キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『リチャード三世』ウィリアム・シェイクスピア

 もはや悪党になるしかない。

 馬だ! 馬だ! 馬をよこせば王国をくれてやる!

——ウィリアム・シェイクスピア『リチャード三世』

絶望して死ね!

 王家につらなる人々が流麗な言葉で歌いあげる、呪詛の交響曲である。この世のすべてを、大事な人を奪った者を、自分を殺したのにまだ生きている者を、誰も彼もが呪いちらす。人を呪わば穴ふたつというが、世界を呪ったらその対価はいかほどにふくれあがるのか。そのひとつの答え。

 黒いどろどろとしたタールのように、ねばついた心を持つ王の一代記である。グロスター公リチャード、後のリチャード三世は、醜いせむしの男で、その見栄えにふさわしく、醜くゆがんだ心を持つ。彼はヨーク家の三男という、王冠からは遠い立場にいながら、憎悪と残虐でもって王位についた。時代は薔薇戦争の終わり、ヨーク家がランカスター家をしりぞけ、ヨーク家の長男エドワード四世が王座についたところから物語は幕を開ける。ヨーク家の勝利と栄光をたたえる美しい言葉たちは、たちまちリチャードの憎悪によって塗りかえられる。

ロスター おれは色男となって、美辞麗句がもてはやされる
 この世の中を楽しく泳ぎまわることなどできはせぬ、
 となれば、心を決めたぞ、おれは悪党となって、
 この世のなかのむなしい楽しみを憎んでやる。

 自分はこの世界を楽しめない。だから憎悪する。すべての人間が楽しめない世の中にしてやりたいと願う。この存在感は圧倒的だ。せむし男はその醜い体にどす黒い心を隠して、兄弟殺しの策謀をめぐらせる。


 『リチャード三世』は、徹底した悪役リチャードが圧倒的に目立つ劇だが、女たちの存在感もすごい。いろいろな女たちがいる。かつてヨーク家に王を殺されたランカスター家の元王妃、リチャードに夫を殺された未亡人、リチャードなどという“コカトリス”を生んだことを後悔している公爵夫人、子供を殺された貴族、誰も彼もがリチャードを憎み、呪詛をぶっとおしで吐きまくる。韻を踏み、たたみかけるように呪う迫力はすさまじい。

マーガレット おまえたちの王は、戦死でなければ食いすぎで死ね、
 私たちの王が、彼を王にするために殺されたように!
 おまえの息子、いま世継ぎであるエドワードは、
 私の息子、かつて世継ぎであったエドワード同様、
 時ならぬ非業の死によって花も蕾のうちに死ね!
 いま妃であるおまえは、かつて妃であった私同様、
 落ちぶれて生き恥さらすまで長生きするがいい!

 特に、ヘンリー六世の妃マーガレットの弁舌はふるっていて、とにかく彼女に害をなしたものすべてを、百行ものせりふで歌うようにののしる。第4幕4場、マーガレットとエリザベスが「私は大事な男を失った」と応酬しあう場面は圧巻だ。おたがいに、相手の話などこれっぽっちも聞いてはいない。しかしふたりの嘆きはシンフォニーのように呼応しあい、リチャードの死を望む一点に集約していく。

マーガレット 私には息子エドワードがあり、リチャードに殺された、
 そして夫ヘンリーがあり、リチャードに殺された、
 おまえには息子エドワードがあり、リチャードに殺された、
 そして息子リチャードがあり、リチャードに殺された。

公爵夫人 私には夫リチャードがあり、あなたに殺された、
 そして息子ラットランドがあり、あなたに殺された。
マーガレット おまえには息子クラレンスがあり、リチャードに殺された。
 犬小屋のようなおまえの胎内から這い出した
 あの地獄の犬が、私たちみんなを死へと狩り立てる。

 言葉、言葉、どこまでも言葉である。
 「呪いの名人」と呼ばれるマーガレットの慟哭は、狼の遠吠えのように他の女たちの悲しみを呼び覚まし、呪いの言葉は伝染する。呪いは新たな呪いをうみ、転げ落ちる雪玉のように他者を巻きこんでふくれあがる。

エリザベス ちょっとお待ちを、呪いの名人であるあなたに、
 私の敵をどう呪えばいいのか教えていただきたいのです!
マーガレット 夜は眠りを断ち、昼は食事を絶つことだ、
 過ぎ去ったしあわせをいまの不幸とくらべることだ、
 おまえの子供たちが実際よりもかわいかったと思い、
 それを殺した男が実際よりも忌まわしいとおもうことだ。
 失ったものをよりよく思えば失わせたものがより悪く
 思われてくる、それでおのずから呪いかたがわかる。
エリザベス 私の舌はなまっている、どうか注いで、あなたの毒を。


 『リチャード三世』は悲しみの劇、そして言葉の劇だ。戦争と暗殺、権力争いがおもな題材であるにもかかわらず、流血沙汰の場面はほとんど思いうかばない。まるで一語ごとに断頭台の刃を巻き上げているかのように、呪いの言葉を吐けばそれだけ相手が死に近づくかのように、リチャードもリチャードを憎む者も、しゃべりまくる。だから、この劇では言葉が少ない人間ほど早く死ぬ。

 絶望して死ね!

 『リチャード三世』で吐かれる言葉は、徹底的に「対話性」がない。誰もかれもが悲しむけれど、その悲しみは共有されない。心はかよわない。出演者が互いに目を合わせない「ディスコミュニケーション」の劇としても読める。
 言葉はただのむなしい石のつぶて、人も世界も受けとめてなどくれはしない。シェイクスピアは言葉のむなしさを語らせる。だが同時にこうも書いている。

エリザベス どうして不幸というものはことば数が多いのだろう?
マーガレット ことばとは悲しみの身がわりになって訴える
 はかない弁護人、遺産も残さず死んでいった喜びの
 むなしい相続人、みじめさを嘆くあわれな雄弁家です。
 そのことばに自由に語らせましょう、そうしたところで
 なんの助けにもならないけど、気持ちだけは楽になります。

William Shakespeare King Richard III,1592-1593?

recommend: