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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『ペインテッド・バード』イェジー・コシンスキ

東欧文学 ☆☆☆

 ぼくは神の御子を殺したことの償いのためにこんなにたくさんのユダヤ人の命がはたして必要なのだろうかと思った。この世界はやがて、ひとを焼くための、ひとつの大きな火葬場になるだろう。司祭さんだって、すべては滅び、「灰から灰に」帰する運命にあると言っていたではないか?——イェジー・コシンスキ『ペインテッド・バード』

地獄めぐり

 地獄めぐりである。右を向いても左を向いても、憎悪と血に満ちた地獄を抜けられない。地獄とは苦痛そのものではなく、どこまでいっても苦痛から逃れられないと気づくことだ。

ペインティッド・バード (東欧の想像力)

ペインティッド・バード (東欧の想像力)

 ポーランド生まれの作家が英語で書いた、第2時世界大戦の闇。舞台はナチスドイツの支配下にある東欧の国(国名はわざとぼやかしてあるらしい)。両親とはぐれた6歳の少年が、東欧の田舎をさまよい歩く。6歳といえば、ふつうなら両親の庇護を受けてのびやかに育つ年頃だ。しかし、少年を守ってくれる大人は誰もいない。少年から見た“大人たち”は誰も彼もが残忍さをむき出しにしていて、憎悪まみれで少年を虐待し、なぐり、殺そうとする。

 少年が見たものは間男の目をくり抜く男、誰とでも寝る女を嫉妬のあまり殴殺する村の女たち、娘と息子を犯す父親、力の限り虐殺と強姦を繰り返す略奪者たちだった。これほどまでに温かみが欠如した人々は、カネッティ『眩暈』以来だ。

 少年は逃走し、人間どもの黒い部分を目撃し続ける。

 肉親とのいっさいのつながりを断たれた少年は、どこへいってもよそ者で、どの村にも定住できない。庇護者が死んでは村を出て、建物が爆発しては村を出て、殺されそうになったから返り討ちにして村を出て、村人同士の殺人が起きては村を出て……さまざまな地獄を流転する少年の姿はダンテ『神曲 地獄篇』を思い起こさせる。だが、この世界にウェルギリウスはいない。ベアトリーチェも存在しない。


 亡命先のアメリカでコシンスキが『ペインテッド・バード』を出版した時、あまりにセンセーショナルな描写に批判が飛び交ったらしい。確かに本書に登場する人間は人間の醜い部分のみを露悪した人間ばかりだが、批判する人々が言うようにこの描写が「現実離れ」しているとは思わない。本書が描いているのは、人間が醜いことではなく、なぜ人間がここまで醜くなれるのか、ということである。

 戦争はおびたたしい数の人を殺すだけではなく、生きている人の心をも殺す。「ユダヤ人を虐殺せよ」と怒号をあげたナチスを熱狂的に迎え入れたのは狂人ではなく、ごくごく普通の人々だった。

 どんな状況にも、人は慣れる。人間とは、周囲が狂えばきっと簡単に狂えてしまう生き物だ。それはある意味で救いだが、絶望でもある。鳥にペンキを塗りたくり、次々と死んでいくのを楽しげに見ていた男は、戦争がなければ、鳥を愛する心根の優しい男だったかもしれなかった。

 本書でなにより悲惨なのは、少年の透徹したまなざしだ。少年は生まれてまもない心のまま、戦争によって狂った世界を見てしまう。そして、彼なりにこの不条理な世界の理を見つけ出そうとするのだが、その答えは絶望的なまでにまちがっている。

 神の存在を信じ、祈れば救われると思っていた純真な少年が、「悪魔と取引しないとだめだったんだ、なんてぼくは馬鹿なんだろう」と確信にいたるまでのくだりは心底ぞっとする。

 ある目標を達成するために憎悪、貪欲、復讐、拷問といった手段にすがろうという十分に強い熱意を抱いたものだけが悪魔との取引を結べるようだった。……この世の真の法則をどうしてもっと早くに見定められなかったのかと思うと、そんな自分が悔しかった。

 見ず知らずの大勢の人間の運命を決定できるというのは、すばらしく感動的なことだ。


 本書には、あまりに強烈すぎたホロコーストの影に埋もれているポライモス(ロマ絶滅政策)が織りこまれている。ジプシーという呼び名で知られる移動型民族ロマ人は、欧州で長いこと差別の対象であり続けた。ナチスユダヤ人とともにロマの絶滅政策を遂行し、何百万人ものロマが虐殺されたという。だが、ユダヤ人の場合と違い、ポライモスの事実は明らかにされず、補償も無視され続けた。

 主人公の少年は、ジプシーに見立てた姿で描かれている。黒髪にオリーブ色の肌で、金髪碧眼の人々からはあきらかに浮いて見えたことだろう。見た目からして「よそ者」だから、人々は“安心して”暴力をふるえる。

 
 暴力を目撃し、暴力にさらされ続けた少年はやがて、人を殺すこと、傷つけることになんのためらいもなくなり、息をするように自然に残虐を行うようになる。失望なき転落が、心の不具者、モンスターを生み出す。

 これが本当の戦争の災禍なのだと思う。戦争の災禍は、「何万人が死んだ」「どれぐらいの町が破壊された」という結果だけではない。戦争が終わって銃弾の雨がやんでも、人々の心に負の遺産として残り続ける。生きのびるために、少年が心を殺した代価はあまりにも大きい。彼はこれから生きて、成長しなければならないからだ。戦争が終わってから、本当の地獄はやってくる。

 冗談のようなことが本当に起こるのが戦争だ。だから「こんな残虐なことがあるわけない」という批判はどうにも的外れに聞こえる。むしろ、本書を読んだコシンスキの友人が、コシンスキによこした批判の方が迫真にせまる。

 「この小説は、自分たちや家族の多くが戦争中にくぐりぬけた経験に比べれば、牧歌的な小説である」

 戦争は「こちらとあちらは違う」という対立線をたえず引き直し、あちらへの暴力を肯定する。少年は「ユダヤ人かジプシー」と見なされた。どこへいっても「あちら側」の人間、ペンキを塗られた異端の鳥だったのだ。

Jerzy Nikodem Kosiński The Painted Bird ,1965.

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