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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『ヴェローナの二紳士』ウィリアム・シェイクスピア

プローテュース ああ、恋の春は変わりやすい四月の空に似ている、
いま、燦々と美しく輝く太陽を 見せているかと思うと、
たちまち一片の雲が現れてすべてを掻き消してしまう。

——ウィリアム・シェイクスピアヴェローナの二紳士』

恋か友情か

 シェイクスピアが初期に書いた、恋の名言多き恋愛喜劇である。

 この劇では、たえず「恋か友情か」という問いが繰り返される。ヴェローナに住むふたりの青年ヴァレンタインとプローテュースは、友情を誓い合った親友同士だ。ヴァレンタインが見識を広めるために、ミラノ公爵のもとへと旅に出ようとする。ヴァレンタインは一緒に旅しようと誘うが、プローテュースは愛するジュリアのためにヴェローナに残るという。たとえ距離が離れても、親友であることには変わりないと互いへの友情を誓い合って、ふたりは別れる。

 プローテュースはジュリアという恋人を得て幸せに過ごしていた。しかし、ヴァレンタインに会いに行ったとき、彼の恋人であるシルヴィアに激しく恋してしまう。

 親友への友情、地元に残してきた恋人への誓い、友人の恋人への恋情、どれかを選べばどれかを捨てなければならない。距離と時間では、男たちの友情はくずれなかった。しかし、愛によって、それはトランプの家のようにいとも簡単に崩れ落ちた。

プローテュース あのジュリアを捨てることは、誓いを破ることだ、
美しいシルヴィアを愛することは、誓いを破ることだ、
親友を裏切ることは、誓いをずたずたに破ることだ。
それも、かつておれに誓いを立てさせた力が、
いまおれにこの三重の誓い破りをさせようとする、
誓いを立てさせたのも愛、破らせるのも愛なのだ。

プローテュース 愛すれば、ジュリアを失い、ヴァレンタインを失う、
二人を失うまいとすれば、おのれ自身を失わねばならぬ、
二人を失えば、ヴァレンタインのかわりにおれ自身を、
ジュリアのかわりにシルヴィアを手に入れることになる。
おれにとっておれ自身は友人より大切なものだ、
愛はつねにそれ自身をもっとも貴重なものとするのだから。


 プローテュースは親友を策略によって追い出し、かつての恋人は死んだものと思うことにして、親友の恋人を口説き落としにかかる。葛藤があるのは最初だけで、後は自分がしていることを顧みもしない。

 三重の誓いを破る裏切りには、それ相応の結末がありそうなものだが、『ヴェローナの二紳士』では、裏切りはあっさりと許される。それどころか、裏切り者の友人にたいして、ヴァレンタインは最後、「恋人を譲ろう」とまで言い出す。あまりにも突飛で脈絡がないものだから、最初はなにをいっているのかわからなかったほどだ。

 この場面は、さぞかし役者が困るだろうと思う。ヴァレンタインの真意はどこにあったのか、あっさりそんなことを言う恋人にシルヴィアはどんな感情を抱いたのか。『終わりよければすべてよし』と同じように、なんとも不可解でやりきれない感覚ばかりが残る。

 だが、本劇の楽しみ方はある。そのひとつが、あちこちにちりばめられている恋の名言だろう。「恋には二十対の目がある」「愛しているから、かわいそうに思う」など、恋に悩む人たちが放つ言葉がよい。また、主人たちを明るく笑い者にする道化ラーンスや召使いスピードの掛け合いも楽しい。

スピード 恋しているならあの人を見ることはできないはずです。
ヴァレンタイン どうして?
スピード 恋は盲目ですからね。

ジュリア ああ、ばかな私、心の底から私をきらっている
あの人を、かわいそうに思ったりして。
あの人はシルヴィアを愛するから私をきらっている、
私はあの人を愛するからあの人をかわいそうに思う。

シルヴィア 真心を二つもつのは
一つももたないよりなお悪い、二心というのは
一つだけ多すぎるということで、ゼロより悪いのだから。

 本劇は、「強い不人気を誇る」作品らしい。ラストの不可解さがその原因だろうとは思うが、横恋慕まっさい中の人は違った感想を持ちそうなので、機会があれば聞いてみたいところ。

William Shakespeare "The Two Gentleman of Verona"1590~?

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