読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『野性の蜜 キローガ短編集成』オラシオ・キローガ

南米文学 ☆☆☆

 「これは蜜だ」体の奥から食欲が涌きあがってくるのを感じながら、公認会計士は独りごちた。「蜜のいっぱい詰まった、蜂の巣房に違いない……」――オラシオ・キローガ「野性の蜜」

飲み干す死

 作家が死をどうとらえ、どう描くかが気にかかる。シェイクスピアしゃれこうべになればみな同じと語り、ハイヤームは土に還るまでぞんぶんに酒を飲めとうたい、ボルヘスは死を無限の彼方に隠した。

 ウルグアイにうまれ、アルゼンチンを終のすみかとしたオラシオ・キローガは、「死の作家」との異名を持つ。彼は、すべての最終点、逃れられない結末として死を描く。死は病院や壁の向こう側に切り離されたものではなく、姿見にうつるおのれの姿のように、日々の生活の中にくりかえし立ちあらわれる存在だ。事実、キローガのまわりには死があふれていたようで、両親、妻、友人、子供がそのほとんどが事故死・自殺を遂げている。本書におさめられた短編30編あまりのうち、死をあつかった作品は半分以上にのぼる。

野性の蜜: キローガ短編集成

野性の蜜: キローガ短編集成

 彼は、妻に向けて猟銃をぶっぱなした直後に、目の前を通りかかった人夫を一発で撃ち殺したのだ。住人たちは武器を手にして、原野の中を、野獣を駆り立てるように追いつめていき、ついに一本の木によじ登っているのを見つけた。まだ猟銃を肩に掛けて、恐ろしいうなり声を上げていた。皆は男を撃ち殺さざるを得ないことを悟った。――「狂犬」

 キローガの死はごろりとしている。死は墓石でもしゃれこうべでもなく死体、物質的な死だ。棚から人形が転げ落ちるかのようにじつにあっけなく命は散っていくのだが、喪失の痛みや嘆き、恐れはない。むしろ弾丸のように、死と狂気の断崖にむかってひた突き進んでいるようにさえ見える。

 この地獄はいつになったら終わるのか。私は知らない。たぶん、奴らは望みのものを手に入れたのだろう。追いつめられた狂人を。――「舌」

 もうひとつ、作家がくりかえし描くのが「ジャングル」である。アルゼンチン北部のジャングルに魅せられたキローガは、都市とジャングルのあいだで、振り子のような生活を送った。密林は真緑の湿気に満ちており、暗がりの奥では死が黄色い眼を光らせながらこちらを見ているようだ。キローガ作品の多くは生への愛着がほとんど見られないが(かといって死にたいする憧憬もないのが不思議なところだ)、ジャングルやそこで生活する人々には作家の愛が読みとれる。

 ミシオネスは、すべての辺境地域がそうであるように、一風変わったタイプの人間であふれている。とりわけ、生まれつきの性質にビリヤードの玉のようにスピンのかかった人間には、風変わりなタイプが多い。……フアン・ブラウンは、ただ何時間か廃墟を眺めにきただけなのに、そのまま二十五年もミシオネスに留まり続けてしまった。エルセ博士は、オレンジ酒を醸造することによって、娘を鼠を間違える結果になった。化学者のリベは、燃料用の気化アルコールを腹に詰め込んで、ランプの炎のように消えていった。そのほか大勢の人間が、自分に掛かったスピンのおかげで、誰にも予測できない軌跡を描いた。――「故郷喪失者」

 表題作「野性の蜜」は、キローガの死、キローガのジャングルの結晶である。死のかぐわしさに魅せられたあわれな青年が死を飲み干すまでを、劇的な筆致で描いている。


 ジャングルを舞台にした「野性の蜜」「ある人夫」「故郷喪失者」「恐竜」あたりは、スコールの夜に窓を開けて読むとすてきだろう。宿命としての死を予感させて全力で突き進む「羽根まくら」「炎」「頸を切られた雌鶏」もいい。「転生」はルゴーネスの代表作「イスール」を思わせる猿ミーツ人間もので、猿がしゃべったことをまじめに分析しているくだりは、妙なきまじめさが笑いを誘う。逆にこれは読まなくてもいい、という作品もいくつかある。「完璧な短編小説家の十戒」はその最たるもので、どうしてこんなものを残したのかと頭を抱えたくなる。

 本書は解説もおもしろい。キローガの死に満ちた人生の話もさることながら、アルゼンチン文壇かいわいの人間模様が垣間見えるので興味深い。ポーやルゴーネスを愛するボルヘスは、同じくポーを崇拝しルゴーネスと親交のあったキローガをひどく毛嫌いしていたようで、「キローガを読む理由はひとつもない」とばっさり切り捨てている。

 ボルヘスに賛同するわけではないが、キローガ作品にはいくつかの典型パターンがある。ポー作品が一枚の絵画のような忘れ得ぬイメージを残すのに対して、キローガ作品は、密林のような日常で狂気と死に遭遇する、というただひとつの物語を繰り返し、妄執のようになぞる。

 これは彼なりの祓いの儀式なのだろうか。同じくアルゼンチンに生きたフリオ・コルタサルは、「悪夢を振りはらう悪魔払いの儀式として、短編を書く」と語ったという。キローガもまた悪夢と死にとりつかれた作家だが、彼の場合は振りはらおうとはせず、ジャングルにふる大雨を待つ人夫のように、ただそれが振り下ろされるのを待った。

 ジャングルと都市の淵、そして生と死の淵に立ち、不安定なやじろべえのように片足で立ちつづけた作家は、彼の隣人たちと同じようにその境界を越えていった。拳銃による自殺だったという。


収録作品(気に入ったものには*)

  • ヤベビリの一夜
  • 羽根まくら*
  • エステファニア 
  • 日射病*
  • 鼠の狩人   
  • 転生**
  • 頸を切られた雌鶏*
  • 狂犬
  • 野性の蜜**
  • ヴァンパイア
  • 入植者
  • ヒプタルミックな染み
  • 炎*
  • 平手打ち
  • 愛のダイエット*
  • ヤシヤテレ
  • ある人夫*  
  • ヴァン・ホーテン
  • 恐竜*
  • フアン・ダリエ
  • 死んだ男   
  • シルビナとモント   
  • 幽霊**
  • 野性の若馬
  • アナコンダの帰還 *
  • 故郷喪失者**
  • 吸血鬼
  • 先駆者たち
  • 呼び声   
  • 完璧な短編小説家の十戒

Horacio Quiroga"La miel silvestre" 1917.

recommend: