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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『灰色の輝ける贈り物』アリステア・マクラウド

カナダ文学 ☆☆☆☆

 「わかってるよ、母さん」とお父さんが言う。「よくわかっているし、みんなには感謝しているよ。ただ、とにかく、同じ一族という仕組みのなかでは、もう生きられなくなっているんだよ。自分とか自分の家族とかを超えて、ものを見なきゃ。今は二十世紀なんだから」
 「二十世紀?」とおばあちゃんは市松模様のエプロンの前で大きな手を広げる。「私に言わせりゃ、自分の家族がなくて、何が二十世紀だと思うけど」 

——アリステア・マクラウド「帰郷」

 『灰色の輝ける贈り物』は、土の中に何年も埋まっていた燭台をみがきあげて炎をともしたような短編集だ。あらすじを語ったところで、このいぶし銀のような輝きはおそらくなにも伝わらない。本書の魅力は、薄霧のなか幻のように浮かび上がる一景、生きているもののにおいと温かさにすりよる言葉はこびにある。

受け継ぎたいもの

 マクラウドは寡作の作家である。31年のあいだに書いた短編はわずか16本、本書は前半の作品をおさめる(後半は『冬の犬』に収録)。舞台はカナダ、ケープ・ブレトン島。マクラウドがくりかえし描くのは、家族の中にひそむ「落差」と「ずれ」だ。
 同じ土地に住む、同じ血をわけた一族同士でも、さまざまな考えや立場の人間がいる。親の世代と子の世代、都会に住む者と田舎に住む者、労働を愛する者と勉学を愛する者。そして、いまの立場をみずから選択した者、環境によって選択せざるを得なかった者。

灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)

灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)

 老人世代はみな、漁業や炭坑労働などを営む肉体労働者だ。彼らは1冊の本も手にとらず、土をふみしめ、汗をふるって人生をまっとうする。一方で、子供世代は、古いしがらみから抜け出そうとして都会へ向かい、弁護士や事務職として働く。
 親世代の心もびみょうだ。子供に家業を継いでほしいと思う親もいれば、もっと別の世界に行ってほしい、自分たちとは同じ道を歩んでほしくないと思う親もいる。その願いはたとえば、子供に本を与えるか与えないかという、じつにシンプルな行動にあらわれている(「船」で、主人公の母が「本が生活にとって何の役に立つのか」と問いかけるシーンがある。実直な生活者からのこうした問いは、実直さとは無縁の本読みにはなかなかくるものがある)。
 受け継ぎたいものがある。だが、それを枷とみなすかギフトとみなすかは、人によってそれぞれ違う。それはポジティブにとらえれば「それぞれの個性」、あるいは別の言い方をすれば「越えられない溝」である。

 そのあと、父に対する愛情がふつふつと涌き起こり、自分本位の夢や好きなことを一生追いつづける人生より、ほんとうはしたくないことをして過ごす人生のほうが、はるかに勇敢だと思った。——「船」

 思うに、世の中には「ここが自分の場所だ」という人と「ここではないどこかへ行ってしまいたい」という人がいる。私はおさないころから振り切れて後者のタイプで、とにかくしがらみから抜け出して、息がしやすい場所に行きたいと思っていた。だが、ここではないどこかに行けばどうにかなる、という願いは、ぬるいミルクのような幻想にすぎない。人はどこまでいっても自分から離れられないからだ。
 「広大な闇」の少年は、自分のことを誰も知らない町についた時、自分が捨ててきたものの重さを知った。自由とは孤独の別の名、しばらみは体に巻きついたぬくい毛糸である。糸が多すぎればわずらわしいし、糸を切れば心もとない。


 漁師一家に受け継がれる思いを描いた「船」、ビリヤードをたしなむ少年と飲み屋常連の大人との交流「灰色の輝ける贈り物」、人生の終着点を探し求める祖母と孫の会話が痛ましい「ランキンズ岬への道」、炭坑夫の夫と都会に住む妻の世界が違うさまを突きつける「夏の終わり」が気に入った。
 特に「ランキンズ岬への道」はすばらしい。“終わりの始まり”と名づけられた断崖絶壁、その終着点に住む祖母のもとを、若い孫息子がおとずれる。彼は祖母の気質を受け継いだただひとりの孫で、ふたりは世界のながめかたを共有している。

 「うん、知ってる。おばあちゃん、その話、前にもしてくれたよ」
 「マクリモン家の人間はふたつの才能を授かっているといわれてたんだよ。音楽の才能と、自分の死を予知する才能をね。そういう才能は、マクリモンの血筋に受け継がれているはずだよ。それは誰でも授かれるような才能じゃない」 ——「ランキンズ岬への道」

 だが、孫には秘密があった。それがなんとも切実で、痛ましい。

 「誰も人生は楽なもんだなんて言ってやしないさ。人生というのは、ただ生きていかなきゃならないものだというだけのことよ」。僕は今日、少なくともひとつには、そうした人生を生き、死を迎えるために強さを見つけたいと思って、ここに来た。


 須賀敦子は「人が互いを理解しようとするには、塩1トンが必要だ」と書いた。どんなに距離が近くても、人と人の溝はたえがたいほど深く、だからこそ人は橋を架けつづけようとする。
 たいがいはうまくいかない。だが、マクラウドの作品では時折ではあるものの、心が通う瞬間があるのがいい。それは、人生という無情なものがわれわれに与える、偶然の贈り物であるからだ。

 「たまんないなあ、胸がはりさけそうだぜ」

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