読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『ウンラート教授 あるいは、一暴君の末路』ハインリヒ・マン

 今、ローザはそのまなざしと仕草を、ウンラートを通り越して別の男の方へ……ローマンの方へ向けていたのだ! ウンラートはこの情景を終わりまで思い浮かべた。そして彼のむせび泣きに応じて、情景は踊るように躍動した。——ハインリヒ・マン『ウンラート教授 あるいは、一暴君の末路』

汚物の心

 なぜ、人の心はこうも複雑で割り切れないものなのだろうか? すぐれた描写の小説に出会う時、私はいつもこのような驚きをおぼえずにはいられない。「鼻つまみ者の老教師が、若くて美しい踊り子に心奪われ、転落していく」という典型的なプロットでありながら、登場人物たちが見せる心はじつに多彩、読みきれそうで読みきれない。

ウンラート教授―あるいは、一暴君の末路

ウンラート教授―あるいは、一暴君の末路

 ウンラート教授、ドイツ語で“汚物”“汚臭”という名で呼ばれるギムナジウムの老教師は、本名をラートという。学童が教師にあだ名をつけるのは世のつねだが、ウンラートは数十年ずっと同じあだ名、しかも学校どころか町中がその呼び名で彼を呼ぶという、筋金入りの嫌われ者だ。
 ウンラートは、気に入らない者を容赦なく罰し(というか、そもそも彼には気にいる生徒などひとりもいなかった)、「わしは貴様の経歴を邪魔することができるのだ!」と恫喝して、生徒を落第させることに心からの喜びを見いだす暴君である。
 教師というより子供だ。そもそも暴君とは、子供らしい無邪気な残酷さを持ちながらすべてを服従させる権力を持つものだ。ルールや理論では動かない。暴君はおのれの感情にしたがい、すきを見つけては服従を強要する(だからこそ、カミュ『カリギュラ』チェスタトン『新ナポレオン奇憚』のように、正気で狂ってみせる暴君は異常なのだ)。

 生徒に陰で敵視され、欺かれ、憎まれていることを知っていたウンラートは、自分の方でも彼らを、いくら「落とし」ても、いくら「合格点」に達するのを邪魔しても足りない宿敵として扱った。彼はまるで、不意に権力を授けられ教壇に上げられた生徒であるかのように、少年たちを間近に見た。

 しかし、彼の安定した暴君生活は、ひとまわりも年下の踊り子ローザ(フレーリヒ)と出会ったことで終わりを告げる。おもしろいことに、他者に服従を強要する人ほど、自身も強烈に服従しやすい。フレーリヒへの、唐突なまでの絶対的服従と信頼の寄せ方は、まるで恋というよりは母親に対する子供の狂信に近い。女の化粧など間近に見たこともないウンラートが脱ぎたてのショーツを渡されてわたわたするシーンなどは噴飯ものだが、やがて化粧品をこっそり使って化粧のしかたを学び、コルセットの巻き方に熟達していくさまは奇妙な迫力がある。
 「ベテラン老教師と夜の踊り子」などせまい町では大スキャンダル、まさに“汚物”そのものであるはずだが、ウンラートは恥も外聞もまるで気にせず、夜の劇場にあしげくかよっては彼女に奉仕する。このあまりの無邪気さと無計算ぶりは、見る者すべてを驚かせる。

 「このウンラートという奴に、僕はだんだん興味を持ってきているんだ。奴はどうにも興味深い存在だよ。どんな状況の中で奴が行動しているか、考えても見ろよ。奴は自分の損になることばかりしでかしてるんだぜ。普通だったら、そういうことをする前に自覚しなけりゃいけないだろ? 僕だったらあんなことはしない。ああいうことをしでかす人間のうちには、アナーキストが潜んでいるに違いないんだ……」


 だが、その服従ぶりはけっして違和感をおぼえるものではなく、驚きをもたらしながらもすとんと腑に落ちるものだ。フレーリヒについてもそれは同じで、てっきり自分にぞっこんの汚いじいさんからしぼりとれるだけしぼりとろうとしているのかと思いきや、ウンラートに一種の敬意をいだき、気づかい、愛そうとまでしている。

 ローザはウンラートを見つめ、声に出して笑った。それは、ずっと小さい笑い声に変わった。嘲笑的で、しかも慈しみのある、彼のことを、そして自分について考えこんだような笑い方だった。なぜ、ウンラートを滑稽だと思いながらそれでいて誇らしく感じるのか、それを考えているような笑い方だった。

 彼の振舞いや言葉、並はずれた滑稽さと回りくどい精神性、そうしたことのすべてが、ローザの心を動かした。そして、彼に対しては敬意を払わねばならぬということもしばしば考えた。しかし女の気持ちは、それ以上にはどうしても動かなかった。

 ウンラートとフレーリヒは輪の中心で踊り狂い、町の人々や生徒たちもその狂乱に火をそそぎ、油をそそぎ、“汚物”カップルに巻き込まれていく。すべてが狂っていくからこそ、ただひとり、最初から最後まで正気でいるシニカルな生徒ローマンの存在が異彩を放っている。彼の登場シーンはそれほど多くないが、じつは彼がすべての中心にいたのだと思う。だから、ラストはああも急激で、劇的なのだ。


 滑稽であり、哀れであり、狂っている。まるで『ドン・キホーテ』にも似た、悲しき暴君の一末路。めくるめく心理描写ぶりは、汚物というよりはむしろ万華鏡のようであった。

Luiz Heinrich Mann Professor Unrat.Das Ende eines Tyrannen,1905.

recommend:


読みたい: