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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『地図集』董啓章

 さらに過激な議論もあり……この理論によれば、地図上のすべての場所は取替地であり、どんな場所もかつてはそれ自身ではなかったし、永遠に別の場所に取り替えられるのである。――董啓章「地図集」

地図は小説

 『千と千尋の神隠し』で、湯婆婆(ゆばーば)は千尋の名前を奪って「千」と呼んだ。名前を奪われた者はみずからの名前を忘れ、湯婆婆の支配から逃れられなくなる。
 歴史においても、似たようなことがくりかえし起こっている。たとえば、植民地における土地の名前がそうだ。宗主国は町や道路の名前を、自国風に変えた。1842年に香港を得たイギリスは、香港にヴィクトリア市やハッピーバレーを生み出した。第2次世界大戦時、日本は5年ほど香港を占領したが、日本政府もまたイギリス式の名前を日本風にあらためさせたという。名前を奪うこと、命名することは相手を屈服させ、征服することだった。

地図集

地図集

 世界で僕たちほど自分が育った場所を理解していない人々はいないだろうが、これは僕たちが悪いのではなく、植民地では記憶は大事にされないからなのだ。――「永盛街興亡史」

 土地に根ざした名前は上書きされ、新しい意味を与えられる。連続性をうしなってこま切れになった歴史や由来は、時がたつにつれて散逸する。董啓章は、一風変わったやりかたで、これらに「待った」をかけようとした作家だといえる。

 虚構(fiction)、それがヴィクトリア市であり、あらゆる都市の本質であり、そして都市の地図もまた、必然的に自己拡張、修正、韜晦、転覆の小説であるのだ。――「地図集」

 董啓章は、「地図は小説である」と言い切る。何をばかなと思うかもしれないが、「地図集」はまさにこの言葉そのままの小説だ。香港に実在する地名を持ち出し、作家はその由来や歴史を語ってみせるが、その中身がじつにうさんくさい。

 その昔中国人の間にはある伝説があった――初めて香港に来たイギリス人は、中区上陸後に必ずや先ず雪廠に行き、彼らの記憶と夢想を氷室の中で貯蔵し、それが過酷な亜熱帯気候で腐敗することを予防したというのだ。――「雪廠街」

 「雪廠街」は実在する町で、中国新聞社のWebサイトでは「その昔天然の氷を貯蔵する冷凍庫が、この辺り一帯に建っていた事に由来」とある。作家はこの歴史に、「イギリスの気候をまねるために雪製造計画が進行していたらしい」「イギリス人が思い出を貯蔵していた」という情報をつけ加える。しかつめらしい論文調で、堂々とほらをふく態度がすがすがしい。
 銀を流しこめば砂糖が出てくる工場があった「糖街」、植える作物を半年ごとに変えるたび通りの名も変わる「通菜街と西洋菜街」(のんびりなじんでいた現地人にたいして植民地政府が業を煮やしたというあたりがいかにも本当くさい)、出口がないトリックアートのような街「公衆四方街」といったほら話、さらには「歴史学者 藤本のび太」なる人物が、「日本が香港の地図を作ったのは占領の野心があるからではなく、地図をつくって遊ぶ“攻略ゲーム”がはやったからだ」などという「攻略ゲーム理論」をぶちあげる始末。

 藤本のび太はさらに上には中国の成語である「紙上談兵」の影響関係をもって、虚構の空間で戦争を想像することは、人類共通の自然な心理欲求であることの証拠とした。最終的結論は、香港攻撃占領の事実は「香港要塞施設地図」の二次元空間にのみ存在するというものである。藤本の説は一部の中国の学者の支持あるいは無視を受けた。――「攻略ゲーム」

 こうした騙りに満ちたエピソードが「理論篇」「都市篇」「街路篇」「記号篇」にわたって辞書の項目のようにつらなり、「ちょっと不思議な香港」ができあがる。


 虚実ないまぜの町を織り上げるといえば、訳者のひとりである中島京子さんが書いているように、カルヴィーノ『見えない都市』を思い起こすが、似ているけれど少し違うと私は思う。本書で作家自身が『見えない都市』について言及しているから、意識していることはたしかだろう。しかし、『見えない都市』が夢、幻想の色合いが強いのにたいして、『地図集』はもっと“考古学的”だ。
 アフリカ文学やラテンアメリカ文学でも、失われゆく文化を掘り起こそうとする作品はあるが、文献などをひもとくものはあまり読んだ覚えがない。これらの土地では、音楽や語りといった「無形」のものにを記憶の媒介とすることが多いように見える。
 一方、「地図集」あるいは併録の「永盛街興亡史」においては、大量の文献や地図、文字といった「有形」の資料が登場する。4000年の歴史を持ち、膨大な書物や文献が蓄積されている中国文化を継承しているからこそ、このような考古学的な態度になるのかもしれない。
 「都市学もどき」はあくまで“もどき”であるが、地図と支配の関係、統一しようとする意思と細分化しようとする意思など、はっとする個所がいくつもある。ちなみに「地図集」の副題は「ある想像の都市の考古学」で、著者のスタイルをもっともシンプルに表しているように思う。


 そういうわけで、本書はボルヘスカルヴィーノの作品よりもむしろ、メタボリズム*1の建築家たちが夢想しつつも実現できなかった「アンビルト」(un-build)な建造物の設計図に似ているように感じた。メタボリストが描いた海上都市や都市理論は、実現しないものも多かったが、夢と理想に満ちていた。本書もまた、香港という複雑な土地への熱情をこめた、夢の設計図である。
 「一つの場で、名前と意味との分解が避けがたい趨勢にある都市においては、意味再建の対抗戦略を進めぬわけにはいかない」と著者は書いている。150年間、イギリスと中国のはざまという特殊な立ち位置にいた香港においては、100年前の地図はとても同じ場所をさしているとは思えなかっただろう。
 だから著者にとって「地図は小説」なのだ。彼は思い出と土地の記憶が風化することにユーモラスに抵抗し、かつ自分の夢で補強した(彼が抵抗したのは植民地支配などという単純なものではないだろう。2009年の調査で、香港人の約8割は自分が中国の人間だと思って“いない”)。


 「懐かしき香港、その思い出を再構築したい」という思いがにじみ出ているためか、本書はカルヴィーノボルヘスより明るく、そして若々しい印象であった。あえてボルヘスと比べるならば、超絶技巧を駆使して幻想を構築する魔術師ボルヘスではなく、「私がいま求めているものは、人を愛しているという、そして愛されているという実感である」*2と心情を語った、晩年のボルヘスに似ている。学問ぶった堅苦しい文体、構成に見せているが、これはどこまでも、追憶と愛着についての物語である。


収録作品(おすすめには*):

  • 「少年神農」
  • 「永盛街興亡史」*
  • 「地図集」**
  • 「与作」

Dung Kai Cheung"Atlas",1997.

recommend:

  • イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』…不思議な都市の断片たち。
  • ホルヘ・ルイス・ボルヘス『創造者』…会いたい人に会うために、不可能な理論を可能にさせる。
  • 三浦丈典『起こらなかった世界についての物語―アンビルト・ドローイング』…設計はされたものの、実現にはいたらなかった設計図集。
  • レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』…マンハッタンという摩天楼都市を建築家が解体する。
  • 『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々』…「東洋の魔窟」という異名を持つ、伝説的な建築群の写真集。


reference:

*1:参考:1分で分かるメタボリズム(森美術館)

*2:ホルヘ・ルイス・ボルヘス 「自伝風エッセー」 『ボルヘスとわたし』収録