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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『代書人バートルビー』ハーマン・メルヴィル

アメリカ文学 ☆☆☆☆☆

 徐々にわたしは、代書人に関してわたしにふりかかったこれらの災難が、すべて悠久の過去から予定されていた運命で、バートルビーはわたしのごときただの人間風情には測り知れぬ全知の神の不思議な何かの思し召しから、実はわたしのところに割り当てられたのだと、いつしか確信するようになった。いいよ、バートルビー、屏風のなかにそのままいてくれ。わたしは思った。もううるさいことは言わないよ。——ハーマン・メルヴィル『代書人バートルビー

せずにすめば

 徹底的な無個性さを極めれば、まわりまわって唯一無二の狂気へとつながるのかもしれない。書くこと、仕事をすること、生活すること、生きることすべてを「せずにすめばありがたいのですが」とはねつけた、奇妙な男の一生涯。

 バートルビー、「生気に欠けるほど身だしなみがよく、哀れになるほど上品で、いやしがたいほど孤影悄然」とした男。彼はある日、「わたし」の運営する事務所に代書人として雇われる。
 午前は使いものにならない若者ニパーズ、午後になると集中力が切れて暴れ出す老人ターキー、ナッツばかり買う少年ジンジャー・ナッツというなんとも混沌とした事務所メンバーの中で、水盤のような静けさで淡々と仕事をこなす彼は、確かにもっとも無個性なサラリーマン(雇い側にしてみれば、優秀で使いやすい)だったといえるだろう。だが、平穏な日常はバートルビーが「せずにすめばありがたいのですが(I would prefer not to)」という言った瞬間に終わりを告げる。
 雇われ人、社会人としてやるべきことの拒否だけだったら、おそらくバートルビーは“反抗者”と呼ばれるだけだっただろう。だが、人としてやらなければならないこと――住む、動く、食べる――を拒否し始めた瞬間、反抗は“狂気”へと一転する。


 バートルビーは、きちんとした言葉を話すし、どこまでも礼儀正しい紳士である。暴力もふるわず、誰も傷つけなかった。だからこそ、物語がクライマックスに進むにつれてこう問わざるをえなくなる。彼は、はたして「人間」なのだろうかと。虚ろに「正気にならずにすめばありがたいのですが」とつぶやくその姿はまるで亡霊、人間としての枠を踏み出してしまった存在のように思える。
 怒りという感情は、つくづく「理解できる常識的なもの」に向けられるものなのだと思った。なぜそんなことをするのかまったくわからない存在には、人は怒りより先に恐怖を抱く。はじめはバートルビーの非社会人ぶりに怒っていた「わたし」が恐怖し、ついには「これも神の思し召し、もう好きにして」と諦観にまでいたる心理の変化は、相手が「理解できる対象」から「理解不能の対象」に移行したことを、実にみごとに表現していると思う。
 おそらくどんなに考えても、バートルビーがなぜすべてを「せずにすめばありがたい」ことに固執したのか、理由は見つけられない。いろいろな理論をこねまわしたり、つじつまをつけて「合理的」に理由をつけるのは、バートルビーの本音を知りたいからではなく、そうでないと自分が不安でしかたがないからだ。ラストでバートルビーの行動に対する所見が述べられているが、これもまた「理解できる範疇」に押し込めようとするただの一説にすぎない。


 まるで深淵、底なし沼をのぞくような虚無感、無力感を味わった。仕事はせずにすめばありがたいけれど、人間はまだやめたくないと思った。共感や共有の拒絶は、自らを孤独の牢獄に押しやることに他ならない。じつに紳士的な方法で自らに足枷をはめ、首に縄をかけた男、バートルビー。なんと無用、なんと強烈な人生だろう。君はいったい、どれほど多くの人の心にいすわれば気がすむのだ?

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Bartleby, the Scrivener: A Story of Wall-street…原文。



Herman Melville Bartleby the Scrivener,1853.