を全うすることが大切だ。猟師は捕らえた獲物に、漁師は釣った魚にさわらないことが大切だ。禁忌を畏れることだ。太陽が落ちないようにたびに出ていけることが大切だ。世界の秩序が保たれるように。闇と禍いが戻ってこないように。それが大切なことだ。

 

 バルガス=リョサ作品の感想

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Jorge Mario Pedro Vargas Llosa " El hablador",1987.