キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『灯台へ』ヴァージニア・ウルフ

 波音は、たいていは控えめに心を和らげるリズムを奏で、夫人が子どもたちとすわっていると、「守ってあげるよ、支えてあげるよ」と自然の歌う古い子守唄のようにも響くのだが、また別の時、たとえば夫人が何かの仕事からふとわれにかえった時などは、そんな優しい調子ではなく、激しく太鼓を打ち鳴らすように生命の律動を容赦なく刻みつけ、この島もやがては崩れ海に没し去ることを教えるとともに、あれこれ仕事に追われるうちに彼女の人生も虹のように消え去ることを、あらためて思い起こさせもするのだった。ーーヴァージニア・ウルフ
『灯台へ』

私はここにいた

 「灯台」という存在が好きである。実際に灯台に足を運んだことはほとんどない。おそらく私は建造物としての灯台ではなく、灯台が持つ独特の雰囲気、象徴としての灯台に惹かれているのだろう。「私はここにいる」「そちらはどうか」と光を放つストイックさ、孤独の距離感が、星や人の営みに似ている気がするからだ。

灯台へ (岩波文庫)

灯台へ (岩波文庫)


 ある一家とその隣人たちが、灯台に行こうとする日を描く。哲学者ラムジー氏とその夫人や8人の子供たち、ラムジー一家に間借りしている学生タンズリーや若い女性画家リリー、彼らの思考がさまざまな色をした糸となって、縦に横にと混じり合いながら、一枚の織物――それは劇的でもなんでもないただの一日――を紡いでいく。

 ヴァージニア・ウルフの文章は繊細で美しい。ちょっとしたすれ違いや「好き」と「嫌い」が同時に存在する割り切れなさ、他者の幸福を願うとともに嫉妬もする絶妙な心の揺れ動きを、職人の手つきですくい取る。
 特に、ラムジー夫人と画家リリーの描写が良かった。素朴な感受性を持ちながらも、家庭と夫を支えることに人生をささげたラムジー夫人。絵を描き続けることを決めたがゆえに独身となったリリー。ふたりの美しい女性たちは表面上は対照的だが、心の奥底に相通じるものを感じる(だからこそ、リリーは恋する者のまなざしでラムジー夫人を見つめていたのだろうか)。ラムジー氏の褒めてほしいという要望に対して、ふたりはそれぞれ違った方法で、願いを叶えながらもそっと拒絶する。

 一度でいいから「愛しています」と言ってくれないか、夫はそう願っている。……でもそれはできない、それは言えない。


 読み進めるうちにどんどん、「灯台へはたどり着けないのだろう」という予感が抑えがたくなっていった。灯台は星の灯りだ。広大な宇宙の中で、誰と言葉をまじわすでもなく、受け止めてくれる存在の確証もなく、「私はここにいる」と沈黙のメッセージを放ち、誰かの眼に写ることを願っている。それは人の生も同じだ。多くの人が、「私はここにいた」という生命の火を灯す。誰も、いつかは吹き消されることを意識しないまま。

 わしがともした小さな灯りは、弱々しくとも、一、二年は光を放つかもしれぬ。だがやがてもっと大きな灯りにかき消され、時を経てさらに大きな明るみの中に飲みこまれるに違いない。


 灯台は、生まれては消えていく人の生死を見守り、照らし、闇に返す。第2章「時はゆく」で、灯台の存在が圧倒的な迫力でもって胸にせまる。わずか数十ページだが、一生記憶にとどめておくに値する章だと思う。
 ヴァージニア・ウルフは、注意深く、一種の「面映ゆさ」さえ感じながら「永遠」という言葉を使っている。人が死んでも、灯りは記憶の中に残ると灯台はうたう。ウルフは、自殺という形で灯りを消した。自身が描いた永遠を、彼女は信じていたのだろうか?


ヴァージニア・ウルフの作品レビュー

『ダロウェイ夫人』

 

Recommend

灯台小説、あるいは灯りの物語。
サン=テグジュペリ『夜間飛行』……あの光の中に、人の存在を知る。
アントニオ・タブッキ『レクイエム』……廃墟となった灯台に帰る。
アリステア・マクラウド『冬の犬』……灯台守の話を収録。
ソーントン・ワイルダー『わが町』……底にあるテーマはおそらく同じ。

なっちゃん全集からも新訳で刊行された。



Virginia Woolf To the Lighthouse、1927.