キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『北欧神話と伝説』ヴィルヘルム・グレンベック

 いまやスルトはただひとり戦場に立っている。彼は炬火を大地の上に投げ、こうして全世界は火炎に包まれて燃え上がるのである。——ヴィルヘルム・グレンベック『北欧神話と伝説』

血まみれの世界よ

 世界の真ん中にひとつの巨大な空隙があって、その北には氷に閉ざされた永遠の世界、南には灼熱に燃える果ての世界がある。その衝突から、さらにいくつもの世界がうまれ落ちる。これらの世界は遠く隔たっているものの、巨大な世界樹の根によってつながれている。

 この真空を漂流する原子模型船のような世界では、神々と巨人、人間が入り乱れ、血で血を洗い続けている。氷柱からしたたる滴のように、人は死ぬ。彼らはそれを栄誉ととらえ、無駄な生など長引かせまいと、はらりはらりと死んでいく。そして人と同じように神々もまた死に絶え、世界は炎に包まれて沈み、その終末をむかえる。


 ラグナロク、神々の黄昏により衝撃の終末をむかえる北欧神話は、あきらかに非キリスト教的でありながら、いまなお西欧の文化にこんこんと息づいている。本書は、ノルウェーアイスランドを中心に、詩で伝わる北欧神話とサガを平文でまとめたもので、北欧神話を整理し、体系的にまとめている。

北欧神話と伝説 (講談社学術文庫)

北欧神話と伝説 (講談社学術文庫)


 ユーラシア大陸の一面に描かれた異教の神々たちの肖像画は、キリスト教という一枚絵に塗りこめられた。だが、その血香り立つ闘争の痕跡は、西欧圏の物語や文学の中にかすかに、あるいははっきりと残されており、石畳を割る木の根のように、予想もつかないところでその姿を現してくる。

 
 北欧の物語を読んでいると、その強烈な血の香りに驚かされる。世界で最初にうまれた生命は霧の巨人ユミールは、ほどなくして子孫の神々に解体された。神々はユミールの血から海と川、体から大地、骨から山をこしらえ、巨人の頭蓋骨が天蓋となった。

  天蓋の下にはユミールの脳みそが漂った。そこで空の雲は、巨人の思いのように冷たくて陰惨なのだ。

 巨人は世界を炎に包んで神々を没落させる存在、世界を荒廃させる存在で、それゆえ神々と巨人は敵同士なのだが、これが原初の存在であるということがおもしろい。
 
 原初の物語はそれぞれの方法で、なぜ世界には悪があり、争いが絶えないのかを語ろうとしているように見える。この問いは核だ。世界を作った神が完全か不完全か、宗教の根本を形づくる問いだ。

 キリスト教において、全知全能の神は完全だが、人間が罪を犯したために世界はこうなった、すべては神の思し召しどおりだという。北欧神話では、世界は神によって作られた完全で堅牢なものではなく、つねに対抗勢力がひしめく、不安定で不完全な存在だ。神々もまた不完全な存在で、不死ではなく、巨人の危険にさらされており、誤ちを犯し、私利私欲で動くことも少なくない。

 北欧神話では、世界は揺らいでいる。世界にはつねに美しいものを害する存在があり、争いと死が満ちている。荘厳なイメージのある世界樹ユグドラシルは、蛇や鹿によって蝕まれているので、水を注がなければならない。神々の身内に邪神がいて、神々と人に害悪を与え続ける。なぜ他の神や人間には鉄槌がくだるのに、悪意に満ちたロキがあれほど野放しにされるのかといらいらしたが、ロキを排除できないことが神々の不完全さのあらわれなのかもしれない。

 人間もろとも没落に導く神々自身にその罪はあった。

 
 血が流れ続けることについては、北欧の民は戦争を忌避せず、運命として受けとめているように見える。最も力のあり信仰を集める神は戦いの神オーディンで、彼は巨人との最後の戦いのために勇猛な死者の軍隊を作ろうとしているのだという。だからオーディンは積極的に人間たちのあいだに、終わらない戦いをしかける。戦いで死んだ戦士はオーディンの館に招かれ、神の軍隊となってもてなされるので、戦いで死ぬことが名誉とされる。戦争では「余は汝らをすべてオーディンにささげる」と叫ぶのが習わしだった。

 戦いが名誉であることから、戦士や王はびっくりするほど好戦的だ。夏になるとすぐヴァイキングに出て略奪するし、復讐が当然とされるため、一族全滅がしょっちゅう起こる。なかでもウォルスング家の物語は強烈で、所有者がかならず死ぬという黄金の遺産をめぐり、数世代にわたって血みどろの争いが展開される。

 とくに、双子の兄姉シグムンドとシグニイの物語は壮絶であった。シグニイは夫の王に一族を殺された恨みを晴らすため、男の子を生もうとする。生まれた子を「役に立たないから殺してしまいなさい」といって殺し、ついには夫とのあいだには勇猛な子供が生まれないと知ると、別の女に姿を変えて、双子の片割れであるシグムンドとのあいだに子供を作る。女性は戦えないため、男の子を生むことで復讐を果たすしかなかったのだが、その執念はすさまじい。

 そしてシグムンドの子は、竜殺しのシグルド、あるいはジークフリートとして不死身になった英雄となり語り継がれる。シグルドの後には、ドイツの全滅叙事詩『ニーベルンゲンの歌』と同じ説話が登場するが、これは復讐に燃えるふたりの女が2国を全滅させる物語だ。この好戦性とキリスト教がどう交わり受け入れられたのかは興味をひかれるところだが、むしろだからこそヨーロッパはキリスト教を受け入れ、凶暴さをはらんだ品性を持ち続けているのかもしれない。

 
 世界の終末ラグナロクは、夏が三度めぐらない「永遠の冬」にやってくる。最後の戦いではふたりを残して神々も巨人もすべてが死に絶えるが、そこからかすかな復活の兆しがうまれる。

 そしてこの種の人々のゆえに、神々の最後の戦いは栄光と復活になるのである。なぜなら、神々は彼らの死において巨人らを克服することになり、その悪意と毒とでこの美しい世界を荒廃させるもろもろの力を、死の中へともない去るのだから。

 
 なぜ人は戦うのか? なぜ血は流され続けるのだろうか? おそらく人間が抱え、そしていまだに答えがない、原初の問いのひとつだろう。真っ白い雪原に、黒い死体と赤い血の海で文様を描いたような物語群は、人間の一面、愚かとも誇りともつかぬその一面を描き出している。

 行儀のよい物語を吹き飛ばし漂白する、凶暴な吹雪のような物語だった。人間の原初という巨大な骨格標本の前で、呆然と立ちすくみ、その姿を見上げるばかりであった。

 そのとき、鷲の羽をもつ竜ニドホグが、その隠れ家からとび出してきて、地の上を重たげに低く飛んで行く。その翼には屍体がぶら下り、羽毛からは青黒い火花が散っている。そして彼は遠く遠く沈んでいって、世界のはての底知れぬ深みに消えてゆくのだ。


Vilhelm Peter Gronbech "Nordiske myter og sagn",1927.