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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『パラケルススの薔薇』ホルヘ・ルイス・ボルヘス

南米文学 ☆☆☆

 「一輪の薔薇は、あっけなく燃え尽きるはずです」と弟子は挑むように言った。
 「暖炉にまだ火が残っている」とパラケルススは応じた。
 「この薔薇を火中に投ずれば、それは燃え尽きたと、灰こそ真実だと、おまえは信じるだろう。だが、よいか、薔薇は永遠のものであり、その外見のみが変わり得るのだ。ふたたびその姿をおまえに見せるためには、一語で十分なのだ」

——ホルヘ・ルイス・ボルヘスパラケルススの薔薇』

薔薇は燃えるか

 魔術かいかさまか。人が理解しえないものに通じる人間は、たえずこの問いにさらされる。パラケルススは本物の魔術師か、それともただのペテン師なのか?

 パラケルススは、中世に実在した錬金術師である。もとは有能な医師だったが、古典医学を否定したために放逐され、諸国を流浪しながら医療に従事したという伝説がある。彼が作る薬はあまりによく病をなおしたので、妖精や悪魔と手を組んで作ったのではないかと噂されるほどだったらしい。ボルヘスは、この伝説めいた錬金術師をテーマに短編を書いた。

 ボルヘスが描くパラケルススの魔術は、薬や発明ではない。いかにも彼らしく「言葉」、それもただひとつの言葉である。炎の中で燃えた薔薇をよみがえらせることができたなら私はあなたの弟子になろう、と青年が言う。パラケルススは答える。「そこにある灰は、少し前までは薔薇だった。もう二度と薔薇に戻ることはないだろう」。


 青年はあなたの弟子にしてくれと願いながら、その目で見るまでは魔法を信じないと言う。だが、これは「神よ、あなたを信じよう。この目であなたの姿と奇跡を見ることができたなら」と言っているのと同じことだ。そもそも信じるとは、目に見えようと見えまいと、その存在や事象を認めることであり、そこに証明は必要ない。「証を見せてくれたら信じる」という青年の言葉は「疑い」から出発し、その時点ですでに「信じる」ことから遠ざかっている。

「仮にわしがそうしても、その目の錯覚による見せかけだと、おまえは言うにちがいない。奇跡もおまえの求める確信を与えてはくれないだろう。その薔薇をそこに捨てなさい」

 だが、青年の言葉はけったいなものではなく、むしろごくありふれたものだ。目に見えるものしか信じない、実証されなければ信じない。こういう<現実的>で<合理的>な姿勢は、今の世界を見渡せばどこにだってある。この物語の舞台は中世だが、青年の姿勢はひどく近現代的だと言ってもいい。では、この現代的な青年に、中世の魔術師——あるいは20世紀に生きた盲目の作家——は答えを示す。たったひとつの言葉で。


 魔術師の薔薇、幻の青い虎や増え続ける小石の山(「青い虎」)など、本書には「世に知られているものから外れたなにか」があふれている。「疲れた男のユートピア」>は、バベルの図書館の住民と話しているような不思議な心地になる作品でなかなかよい。比較的シンプルかつボルヘスの美学が全開の話が多いので、ボルヘス入門にはよいかもしれない。
 本書は、ボルヘスの詩をこよなく愛する歌い手に貸してもらった。ありがとう、なつこさん。


ホルヘ・ルイス・ボルヘスの作品レビュー:
『伝奇集』
『不死の人』
『創造者』

Jorge Luis Borges La rosa de Paracelso,1983.

recommend:
ジーン・ウルフ『眼閃の奇蹟』…『デス博士の島その他の物語』収録。これも最後の一文が最高にすてき。
ウィリアム・ブレイク「虎」(『無垢と経験のうた』収録)…「Tyger! Tyger! burning bright, In the forests of the night, What immortal hand or eye Could frame thy fearful symmetry? 」。アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』のタイトルにもなった著名な詩。