キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『顔のない軍隊』エベリオ・ロセーロ

 「気をつけたほうがいいわ、先生。村が誰の支配下にあるのか、いまだに不明なんだから」
 「誰の支配下だろうと、別に変わりゃしないさ」

——エベリオ・ロセーロ『顔のない軍隊』

この世の煉獄

 少々、ぶっそうな想像をしてみよう。例えば、つるつる顔ののっぺらぼうが機関銃を向けてきたとしたらどんな心持ちがするだろう、とか。なぜ自分を撃とうとしているのかがわからない、そいつが誰かも知らない。殺す理由がないからこそ、殺さない理由だってない。そんなオバケどもに囲まれたら? ……理由のない悪意は、理由のある悪意よりもおそらくずっと恐ろしい。

顔のない軍隊

顔のない軍隊

 コロンビアの新鋭作家が描き出す、“顔の見えない悪意”にさらされる恐怖。
 主人公のイスマエル老人は、村人のほとんどが教え子という元ベテラン教師だ。引退してからは、庭のオレンジを取るふりをして隣の奥さんの裸体をのぞくことを楽しみにしている、憎めないスケベじいさんである。
 驚くほどのんびりとした、どこにでもある田舎の光景。だが、まったく脈絡なく突然、村は“軍隊”に包囲される。顔見知りの村人は次々と誘拐され、村の中を銃弾が飛び交い、ある者は額を貫かれ、ある者は首を掻き切られて死んでいく。恐ろしいのは、自分たちを包囲しているのが何者なのか、誰も知らないし積極的に知ろうともしないこと。ただ、この暴力は止まらないし、やつらにそのつもりもないという、不吉な確信だけが募ってゆく。


 戦慄する話だった。とてもではないが、ただの「小説」としては読めない。こんな理不尽なことがあってなるものかと思いながらもあまりにも描写がリアルで、イスマイル老人ととともに村を呆然とさまよう気分で読了した。
 息を吸うたびに人が死ぬような、圧倒的な閉塞感がすさまじい。ばあさんもブラジル人も、無免許の医者もカフェの主人もエンパナーダス売りも、それぞれちょっと癖はあるけれどいい人々だった。でも、みんな消えた。村には、一歩進むごとに死が転がっている。だけど、外には逃げられない。死んでこの世から消えるか、生きて殺されるのを待つか。なんという、救いのない二択。

 「わたしたちは、このゴキブリよりも無防備なのですから」

 断頭台に並ぶ死刑囚のような強い諦観がひしめく中、イスマイル老人が「ばあさんを探さにゃ」と銃弾の雨の中をよぼよぼ歩いていく姿がどうしようもなく胸を打った。ちなみにイスマイルじいさんはなかなかの行動派で、玄関先に転がっていた不発の手榴弾を手にもって、村はずれの崖に投げ捨てている(個人的にはこの小説のハイライト)。


 コロンビアには多くの武装集団が存在し、それぞれが麻薬密売や誘拐、テロに暗殺といった犯罪を繰り返している。だが、ロセーロは「コロンビアにひしめく犯罪」ではなく、「災厄に巻き込まれた人々の絶望と混乱」を書いた。失わざるをえない人々の悲しみが、ここにはある。
 一気に読めるだけの力をもった作品だ。コロンビアの政治事情をある程度知ってから読んでもいいが、あえて事前知識を持たずに読んでもいい。右翼だろうと左翼だろうと、暴力をふるってくるのであれば、それはどちらにせよ災厄でしかないからだ。
 黒く塗りこめられて出口が見つからない、この世の煉獄。恐ろしいことに、悲しいことに、そこはかつて自分が愛する故郷だったのだ。

 自分の唯一の望みが、二度と目覚めることなく永遠の眠りにつくここと、まさに悟ったそのときに、どうして笑いが戻ってきたのか? きっと恐怖心からだろう。この国、この村を覆っている恐怖を完全に見て見ぬふりしたい、愚か者になりきって自分自身も忘れたい。生きつづけていくために、というより生きつづけているように見せかけるために。本当のところ、かなり高い確率でおれは死んでいるんじゃないのかな?

Evelio Rosero Los ejercitos,2007.

recommend:
G.ガルシア=マルケス『誘拐の知らせ』……コロンビア。実際に誘拐された人々の証言を取りまとめたノンフィクション。
アティーク・ラヒーミー『灰と土』……アフガニスタン。戦禍に巻き込まれた人の混乱。
フリオ・リャマサーレス『狼たちの月』……スペイン。逃走か死か、救いようのない二択。



omake:コロンビアの政治事情や犯罪率について
 上にも書いたとおり、本書はコロンビアの政治状況を知らずとも読めるが、あったらあったでよいと思うので。
武装勢力
 『顔のない軍隊』では包囲していたのが誰か明確にされていなかったが、コロンビアには伝統的にいくつかの異なる武装勢力が存在する。

  • FARCコロンビア革命軍:コロンビア最大の左翼ゲリラ。近年は弱体化しつつあるものの、コロンビアの農村や山岳地帯でいまだに強い勢力を持つ。2010年8月には、首都ボゴダで大規模爆弾テロを行った。
  • ELN(国民解放軍):コロンビアの主要な左翼ゲリラ。爆弾テロや誘拐事件を起こす。
  • パラミリタリー:極右非合法武装集団。2004年、政府との間で武装放棄に関する交渉が開始、2006年8月には、投降に合意した構成員の武装放棄がほぼ完了。

参考:海外安全ホームページ:コロンビア


・コロンビア国内の主要犯罪統計
 ここ数年、政府の治安政策により、誘拐やテロなどは減少傾向にあるらしい。コロンビアの人口は日本の約3分の1だが、犯罪数は日本の15倍以上だという。

  • 殺人

2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
23,523件 20,210件 18,111件 17,479件 17,198件 16,140件 15,817件 15,459件

  • 誘拐

2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
2,121件 1,440件 800件 687件 521件 437件 213件 282件

  • テロ

2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
1,258件 724件 612件 646件 387件 484件 486件 471件
出典:在コロンビア日本国大使館 安全の手引き