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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『老首長の国 ドリス・レッシング アフリカ小説集』ドリス・レッシング

 「不公平だ」彼は言った。「不公平だよ」
 「やっと気づいたのか、白んぼ?」ダークが言った。

——ドリス・レッシング「アリ塚」

見えぬ心

 かつてアフリカが「暗黒大陸」と呼ばれたのは、その見えなさのためだった。西欧人たちはジャングルを切り開き、土地を奪い、鉱山を掘り抜き、人々を奴隷として売り払った。ヨーロッパの明かりと技術、慣習と宗教を持ちこんだ。

 それでもなお、アフリカはアフリカだった。熱病が蔓延し、ジャングルはどこまでも深く、死は常に近く、アフリカの人々はヨーロッパとは根本から異なる体系で世界を編み上げる。彼らは、同じ土を踏みながら違う風景を見ている。西欧人たちの偏執的ともいえる残虐には、アフリカへの恐怖——それは暗闇への恐怖に似ている——があったのではないだろうか。

老首長の国――ドリス・レッシング アフリカ小説集

老首長の国――ドリス・レッシング アフリカ小説集

 ドリス・レッシングは入植したイギリス人で、5歳から30歳までの25年間を暗黒大陸の「白い巨人南ローデシア*1で過ごした。レッシングの父親は、帝国博覧会で見た「農場経営の夢」に魅せられた、典型的な入植者のひとりだった。そしてすべての素朴な人々と同じように、レッシング一家はアフリカの過酷な現実に打ちのめされる。

 本書におさめられた14の短編には、ドリスや両親の似姿である白人の少女、夢におぼれる白人の男、ヨーロッパの生活を捨てきれずに嘆く女たちが登場する。そして、近くに住みながらどこまでも遠い、部族社会の人々。さまざまな年代、さまざまな立場の人を入れかえながら、レッシングは「相互理解の困難さ」を繰り返しなぞる。大陸の奥は見えず、人の心もまた見えない。

 「何でこんなことをしなきゃならないの? この現地人たちを治療して助けるために、わたしが自分の貴重な時間を使っているのに! わたしは、どんな感謝の言葉をかけてもらってる? 何をしてやったって感謝もしないんだから」この感謝という問題が、当時どの白人の心にもあった。——「リトル・テンビ」

 入植した白人たちの多くは、ヨーロッパでかなえられなかった夢をアフリカに持ちこむ、ある種の「敗残者」が多かった。富を築きたい、名声を手に入れたい、豊かな暮らしをしたい、愛されたい、尊敬されたい、しかし土地に根ざさない願いは枯れる。本書を読んでいると、物質的には豊かな暮らしをしている白人たちのほうが、よほど精神的に飢えているように思える。現地人たちはたくましく、したたかだ(もっとも、それは作者が入植者サイドから見ているからかもしれないが)。

 「リトル・テンビ」「二つ目の小屋」「ハイランド牛の住む家」では、現地の人々に愛想をふりまく白人たちが登場する。彼らの「こんなによくしてあげているのに身のほどをわきまえない」という感情がなんともなまなましい。他者愛のふりをした自己愛と、自分より劣る人間を求める劣等感の描き方がレッシングはとにかく巧みで、苦い感情が文章の亀裂からじわりと漏れ出してくるたび、心臓をゆるくにぎられるような、倒錯した快感をおぼえる。

 なかでも「七月の冬」は強烈であった。この短編はめずらしく白人だけの物語で、白人夫婦と夫の義母兄弟が登場する。ふたりの兄弟とひとりの女がひとつ屋根に住むというプロットから想像しうる三角関係をていねいになぞりつつ、軽やかにふっとばしてくる筆致はさすがというほかない。愛や執着という言葉ではとうてい割り切れない感情がいたたまれない。ほんとうは、誰が誰を愛していたのかを考えるとめまいがする。


 レッシングは、人の心とアフリカの自然を描くことに、ほぼ全神経を集中させている。どこまでも細やかで、肋骨の裏をなでてくるような人間描写とは対照的に、アフリカの大地はどこまでも広く厳しく、赤く黒く、細密描写などまったく必要としない超然とした趣がある。この強烈なコントラストが、どの短編を読んでも冴えわたっていてゆるまないのがすばらしい。

 恐怖はなくなっていた。孤独がつのり、尊大なほど冷静になっていた。風景が異様なほど冷淡に感じられた。歩みを進めるごとに、壁のように強靭で煙のようにつかみどころのない何かが、わたしに負けじと、むっつりと冷たく乱暴に迫ってきた。おまえは、破壊者としてここを歩いているんだぞ、と言われているような気がした。——「老首長の国」


 きわめて洗練され、完成された短編集だ。本書ほど、どれを読んでもはずれがないと思える短編集はめったにない。いい人がひとりも出てこないにもかかわらず、嫌な後味は残さない。

 たとえば、冒頭で引用した「アリ塚」のセリフは、白人と黒人の子供同士のものだが、同時にこのふたりは唯一無二の親友同士でもある。レッシングはけっして「加害者/被害者」という単純な二元論にはもっていかない。

 人種や立場にしばられながらも、人間はもがき、はみだしていこうとする。こうも人はすれちがうにもかかわらず、誰もが暗い闇を抱えているにもかかわらず、すべての短編を読み切った時、嵐が明けた朝のように、憑きものが落ちた心地がした。


収録作品(おすすめには*)

  • 「老首長ムシュランガ」*
  • 「草原の日の出」
  • 「呪術はお売りいたしません」*
  • 「二つ目の小屋」**
  • 「厄介もの」
  • 「デ・ヴェット夫妻がクルーフ農場にやってくる」
  • 「リトル・テンビ」*
  • 「ジョン爺さんの屋敷」*
  • 「レパード・ジョージ」
  • 「七月の冬」**
  • 「ハイランド牛の棲む家」*
  • 「エルドラド」*
  • 「アリ塚」**
  • 「空の出来事」

Doris May Lessing "This Was the Old Chief's Country",1973.

recommend:

*1:ジンバブエ。イギリス南アフリカ会社のセシル・ローズの名前から命名された。参考:「南ローデシアの歴史」