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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『事の次第』サミュエル・ベケット

フランス文学 ☆☆☆

 聞いたとおりにわたしは語るそれから死もし死がいつかは来るものならそれでかたづく死んでいく——サミュエル・ベケット『事の次第』

狂人の脊髄


 これは奇書ですよ、といって手渡された。
 一時期、探しまわっていたのだが、あまりに見つからないので、わたしのなかでは幻獣あつかいしていた1冊である。ページを繰った瞬間になるほど、と思った。いや、奇書、という言葉ですむものかどうか。

 「事の次第これはすべて引用文ピム以前ピムとともにピム以後の三部にわけて聞いたとおりに私は語る」

 言葉と心象のたれ流しである。句点読点そのほか一切の読みやすさを放棄し、浮かんでは沈む心象風景をパラノイアのように繰りかえし語りつづける。五七五調の訳文のため、音はするすると入ってくるのだが、翻訳詩に特有の「言葉がなじまずにすり抜ける」感覚が尋常ではない。熱にうなされている時に、活字を読みこめないあの感覚を思い出す。イメージを結ぼうとしても、焦点がまったく定まらないのだ。

事の次第 (1972年)

事の次第 (1972年)

 誰かがいるどこかに生きてるどこかに途方もなく長い時間それからおしまいそこにはもういないもう生きてはいないそれからもう一度そこにいるもう一度終わってはいなかったまちがいだったほとんどはじめからやり直し同じ場所か別の場所でそのとき新しい心像光のなかの娑婆で誰かが病院で意識を取りもどす闇のなか

 語り手は言葉を尽くすが、誰かになにかを伝えようとする意思はさっぱり感じられない。夢現の中で自分のためだけに言葉の積み木遊びをし、気まぐれにたたき落としている印象だ。
 脳裏にはただ、脅迫的に繰りかえされた言葉の断片だけが残る。ずた袋、缶詰、泥のなか、尻、爪、缶切り、ウイ、ノン。この白濁とした心象の渦は、狂人が見る悪夢に似ている。



 本書は3部構成で、ピムと出会う前の「ピム以前事の次第」、ピムとともに暮らす「ピムとともに事の次第」、ピムが去った後の「ピム以後事の次第」からなる。
 ピムと出会いともに暮らす、といっても、その共同生活は常軌を逸している。ピムとの出会いは泥の中、「わたし」がピムの尻をさわってふたりは出会うのだが、なぜか「わたし」は缶切りをピムの尻に突き刺し、背中に爪で「わたしだけの文字」を刻み、徹底的に虐待する。ピムはピムで、栄養のある泥をすすりながら生きているらしい。

 ピムの尻に缶切りを突き刺しているわたしのかわりにわたしの尻に缶切りを突き刺しているボムの姿を

 これらの情景は、なんどか文章を読みなおして、どうにかつかんだ断片にすぎない。あとがきでは訳者が情景を整理しているが、あそこまで情報を体系化するためには、いったいどれほど読みこまなければならないのかと、途方に暮れる。もうなすがまま、オブセッションのように繰り返される言葉にひきずられるのでせいいっぱいなのだから。

 ここで何かがまちがっている

 第1部はまだ語り口のユーモアにほほえむ余裕もあったのだが、第2部でそんなものは霧散する。そして確信した、この本は狂っている。


 ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』エリアス・カネッティ『眩暈』など、狂人をあつかった強烈な作品を読んできたが、『事の次第』はその衝撃をすらりと飛びこえ、手の届かない向こう側にいってしまった。
 この世界は閉じている。だからこの本は悲惨だ。狂った人間は、切ないほど間違った世界に生きていて、しかもそこから抜け出す手段を持たない。ひとつの体のなかで響くのは、自分が繰り返す言葉ばかりで、外の世界とつながらない。おぞましいと感じる狂気より、悲惨だと感じる狂気のほうが救いがない。
 「わたし」は、泥の中から現れて、這いまわる。しかし、そこから抜け出せない。時折、かつて「光のある世界」に住んでいたという心象が、あぶくのように浮かんではあっというまにはじける。「わたし」はそれを悲しむでもなく、ただ受け入れているように見える。

 人生人生光のなかの娑婆でのもう一つの人生どうやらときおりはわたしもあんな人生送ったこともあったようしかしもう一度あそこへ娑婆へ上ることなどおよびもつかず誰もそこまでやれとは言わずあんなところにいたことなんかありはしない泥のなかにときおり浮かぶ心象いくつか大地空人間何人かは光のなかにときには立って


 読み終えた今、思い起こすのは、うす暗い病室の片隅、そこでもう目覚めることのない人がひたすら夢を見ているという情景だ。「わたし」は何かの被害者であり、精神に異常をきたしたのだろうか。詳しい説明はなにもなくただほのめかされるばかりだが、全体に満ちる暴力の示唆と、感情の機微を失った白くまっ平らな印象、調律が狂ったようにくりかえされる言葉の渦が、悲惨なひとりの抜け殻を思い起こさせてしかたがない。

 ひとりぼっちで泥のなかそう(ウイ)暗闇のなかそう(ウイ)まちがいないそう(ウイ)あえぎながらそう(ウイ)誰かがわたしの声をきいているいや(ノン)誰もきいていないそう(ノン)

 詩的な言葉でもって、狂人の脳髄を這い回る。まるで精神の煉獄だ。ベケットは何を思って、この白濁を世に残したのだろうか。


サミュエル・ベケットの著作レビュー
『ゴドーを待ちながら』

Samuel Beckett"Les Editions de Minuit"1961.

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