『チェスの話 ツヴァイク短篇選』シュテファン・ツヴァイク
あらゆる種類のモノマニア的な、ただひとつの観念に凝り固まってしまった人間は、これまでずっと私の興味をそそってきた。人間は限定されればされるほど一方では無限のものに近づくからである。――シュテファン・ツヴァイク「チェスの話」
ささやかで重大な災禍
執筆当時からよく読まれる作家はそれほど多くはないが、オーストリアの作家ツヴァイクは幸いにもそのひとりだった。1930年代〜1940年代、ふたつの世界大戦にまたがる間、ウィーン市民によく読まれたという。
ドイツ語で書くO・ヘンリ、といった印象だ。O・ヘンリといえばどこかで柴田元幸氏が「O・ヘンリが好きといわれると微妙だが、O・ヘンリはねえという人にも『何がわかる』と反発したくなる」と語っていた記憶がある。実際、ツヴァイクも独文教授からは「ツヴァイクを卒論に?」と言われるらしく、執筆当時ほど読まれなくなってきているようだ。そうしたよもやま話を知らないまま、チェスを題材にした作品が読みたくて手にとった。
- 作者: S.ツヴァイク,池内紀[解説],辻,関楠生,内垣啓一,大久保和郎
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2011/08/20
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 35回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
気に入ったのはだんとつで「書痴メンデル」だ。かりにも本を愛する人間のはしくれなら、メンデルを愛さずにはいられない。あらゆる書物のタイトルを覚えては古書を仕入れてくる、脳髄にバベルの図書館をかかえるメンデル。彼はあまりにも書物以外のことに無関心だったため、戦争が始まっていたことにすら気がつかなかった。平時なら、メンデルは知識人に尊敬されながら、幸せに人生をまっとうしただろう。しかし、悲しいことに、時代は戦争に突入してしまった。戦争は町並みの破壊や死者だけでなく、生きている人間の脳髄、心をも破壊する。
じっさい彼は三十年以上、つまり彼の人生の起きている時間のことごとくをもっぱらこの店のこの四角いテーブルの前で、読んだり比較したり見積もりをしたりしながらすごしたのであって、睡眠によって中断されるだけの夢をたえまなく見つづけていたようなものである。――「書痴メンデル」
「チェスの話」は逆に、ごくふつうの上流階級人であった男が、ほとんどチェスを打ったこともないのに驚異的なチェスの腕を身につけるにいたる不思議な作品だ。書痴メンデルと逆の方向ではあるものの、どちらも戦争によって精神をいちじるしく傷つけられたことに変わりはない。「チェスの話」は、無の恐怖にどれほど弱いか、脅迫神経とはどのような精神状態にあるのか、普通の人間が狂気にいたるまでの過程を追っている。
雪どけ水のように、きんとした冷たさと透明さがある作品だった。季節にたとえればツヴァイクの作品は「冬」、しかも湿気や泥くささをほとんど感じさせない、ヨーロッパの山々のような冬らしさがある。透徹したまなざしはあれど、そこに冷淡さはない。
ツヴァイクは人々の幸せを描き、それがいかに戦争で傷つけられるか、いかにその幸せが壊れやすいものであるかを描いている。戦争の災禍の中でも、もっとも気づかれにくく、それでいて当人にとってはかぎりなく重大なものである。嘆きや皮肉によってではなく、あくまで日常の生活によりそった筆致だからこそ、同時代の人々に受け入れられたのかもしれない。
この私こそ、本が作られるのは、自分の生命を越えて人々を結びあわせるためであり、あらゆる生の容赦ない敵である無常と忘却を防ぐためだということを知らなければならない人間だったのである。
収録作品(気に入った作品には*):
- 「目に見えないコレクション」
- 「書痴メンデル」*
- 「不安」
- 「チェスの話」*
recommend:
- ウラジミール・ナボコフ『ディフェンス』…「この愛は命取りなのだ」
- 『モーフィー時計の午前零時』…チェス文学アンソロジー。
Stefan Zweig "Schachnovelle",1942.