ボヘミアの海岸線

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『ジプシー歌集』フェデリコ・ガルシア・ロルカ

緑色わたしの好きな緑色。
ジプシーの月の下で
物みな娘を見つめているが、
娘にはそれらを見ることができない。


――フェデリコ・ガルシア・ロルカ「夢遊病者のロマンセ」

緑の風よ

 ここ数日、強い風が桜の花びらをまきあげながら坂をかけおりるのを眺めている。春だなあと思う。スペインの詩人ロルカが、風について歌っていたのを思い出して、ひさしぶりに『ジプシー歌集』をひっぱり出してきた。日本の春風は桜もちのような色合いに感じるが、ロルカが歌うスペインの風は密林のような緑色だ。

ジプシー歌集 (平凡社ライブラリー―詩のコレクション)

ジプシー歌集 (平凡社ライブラリー―詩のコレクション)


 『ジプシー歌集』は、その名のとおりユーラシア大陸に散らばるジプシーたちの生活を歌ったロマンセ集である。ユーラシア大陸の定住者たちからジプシーは鼻つまみ者扱いで、しばしば差別と虐殺、犯罪と結びつけて語られることも多いが、ロルカが歌うジプシーは、美しい異国情緒にあふれている。香と焚火がにおい立ち、服を脱いだ黒髪の女がちらつき、月に照らされた黒い木々の風はざわつき、川の水は金色に輝いている――さながら油絵のような美しさ。

緑色わたしの好きな緑色。      Verde que te quiero verde.
緑の風、緑の枝よ。           Verde viento. Verdes ramas.
海の上には船。             El barco sobre la mar
山の中には馬。             y el caballo en la montana.
腰には影をおき、            Con la sombra en la cintura
娘には欄干で夢を見る。        ella suena en su baranda,
緑の肉体、緑の髪、          verde carne, pelo verde,
冷たい銀色の眼、            con ojos de fria plata.
緑色わたしの好きな緑色、       Verde que te quiero verde.
ジプシーの月の下で           Bajo la luna gitana,
物みな娘を見つめているが、      las cosas le estan mirando
娘にはそれらを見ることができない。 y ella no puede mirarlas.


――「夢遊病者のロマンセ」

 翻訳者の会田由氏が「ロルカの詩は朗読するとき、もっとも生彩をはなつ」と書いていた。ヴェルデケテキエロ、ヴェルデ、ヴェルデ ヴィエント、ヴェルデ ラーマス、流れるように繰り返されるヴェルデという響きが美しい。ロルカは緑色を好んだそうで、いろいろな詩に緑が歌われている。おかげで、私がスペイン語で最初におぼえた色は緑色だった(リョサの『緑の家』もLa casa verde。スペイン語圏が好きな読者は緑とのつながりが深いと思うのは私だけだろうか?)。


 本書は、本編はもちろんのこと、会田氏の解説も興味深い。ヨーロッパの詩の翻訳というものは不可能である、翻訳によって意味はわかりはしようが、原詩が持つ音の美しさや韻のすばらしさは失われてしまうと、翻訳した詩の限界を指摘したうえで、「読者は私の訳など読むより、原詩で意味はわからずとも、音読することをおすすめする」とまで言い切っている。訳者自身が、これほどの率直さでもって、このような解説をつけることは驚きだ。
 私は翻訳書ぎらいの人々が言うところの原文主義、いわゆる「翻訳されたものなんて、原文の価値を落としているから読む必要はない」という意見には賛成できないけれど、こと詩や劇についてはある程度、本当だと思う。松尾芭蕉の俳句を「an ancient pond / a frog jumps in / the splash of water」と言ってしまったら、言葉をぎりぎりまで切りつめながら遊びを持たせる句の美しさが伝わってこない。
 だが、それでも私はロルカを訳してくれてよかったと思う。おそらく、私がロルカの詩の美しさをスペイン人のように感じることはないだろうが、ロルカの詩は美しいと知ったのはまぎれもなく訳書のおかげである。


 幸い、ロルカの詩はスペインや南米圏の人々にこよなく愛されているようで、歌として音を聞けるものが多い。いつか口ずさめるようになったらすてきだなあと思いながら、緑の風についてぼんやり考えている。これもまた春。

Federico Garcia Lorca Romancero Gitano, 1928.


ROMANCE SONAMBULO 「夢遊病者のロマンセ」(Youtube)