キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『ロクス・ソルス』レーモン・ルーセル

 再び切子面の前に立った私たちは、緋色の軽い丸い玉が水中に落ち、ゆっくり沈んでゆくかと思うと、突然、肌がばら色で、毛のない例の動物が、それを通りすがりに飲みこむのを見た。カントレルは、この動物は、すっかり毛を抜き去った本物の猫で、コン=デク=レンという名前だと言った。アカ=ミカンス――先生は、私たちの眼前の、きらきら輝く水をこう呼んだ――は、特殊な酸化作用の結果、さまざまな珍しい特性をそなえており、とくに、純粋の地上の生物が、その中ではなんの不自由もなく呼吸できるのだった。——レーモン・ルーセルロクス・ソルス

想像力の乱反射

 ロクス・ソルスとは、ラテン語で「人里離れた場所」という意味である。なるほど、この魔法じみた響きをもつフランス郊外の屋敷には、魔術師のような科学者が住むのがふさわしい。

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

 これほどまでに一寸先が読めない物語をひさしぶりに読んだ。ロクス・ソルス荘の主人である科学者カントレル、通称「先生」が屋敷の庭を歩きながらこれまでの発明品を訪問者にひとつひとつ説明していく、ただそれだけの物語である。雰囲気としては「博物館のツアーガイド」そのものなのだが、説明する発明品の数々がとにかくすさまじい。
 輝く水アカ=ミカンス、帯電したつるつるの電源猫、髪で音楽を奏でる水中の踊り子、磁気で痛みなく抜歯できる巨大装置、歯のモザイク、虹色のタツノオトシゴのレース、死んだ人間を生き返らせる「刹那の劇場」……これらの奇怪きわまるオブジェをいくつも組み合わせて、カントレル先生はシュルレアリスム絵画もかくやといわんばかりの舞台を構築する。
 奇怪な発明群は何をするためのものかさっぱり予想できないし、そもそもなぜこんなものをつくろうとしたのかすらもわからない。ただ圧倒的なイメージの渦だけが、頭蓋骨に注ぎこまれては、受けとめきれずにあふれ出ていく。

 場面全体が、水の上へとすばやく上って行った。表面間近のところで、大きな水泡が突然、金糸が結び付けられている壁の頂部の穴から出た。水泡の発生は、内部のメカニズムを微妙に始動させることになったようだった。即ち次のような幾つかの動きが生じた。鳥が羽ばたいて飛び立ち、糸の結び目が突然眠っている王の首を締めつけ、一方力士は、いまや手の届くところにいる鳥を捕えんとして、両手を近づけた。……水泡が出てしまうと、下降が始まった。その間に力士は両手を左右にひらき、結び目は再びゆるんで、鳥をもとの位置に戻した。一旦底に達すると、全体はしばらくじっとしていたあと、新たに上昇した。この上昇も、前と同じ高さまで来て、気泡の排出とともに始まる、すでに見た通りの動作の繰り返しによって終わった。

 カントレルの発明品はどれも想像の範囲を軽く飛び越えていくようなものばかりだが、偏執的な細密描写のためか奇妙に立体的だ。「こんなものはありえない」というものを徹底的にこまごまと説明されるものだから、とてもではないが一度目をとおしただけではイメージを咀嚼しきれない。カントレルの種明かしを聞いてもまだ目の奥がちかちかしていて、何度も読み返しては首をひねらずにいられなかった。


 フランケンシュタインモレルデス博士、文学上にはさまざまな「いかれた科学者」たちが存在する。彼らは何かの目的のために発明をおこなうのではなく、発明をしたいがために発明をする。痛みなく歯を抜く装置、歯を並べる装置を作って、意味深な絵柄のモザイクを作ることの意味はどこにある? おそらく理由などない。カントレルは正当ないかれ科学者らしく、人類のためとか問題の解決だとかそんなことには目もくれない。あるのはただ強烈な美学だけだ。目的のために手段を選ばないのではなく、手段のためには目的を選ばない。論理の反転と倒錯、おそらくこれを「狂っている」と人は呼ぶのだろう。
 含蓄なきうんちく、強烈なイメージの乱反射にただひたすら耽溺した。「奇書中の奇書」というふれこみはだてではないね。

Raymond Roussel Locus Solus,1914.

recommend:
アドルフォ・ビオイ・カサーレス『モレルの発明』…カサーレスが描くマッドな発明家はすさまじい。
ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』…奇想きらめく。


追記:
 ところで、ルーセルは言葉の配列に異常にこだわったという。原文のフランス語では、徹底的な言語遊戯が行われているらしい。日本語訳では言葉遊びの部分を理解できないのが残念。「甘美な死骸」などの言葉遊戯におぼれたシュルレアリストたちが本作を愛したというのは、なんとなくわかる気がする。