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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『マハーバーラタ ナラ王物語―ダマヤンティー姫の数奇な生涯』

アジア文学 ☆☆☆ 神話・民話

 「ナラ王様が苦難に陥り、不幸になった呪いの張本人、そ奴に、わたくしどもの不幸よりもっと大きな不幸でも起こればよい。邪心のないナラ王様を悪人めがこうしてしまった。ナラ王様のよりもっと大きな不幸に見舞われて、不仕合わせな生涯を送るがよい」
 そして、偉大なナラ王の妃ダマヤンティーは、このように涙ながらに口走りながら、猛獣どもの徘徊する森で夫を尋ね求め、そこここと、狂ったようになにごとか口走り、「ああ、ああ、王様」と繰り返し泣き叫びながら、そこここと駆け廻るのでした。——『マハーバーラタ ナラ王物語』

姫さま!


 『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』といえば、世界史の授業で覚えた摩訶不思議な呪文のひとつだったことを思い出す。両作品はインドに生まれた長編叙事詩で、フィンランドの『カレワラ』、ギリシャ『イリアス』と並んで世界三大叙事詩のひとつに数えられる。
 『ナラ王物語』は『マハーバーラタ』におさめられた、おびただしい数の挿話のひとつである。現代の感覚でいえばちょっとした中編小説ほどもある物語なのだが、『マハーバーラタ』の中では大河の一滴にすぎない。なにせ、『マハーバーラタ』は18編10万詩節よりなる大作で、『イリアス』『オデュッセイア』を合わせたものの7倍もの長さを誇る(はじめは本編『マハーバーラタ』を読もうと思ったのだが、あまりの長さに打ちのめされた)。

 『ナラ王物語』は『マハーバーラタ』においては、賭けに負けてしょげている王子を慰めるために「そう気を落とすなよ、昔こんな王様がいたんだ」と語られる、いわゆる「物語の中の物語」である。
 ナラ王は強く美しい英雄で、絶世の美女ダヤマンティー姫を妃に迎え、立派な王として褒めたたえらた。しかし、ダヤマンティー姫に横恋慕した魔王カリに取り憑かれ、王は無謀な賭けを続け、賭けの代償として王国と王妃を失ってしまう。無一文になったナラ王はインドの森をさまよい、醜い小男に姿を変えられ、別の国の王のもとで馬番として働く。物語は、諸国を流浪するナラ王と、王を探し求める王妃の二軸で進む。


 『ナラ王物語』と銘打ってはいるが、この物語でもっとも輝いているのはまちがいなくダヤマンティー姫だろう。この姫は行動力にあふれていて、ナウシカ姫のような「格好いい姫姉さま」を彷彿とさせる。その力は結婚前からいかんなく発揮されていて、ヒンドゥーの並みいる神々から求婚されるにもかかわらず、「私はナラ様と結婚したいの」と言い張り、神々を言いくるめてナラ王と結婚してしまう(ちなみにナラ王は神々の伝言者としてダヤマンティー姫のもとに使いっ走りにされているのだが、姫に神々の求婚をつっぱねられたものだから途方に暮れるという、微妙になさけない役どころだ)。ナラ王が王国を失っても虎や悪霊がはびこる森へとついていき、王に捨てられても、「王様、王様」と叫び失踪した王の捜索に全力を尽くす。

 一方、ナラ王は「強く美しい英雄」として描かれているものの、賭けに負けて王国を失う、迷ったあげくに妻を森の中に打ち捨てるなど、なにかとなさけなさが目立つ。岩波書店の説明では「最も美しい愛の物語」とあるが、この物語の人気の秘密は、うるわしき夫婦愛や妻の貞節というよりは「だめだけどいい男を、一見はかなげだけど芯が強い女性が支える」という王道展開にあるのではないだろうか。

 ああ、わたくしの上に、運命はなんと過酷に荒れ狂うの。安らかな日々を与えてくれないなんて。これはなにをした報いなの。行いでも、心でも、言葉でも、どなたに大しても、なに一つ不都合なことなどした覚えがないのに。これはなにをした罰なの。きっと、前の世で犯した大きな悪行の罰が当たったんだわ。わたくしは、今、最大級の悲運に陥ったんだわ。夫も国も奪い去られ、それに身内のものにも別れるなんて。それに夫とも引き別れ、2人の子供たちとも遠く隔てられ、護ってくれる主もなく、数多猛獣の彷徨う森に旅寝するなんて。

 ナラ王がなにかをしでかすたびにため息をついて「そんな男はやめろ」と思う。しかし、ダヤマンティー姫があまりにも彼に惚れぬいているので「まあしょうがないか……」とつい応援してしまう。わくわくして、周りの人とやいのやいの言い合いながらも話の続きを楽しみに待つ――『ナラ王物語』は人々に広く愛される物語の枠組みを持っているように思う(現代日本でこの枠組みをもっとも踏襲しているのは連続ドラマのシナリオだろう)。


 このようにダヤマンティー姫はとても魅力的な女性で、ヒンドゥー教が説く女性像よりも、姫がずいぶんと自由闊達であるところが印象的だった。死んだ夫を追って焼身自殺するサティ、多額の持参金、妻は男子を生んではじめて発言権を得られるなど、男尊女卑の風習がヒンドゥー教にはあるという。マヌ法典では「女は幼児には父に、若いときには夫に、夫の死後には子に従属する。女は決して独立することはできない」と条文で定められているぐらいだが、『マハーバーラタ』時代はずいぶんと雰囲気が異なっていたようだ。彼女はみずからの意思で夫を愛し、夫を選ぶ。原典では大らかだった教えが、その後の時代に規律が厳格化されていくという、他の宗教と同じ流れをたどっているのかもしれない。
 ナラ王とダヤマンティー姫の物語は、賭けに負けた王子をなぐさめ、やがて王子は5人の兄弟(五王子)とともに敵対する親族(百王子)と戦うことになる。両陣営は大量の犠牲者を出し、勝者となった五王子も最後には死んでいく。これだけの物語が、ガンジス川のごとき膨大な流れの物語の一滴にすぎないとあらためて思うと、そのスケールの大きさに眩暈がする。


note

マハーバーラタ
 「バラタ族の戦争に関する叙事詩」という意味を持つ、18編10万詩節(付録の『ハリヴァシャ』はさらに1万6000節)を誇る叙事詩。作者は聖仙ヴィヤーサであるとされ、400年頃には現在の形にまとまったと推定されている。紀元前1000年頃のバラタ族間の戦争をメインテーマとして、無数の挿話が織り込まれている。
 バラタ族のパーンドゥの五王子(ひとりの妃を共有していた)と、クルの百王子(ひとつの肉塊から生まれた百人の子)の間に第千層が起こり、双方の陣営に多大な被害をもたらす。五王子側がかろうじて勝利をおさめるものの、彼らも最後には死んでいく。この無常観から、後世の詩論家は「シャーンタ・ラサ」(寂静の情趣)を主題にした作品だと解題している。


ラーマーヤナ
 「ラーマ王行状記」という意味を持つ、7万2400詩節よりなる叙事詩。詩聖ヴァールミーキー作と伝えられている。
 グシャラタ王の息子ラーマが、猿王ハヌマーンの助けを借りて、妻のシーターを誘拐した魔王ラーヴァナを殺すまでの物語を主軸とし、さらに後編が付け加えられている。華やかな英雄譚である前編とはうってかわり、後編では、シーターの貞節を疑う噂を知ったラーマ王がシーターを王宮から追放する。後にシーターは身の潔白を証明し、大地に消えていく。ラーマ王は嘆き悲しむが、後に妃を迎えることなくこの世を去る。この作品は「カルナ・ラサ」(悲の情趣)を主題にしているとされる。
 ラーマ王が活躍する前編は特にアジア地域を中心に人気を集め、数多くの絵画や美術、遺跡のレリーフ、演劇、映画や舞踏などのモチーフとなっている。


参考:

"Nalopekhyana―Mahabharata",A.D.3~5?

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